心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

若者達へのメッセージ⦅幸せになれ⦆(3)

これから先、若い人達はどんな勉強をし、どの様な生き方をすれば、自身を含め人類全体が幸せに暮らしていけるのか、残念ながら現状を鑑(かんが)みて私にはなかなか想像する事ができない。

政治情勢も不安定な国が多く、エネルギーや食糧の問題も今までずっと先送りしてきたからだ。

災害も、温暖化の影響も含め、規模も大きくなっていて、陸地の面積や森などの自然環境も徐々に減ってきている。

人間が作り出した物質が自然界に与える影響も問題視され始め、各国の諸問題に対する温度差が地球全体の課題にも関わらず一律では無い。

 

科学者を含めた専門家たちの研究や開発も目まぐるしいものがあるが、良くも悪くも各分野の細分化が進み、ある分野に特化した人達ばかりになって、まとめ役がいないという事だ。

全体像を見て先を予測し、専門家をまとめ、動かせる人がいなくなってきていると思う。

それらの事は、この星の未来に対する指針をどう取っていくかという事に繋がる。

 

さて、個々の事を考えてみよう。

独裁主義国家や専制国家では、情報も限られ、プロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為)的な事も起き、個々の行動に制限がかかり監視され、選択肢が少なくなる代わりに、自分達で考え行動する必要が無い。

そういう意味では、日本も同じような状態かもしれないと思う時がある。

政府のやる事に、文句を言いながらも従順すぎるぐらいに従っている。

1960年の安保闘争を始め、1968年~ 1970年にかけ学生運動が盛り上がっていたが、良し悪しは別として今では考えられない事となってしまった。

諦めか、慣れなのか、はたまた変えたくないのか解らないが、民主主義とは程遠いという事も付け加えておきたい。

民主主義の特に先進国では、余りにも情報量が多すぎて選択する事さえ大変な中、自分にとって何が必要で、何がいらないのかの基準すら解らなくなっている人達で溢れかえっている。

まして、自分の事で精一杯な状態で、日本いや世界に対してどうアプローチ出来るか等、考える事の余裕もないかもしれない。

 

人それぞれの価値観があり、その中で自分なりの人生や幸せを構築していくのだが、その価値観そのものを自分で見つける事をせず、色眼鏡で集めた情報で決めているように思うのは私だけだろうか?

「幸せは、こうすればつかめる」「いつまでも若く健康でいる為にやる事」「為になる名言」

「お金持ちになる方法」「やってはいけない○○」「人付き合いの方法」など上げたらキリがないほど溢れかえっている誰かの経験を、プロセス無しに短絡的に真に受け、イザやってみたところで上手くいくはずがない。

まして、簡単にポチっと押すだけでの情報選択は、脳も含め身体を動かすプロセスを踏まず、簡単にできるので、分ったつもりになっていたとしても、身についていない。

自分の置かれた立場や境遇に責任を取らせるのは簡単だ。

いつも誰かのせいにすれば、気持ちも楽になる。

が、それは一時的なものでどんなに大声で叫んでも耳を貸す人等ほとんどいないのが現状なのだ。

自分自身と、ちゃんと向き合ってきたか?問わなければいけない時が必ず来る。

そして、その時が遅くなればなるほど、立ち直りに苦労するものだ。

遅くまでたむろしたり、お酒をしこたま飲んだりするのもたまにはいいかもしれないが、人や境遇のせい、すなわち責任の所在を自分以外に求めての行動なら、すぐ辞める事だ。

「若さ」はエネルギーに溢れ、可能性に満ちている。

自ら振り返ってみても、一晩中遊んでも、ムチャ飲みしても翌日辛かったが、ちゃんと仕事はしていた。

細胞分裂が盛んで、どんどん垢として疲れが取れていく様に思ったものだが、振り返ってみると、その様な時間はあっという間だった様に今は感じている。

自ら動かないで、ブツブツ文句を言うのは歳がいけばいくらでも出来るものなのだ。

誰もが幸せになりたいと思っているはずだ。

それがどんな形のものかは人それぞれで、やりたい仕事に就く事や夢を叶える事、お金持ちになる事や結婚など、人の数だけあるだろう。

でも、それは「目的」であって幸せでは無い。

見たり聞いたりしたことの記憶によって、目的が幸せをもたらすものだと勘違いしているのだ。

確かに、夢を叶えたり仕事がうまくいった時には高揚感をもたらすだろうし、幸せだと思うかもしれない。

自分を高めていく事は素晴らしい事だし、目標のハードルを上げる事もいい経験になる。

自分に厳しくする事も、忍耐力を養う上でとても大切だと思う。

ただそれは同時にその後、更に次の目的を作っていかなくてはならない。

何故なら、脳は満足しないで更に新たな刺激を求めるからだ。

「諦めろ」という事では無い。

小さな目標を積み重ね、大きな夢を叶える人も多い。

ただ、皆がみんな出来る事でも無いのも事実なのだ。

 

例え、目標が叶ったとしても、いずれは壁にぶち当たったり、焦ったりと満足感は消えていく。

恋愛もよく似ていて、好きな相手が付き合ってくれる事になった時は、天にも昇る気持ちになるものだ。

でも、その時の気持ちはずっとは続かない。

「あんなに幸せだったのに、何処に行った?」

そう、過ぎていった事や慣れてしまった事、当たり前のようになってしまった事が「幸せ」を見逃しているだけなのだ。

よく、「初心に戻れ」という言葉を聞くと思うが、気持ちを新たにし、まるで初めて行うかのように心を一旦白紙に戻す事を意味する。

好きな相手に接する時も、うんざりするような一日の始まりも、まるで初めての様に思えればしめたものだ

 

誰かの成功体験をまねた所で、決して満足感は得られないし、その通りにはいかない。

ある番組で、今の文明生活とは無縁な先住民にこんな質問をしていた。

「生きる意味は?」

答えは「死ぬためだ」

そう、人は必ず死ぬ。

死ぬ為に生きるという事は、「死」をただ待っているという事では無く、永遠の命などは無く「死」が訪れる事を意識すれば、やるべきことを先延ばしにしないという意味だ。

このブログで何度も書いているが、生まれて死ぬまで、人生は「苦」がベースになっている。

まず、人生が「苦」である事を前提に考えるべきなのだ

辛い話かもしれなが、人生バラ色なんて嘘なのだ。

始めから楽で楽しい人生を期待する事自体滑稽で、その方法を見つけようとしている事自体、見方を誤っている。

若い人達は情報に敏感で、新しい事に興味を持つ事を得意としているが、その膨大な情報量の割に偽や思惑、すなわち誰かの「欲」が隠れている方が多い。

それを鵜呑みにして、取り込んでしまう事の危険性を解っていない若者が、どんどん広めてしまうという悪循環がある事を、よく考えてもらいたい。

占いや短期間でお金を…というサイトに結局多額のお金をつぎ込み、後悔している人達が沢山いるが、何をするにも簡単にいくはずが無いのだ。

 

例えば「幸せ」はこうやれば手に入れられる。こんな事をすれば「幸せ」にはなれない、という決めつけや結論ありきの情報を信じてしまい、自分を責めたり奮起させようするのだが、そんな法則があれば、この世界は幸せな人で溢れかえっているはずだ。

まして運命を変える事や幸せをつかむ方法が本当にあれば、教えて欲しいくらいだ。

苦の中で見い出す幸せの意味は自分自身が感じるもので、感じられる力が無ければ、例え幸せな状態だったとしても、本人は気付けない事になる。

 

前半で書いた世界情勢を考えて見ても、決して楽観視できる状態では無いが、自分の廻りの世界ばかりに囚われて生きていくと、結局個人個人の幸せの追求をしても得るものが無い事になってしまう。

何故なら、人類という共通の動物の集合体の中で、私達は生きていけるからだ。

 

人との出会いや偶然がその後の生き方に大きく影響を及ぼすのは理解していると思うが、キッカケは誰にでも訪れる。が、受け入れる準備が出来ていないと、折角のチャンスも見逃してしまう。

すなわち、自分という人間がどんな人間として生きていくのかを模索し続けていく事だ。

自分が何者で、何が出来るかの模索の連続と言っていいかもしれない。

諦めや面倒くさいという言葉を吐かない事だ。

好きな事をやり続けるのも、本を読んだり映画を観たりする事でもいいから、自ら行動し、そこから得る力を信じる事だ。

 

過去を見ず

今を感じず

先を否定する

人生は瞬間の選択の枝分かれ

そのキッカケは

学びという名のドミノ

この世のものは

無駄なものなど

何もない

その全てが師であり

教えそのものだ

 

身の回りのミクロと世界というマクロの中で、私達は生きている。

バタフライエフェクトという言葉を耳にしたことがあると思うが、

「蝶の羽ばたきが地球の裏側で竜巻を引き起こす」

すなわち小さな変化が時間の経過とともに大きな変化になるという意味で、

バタフライ効果」とも呼ばれているが、自分の事を考える事の大切さは結局、世界に対して時に大きな影響をもたらす事もあるという事で、多くの人間の中の「一人」では無く、一人一人の集まりが「世界」を作っているという考えになる。

この様な事は、人間の歴史の中でも実際に起きてきた事だ。

 

すなわち、些細な出来事であっても、さまざまの要因が複雑に絡み合って、世の中を揺り動かす可能性があり、予測できないカオスの中で私達は日々生きているという事なのだ。

その「気付き」を知っているかどうかで、生き方も変わって来る。

それは、「可能性」であり「想像力」とも言える。

だからこそ、若い人達に諦めて欲しくないのだ。

「大きな事をやってくれ」「変革して」と言っている訳では無い。

他人と比べたり、同じ方向から見たりする事を考え直して欲しい。

何気ない、あなたのチョットした素敵な行動が世界を動かす事を想像して欲しいのだ。

道端のゴミを拾う事だって、困っている人を助ける事だって、それが分かれ道かもしれないのだ。

そして、

たった一人でもいいから誰かを幸せな気持ちにしてあげて欲しい

幸せは、誰かを通して伝わるもので、分け合えば増幅される。

その為には、何度も書くが幸せを感じる力が無いとダメなのだ

幸せを求める視点から入らない事。

目的達成=幸せでは無いし、逆に「幸せ」は見方や感じ方でいつでも見つける事が出来る。

自分が幸せと思った瞬間を逃さないように、丁寧に生きる事に尽きる。

 

「In order to learn something, there is no better way than to experience it yourself.」

『何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。』

アインシュタインの言葉より

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