心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

愛とは?(2)

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悲しみは喜びを導ける。

そして喜びは悲しむ心を知っている。

愛は力を与えるけれど、

力は愛の前では無力だ。

そして愛の反義語は無視なのだ。

誰もが生まれた時から、

その答えを知っているはずなのに。

 

赤ちゃんや幼児を見て下さい。

彼らは自分の身の回りに起きている色々な出来事を必死になって取り込もうとしています。

大人から見ればつまらないことでも一生懸命です。

すなわち対象になるモノを観察し、自分の中で反芻し、味わい逃さないようにしているのです。

彼らは愛という感情の意味はまだ理解してはいませんが、愛でいっぱいなのです。

自分のことが好きかどうか、愛する事の意味、与えた事による代償、そんな事は彼らにとっては何の障害にもなっていないのです。

赤ちゃんに対して、

「私の事を信じて!」とか

「裏切らないで!」とは誰も思いません。

すなわち、赤ちゃんや幼児から見ると、受動的に見えて、実は能動的な愛という形なのです。

 

しかし大人の場合そうはいきません。

残念?な事に大人はその時代のことをほとんど記憶していませんし、もちろん赤ちゃんや幼児の頃のモノの見方もできません。

大人になるにつれ様々な経験や知識を得ます。

それは生きていく上で非常に重要なことである一面、それが考え方や行動を狭めてしまう原因にもなります。

解ったつもり、あきらめ、回避、知ろうとする事や関心を持つ事への意欲の低下。

モノの見方が一方的になりがちになり、自ら枠に当てはめてしまう事によって、安易で自分には都合のいい、言い換えれば独りよがりになって結果、本質を見失うのです。

ですから愛の意味である「対象その物の存在を認めること」はまず、素直な視線を向ける事が出来るか?という事です。

経験や知識の無い、もしくは少ない赤ちゃんや幼児が、素直な視線でモノを見ることが出来る事を、思い出して欲しいのです。

 

仏教でいう「自我を捨てる」とはこの事を指すのではないでしょうか。

 

しかし現実として、たとえその事を理解していたとしても、神様じゃない限り、

もしくは悟らない?限り難しく、自分には無理だと思うかもしれません。

本当の自分すら解らない、自分自身をも愛することが出来ない状態で、例えば誰かを好きになり愛していくことが、はたして出来るのでしょうか?

愛するという意味をもう一度考えてみましょう。

愛とは「対象その物の存在を認めること」愛するとは「受け容れること」です。

認めるという事は、なにも好き放題にさせるという意味ではありません。

「愛」の反義語は「無関心」という事ですから、関心を持ち、注意を向け続ける事です。

そして受け容れるというのは、無条件で、心に留め、自分自身と向き合うという意味です。

だから、辛くて切なく苦しいのです。

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木はあなたを愛し、そしてあなたに愛される。

木はすでに全てを知っている。

あなたは全てを持っている。

木はそれを知っている。

あなたはそれに気が付かない。

あなたが木に気付いた時、

あなたは木を愛している事に気付く。

木があなたを愛している事に気付く。

言葉がなくとも、交える。

 

特に、パートナーと一緒に暮らす時間が長くなると、

「こんな事も解らないのかなぁ?」とか

「いい加減、こっちの事も理解してよ!」など、相手に対し、不満が出てきます。

誰も、家にいる時ぐらい、ゆっくりしたいし、時間に追われたくないものです。

頭で、解っている事でも、つい愚痴を言いたくなります。

そして「この人にとって、私の存在は何?」と疑問を持ち始めます。

 

「人の振り見て我が振り直せ」この言葉どおり、自分の事より、他人の欠点はよく見えますが、自分の悪い所は、なかなか見えにくいものです。

時間は、そんな事など気にもせず過ぎていきます。

まず、過去と今を比較する事を、止めなければいけません。

恋愛している時と、現在進行形の今を比較しても、何も得るものが無いからです。

言わなくても解るという考え方も、やめましょう。

言葉を使う事は、人間の進化で得た大切な能力なのですから。

そして、未来に宿題を持ち込むような事をしてはいけません

自分の事すら、毎日コロコロ変わってよく理解出来ていないのに、相手を理解する事自体、そもそも不可能だからです。

居て当たり前では無く、居てくれて有難うと思う方が、きっと居心地がよくなるでしょう。

社会が変わっていき、色々な心配が増えて、持ち込まないでも良い事まで、持ち込んでしまう世の中。

価値観も変わって、パートナーや親子関係の在り方も、一律ではなくなっています。

愛するという事に正しい答えや道筋はありません。

誰かのマネをしても、何かの本を読んでも、結局自身で見つけるしか方法は無いのです。

 

愛する人には、特にいつも一緒にいる人に対しては、自分が発する言葉に気を付けなくてはいけません。

不満に思う事や、やって欲しい事があれば、あなたにとって大切な人に話すのですから、余計言葉を選んで話しましょう。

言葉は、とても、とても大切だからです。

「そんなことぐらい、解ってるだろう!」は、自分の問題を相手の問題にすり替えているだけで、何のメリットもありません。

逆に自分を苦しめる事になり、問題の先延ばしにすぎず、いつまでもつきまといます。

「一々、気を使ってられない」と思うでしょう。

でも、気を付けていると、やがて自然な振る舞いになっていくのです。

何より、あなたにとって大切な人に気を遣うのは当然の事なのです。

あなたの優しい言葉一つで、その日が幸せで終われるとしたら、こんな素敵な事はありません。

優しい言葉を発すると、心が後からついてきますし、逆もまたしかりです。

 

言葉が要らなくなるまで語り合い

言葉が響くようになると

言葉の行間に秘められている無音が、あなたに聞こえてくる

そして、行間が言葉よりも多く語りだし、言葉は要らなくなる

愛の中にいる人達を見れば、理解出来ること

言葉に意識を載せて語る事

注意深く、丁寧に

やがて意識は、自分の元に還る

言葉が無くなり、解放される

そう、独りになり、孤独では無くなる

 

人間は、経験の積み重ねで生きています。

そして、常に刺激を求めます。

なぜなら飽きやすい動物だからです。

外からの刺激ばかりに目がいきがちですし、その様な社会になっています。

だからこそ、外で起きた「嫌な事」は、家庭には絶対に持ち込まない事です。

人間ですから、やはり愚痴をこぼしてしまうものです。

仕事や人間関係からのストレスから、逃れたい気持ちが働くからです。

そんな時は、愚痴を言っている相手に正論や常識をいくら唱えても、聞く耳を持ってはいない状態です。むしろ反発してくるでしょう。

聞いて欲しいのです。

ただ聞いて、うなずいて欲しいだけなのです。

そんな時は、優しく抱きしめてあげればいいのですが、その為には普段から、その様な関係作りが大切になってくるのです。

今からでも遅くは無い事で、先送りにしないようにして欲しいのです。

コーヒーの一杯でも作ってあげるだけで、優しさは伝わります。

愛している人からですから。

 

愛している人を傷つけてしまう事は、自分を傷つけているのと同じ事です。

愛という感情には、犠牲や執着、上下や孤独という言葉は存在していないのです。

もし、何かの問題が起きても、一番心配してくれる人が傍にいるだけで、心の負担も軽くなります。

しかし世の中、そんな恵まれた人ばかりではありません。

良いパートナーと巡り合えない人や先立たれた人、暴力や依存症で苦しまされている人等、不公平な事ばかりです。

それでも、生まれてきた以上、「愛」に生きていくべきなのです。

愛に生きる事とは、どんな事があっても生き続けるという事です。

そして見返りがないからこそ、人生の終焉を後悔も無く、迎える事が出来るのです。

 

内面、すなわち自分自身に、もっと目を向け、内からの湧き出てくる本来備わっている、愛する心を、持ち続ける事を疎かにしないようにしたいものです。

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今、あなたに愛している人がいるなら、

その愛の気持ちをちゃんと伝えましょう。

今、あなたを取り囲む愛する何かがあるなら、

目に焼き付けておきましょう。

あなたの優しさが、

愛する心が誰かの心の中で生き続けるように。

明日、何が起きても、愛する人の記憶に残るように。

 

誰もが、心から愛し、愛されたいと思っています。

その為には、自分を見直す作業をしなくてはいけないのです。

必ず死は誰にも訪れ、その「いつ」は誰にも解らないのです。

 

名残惜しい自分の人生に

心残りがあるとしたら?

そんな生き方で時間を使えばいい

言えなかった言葉も

やりたかった事も

学びたかった情熱も

今からだって

心残りを減らせるんだから

名残惜しい幕ひきには

拍手が鳴りやまず

賑やかで

きっと悔いという言葉は残らない

 

誰にでも優しく、親身になる事は、ハッキリ言って無理です。

ただ、想いを馳せる事は出来ます。

あなたが、人生に失望し、どうしようも無い時でも、目の前で、誰かが突然倒れたら、もし、子供が車に轢かれそうになれば、助けようとするでしょう。

例え絶望の中でさえ、愛を見いだす事が出来るのが、人間かも知れないのです。

だからこそ、この星の住人として、住むことを許されているのでしょう。

 

「愛」という言葉に囚われてはいけないのです。

愛とは、「対象その物の存在を認めること」

愛するとは「認めたものを受け容れること」

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例えば、あなたが海を眺めている時、穏やかであろうと荒れていようと、「海」の存在を認めています。

あなたは、その「海」に対して何もしてあげる事は出来ません。

「もっと大きな波を」「静かに、穏やかに」

いくらあなたがそう願っても、「海」は、あるがままあなたの前にいるだけです。

「海」は、あなたが見るからこそ、あなたに「愛」を感じさせてくれるのです。

何もあげなくても、どれほど愛しているか伝えなくても、あなたは、「海」から愛されている事に、気付くのです。

あなたが、「海」を見るのは、「海」があなたを呼び、包み込む為なのです。

「海」にはもう、その準備は整っているのです。

後は、また逢いに行くだけです。

「海」に捧げ「海」から授かった「愛」を、大切に持ち帰って下さい。

 

愛にまつわる曲の紹介です。


The Works

★『ドライビング・ホーム・フォー・クリスマス(Driving Home for Christmas (2019 Remaster) 』は「クリス・レア(Chris Rea:Christopher Anton Rea)」の1988年の曲で、あまり日本のXマスシーズンには、かからない曲ですが、クリスの渋い声が素敵で、運転しながら聞くにはもってこいの曲ですよ。


黄昏迄

★『黄昏迄』は「さだ まさし」の1981年ソロ6枚目のオリジナル・アルバム「うつろい」の中の収録曲です。彼の曲の中では今までのアレンジとは違い、中でもスタジオミュージシャンの「松原 正樹」のギターが泣かせる素敵な曲です。


I Will (Take You Forever)

★『アイ・ウィル(I Will (Take You Forever) 』は、「クリストファー・クロス(Christopher Geppert Cross)」と「フランシス・ラッフェル(Frances Ruffelle )」のデュエット曲です。クリスの透き通った声がたまらなく、フランシスとの掛け合いでの息の合った素敵な曲です。


ソモス・ノビオス~愛の夢(DUET WITH クリスティーナ・アギレラ)

★『ソモス ノビオス(Somos Novios)』は、盲目のイタリアのテノール歌手アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli )と「クリスティーナ・マリア・アギレラ(Christina Maria Aguilera)」のデュエット曲です。

優雅な愛の曲で「夏川りみ」とのデュエット曲としても有名です。


Unforgettable...With Love [30th Anniversary Edition]

★『アンフォゲッタブル(Unforgettable)』

ナット・キング・コールNat King Cole )」&「ナタリー・コールNatalie Cole、Stephanie Natalie Maria Cole Natalie cole

1951年ヒットした曲でナットの死後、1991年に娘のナタリーが録音されていたテープにオーバーダビング(重ねて録音)して、デュエット曲となり、ヒットした、愛を歌った素敵な曲です。

私も聞く度、心が豊かになり、大好きな曲の一つです。


ジョイン・ザ・バンド

ゴスペル音楽グループ「テイク6 (Take 6)」のアルバム『Join The Band』は、素敵な曲が詰まっており、その中でのお勧めは、

『You Can Never Ask Too Much (Of Love) 』で、「デイヴィッド・フォスターDavid Foster)」が作曲等で参加している曲で、彼は、松田聖子竹内まりやといった、アーティストのアルバムにも参加していました。メロディーが、グッとくる曲ですよ。

また『Why I Feel This Way』は「スティーヴィーワンダー(Stevie Wonder)」が参加した、ゴージャスな雰囲気を感じさせる曲で、バックコーラスのテイク6の声との絡みが、最高に素敵な曲です。

 

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