心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

幸せの見つけ方(3)

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幸せを考える時、セットのように不幸という言葉がついてきます。

社会が過密で、複雑になればなるほど、不幸と感じる時間が多くなっていきます。

人との交わりが希薄になり、限られた相手とのコミュニケーションに疲れ、家庭まで持ち込んでしまいます。

 

遠い祖先に最初は、幸も不幸もありませんでした。

子育てや食糧、敵からの攻撃と、集団での結束が必要だったからで、平等であり平等でなければ生きていけなかったからです。

その日暮らしが、食糧の分配や子育て等、平等という形で人と人を繋いでいたからです。

平等が、幸、不幸を生み出さなかったとも言えます。

やがて、その日暮らしから、農業という貯蓄できる食料の獲得により、平等さは薄れていき、持つものと、持たざる者、管理者と労働者の様な社会が、不平等や不平感を生み出し、加速させました。

と同時に幸せや不幸せの概念が、徐々に生まれたのです。

 

すなわち、誰かと比べ、良いか悪いか、得か損かが不平等を生み、不幸を作りだしたのです。

その日暮らしである、「今日」という区切りが、明日や未来にまで区切りが引き延ばされ、同時に心配事が増えていったのです。

そして競争社会が追い打ちをかけているのです。

 

不幸は、お金で買えます。

どんな不幸か選ぶ事が出来るからです。

物欲も虚栄心も、喪失感もさえも。

その気になれば、全部買う事が出来るのです。

 

不幸は道連れが大好きなんです。

自分の手で引き寄せることだってします。連れて行こうとするのです。

時には、お金の力で、時には、権力で。

そしてお金が無い人は不幸を選べないんです。

時に人は、選べない不幸を宗教に委ね、また酒や薬物に深入りし、

救いを求め自滅の道を選んでしまいます。

社会に適合できなければ、孤立を生み、心を病んでしまう事も不思議ではありません。

すなわち、不幸は持続させる事も、先延ばしにする事も出来るのです。

 

災害や事故で、亡くなった人や家族は、不幸と言わざるを得ません。

自ら招いたものでも無く、突然日常が奪われてしまったからであり、予期せぬ事だけに、諦めがつかない事でもあるからです。

同じく病気や障害でも、不幸の中にいると見る事も出来ます。

池袋で起きた悲惨な事故は、まだ記憶に新しいのですが、

遺族の方が「亡くなった妻や子供が願う自分でありたい」という言葉は、とても大きく、深い言葉でした。

例え、誰かから見て、不幸だと思っていても、またその中にあっても、

人間は幸せを見つける力があり、日々のチョットした幸せを見つける事の積み重ねが、いかに大切かを身をもって教えてくれているのです。

 

「幸せ」は、受け取ってもらえるかは、気にしません。

自分だけのモノでも無く、強要もしません。

ただ、意志とは関係なく舞い、踊り、自然に体が動くような心のダンス。

それは、シンデレラのように、決められた時間の制約の中に潜んでいるようです。

 

今日という日が二度と来ない事、明日にならなければ、明日の事は解らないという事。

あなたが、時間という限られた枠に気が付いた時に、ふと気づく瞬間です。

何気ない、日常に潜むその瞬間は、準備されたあなたの心に宿るでしょう。

まるで、子供の誕生を待ちわびるように。

子供が見せる笑顔のように。

その時の心は、無条件です。

自然も、時間も無条件に「幸せ」をもってあなたに接しているのです。

見返りという言葉は、そこには存在しません。

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海の満ち引きは、決して同じことを繰り返してはいません。

その、瞬間の連続だけです。

それは、先延ばしにも、留める事も出来ない瞬間です。

 

あなたが見ていようと、見てまいと、そんな事ちっとも気にしていません。

でも、その規則の無い優しさを、あなたが心躍り出すように見る事が出来るのです。

海には、その準備ができているのですから。

 

幸せを、感じる為に何かするのであれば、「幸せ」は、見えてこないものです。

そこには、期待や見返りが顔を覗かせて、

「まだ足りない、もっとある」って言いたがるからです。

「執着」がご機嫌取りになり、「欲」が幸せを奪い取ります。

幸せは、与えるものではありません。

その裏には与えようとする同情、義務が隠れているからです。

それは、一部の宗教にも見られる行為で、布教を目的化し、自分に課す事で他の人を幸せに導こうとする事です。

考えれば解ると思いますが、その本人は、幸福感ではあっても、目的が果たせない限りにおいては、幸せにはなれない事になります。

常に幸せ感という不幸を背負っていることに気が付いてもいないのです。

もう幸せであるにもかかわらずに、

「まだまだ足りない」「もっと広めないと」と。

 

あなたが不幸を持って、どうして誰かを幸せにできる?

あなたが信じる幸せってモノが、誰にでも当てはまる?

誰かから与えられる幸せは、何かに頼っての幸せ感では?

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もしあなたが、お金や、地位やモノ、満足感や優越感で幸せと感じたなら、

同じような幸せを、誰かに感じさせようとしてしまう。

「どうだ!満足したろ」と。

あなたの体験から一歩も外に出ない幸せ感という不幸。

あなたのせいで、先走って、見逃させてしまう事だって起きうる。

幸せは内なるものであり、外から訪れるものでは無いから。

間違えていけないのは、与えられた事による幸福感幸せとは違うという事です。

幸福感は、常に供給を必要とするのです。

お金やモノ、信心や信用。

 

幸せは、自然からこぼれ落ちたカケラを拾う事です。

カケラを探し、見つけ出す事から始まります。

誰も見ない落ちてるダイヤは、ただの石ですが、

あなたが見つければ、光り輝く宝物になります。

もう、既にそこら中に落ちているんです。

みんな、探そうとしていないから、見ていないだけで見逃してるんです。

 

幸せは

今日見つけないと

明日は何があるか解らないよ

「有り難う」

「ごめんなさい」

「大好きだよ」

そして

「愛してる」

明日に引き延ばす言葉じゃないんだからね

その言葉には

幸せが隠れてて

伝えたっがているんだ

気が付かない?

 

何も持たずに生まれて来て、何も持たずに旅立つのです。

無くても良いものを抱え込み、持つ事が心の渇きになり、飢えて苦しみます。

いずれ、最後には手放す事となるのに。

 

幸せは、無関心の中にはありません。

愛の反義語が無関心だからです。

無関心は孤独や孤立を取り込んでしまいます。

だから社会が無関心であっては、そこにある幸せを見つける力を人々から奪っていきます。

 

しかし、幸せを考える時、まず「人間関係ありき」から考える事が間違いなのです。

孤独や孤立は、人間関係の中で生み出され、精神状態に悪い影響を与える事は、科学が証明しています。

良き家族や友人に囲まれたなら、心穏やかに過ごす事が出来るかもしれません。

もしその様な事が叶ったとしても、幸せかどうかは解りません。

誰もが、そのような理想の様な生活をする事も出来ないのです。

人間関係を良くする為に、あれやこれやといらぬ言葉を考え、モノを分け与え、

結局残るのは、自分の中の満足感で、それを満たそうと、キリがないのです。

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花の種を鉢に植える。

毎日芽が出るのを楽しみにしながら。

待望の、芽が出て葉が大きくなる。

いずれ咲く花を、あなたは楽しみに待つ。

種は、鉢の大きさも、水やりの機会も選択できないが、

あなたの知らない所で、小さな鉢の世界に閉じ込められながらも、

見えない土の中に根を伸ばし必死に生きようとしている。

種がまかれた場所や日の光、土、水やりの仕方を運命としてあきらめてはいない。

今できる事を、精一杯やっている。

そのけなげさに、心動かされないで何を求めよう。

 

幸せを見つける時に、運命や定めという理由を持ち込んではいけない。

それと幸せは、何の関係も無い事。

今を生きる。

どんな事があっても生き続ける。

その中でしか見つけられない。

 

幸せは、人間関係の中だけで感じられるものではありません。

愛は、人間同士だけではなく、この世にすでに満ち溢れています。

誰でも、いつでも、何処ででも見つける事が出来るのが「幸せ」です。

見つける力は、誰もが持っています。

自然の中に見る、ほんのチョットとした出来事の中にも隠れています。

本を読んだ時や音楽を聴いた時だって、幸せな時間を作ってくれます。

光に透かしたビー玉の中にだって、あるのです。

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教えてあげて下さい。

あなたが「しあわせ」を見つけた方法を。

あなたのやり方で。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

「I never think of the future.It comes soon enough.」

『私は未来のことなんか考えない。だって未来は、すぐそこに来ているのだから。』

 


シッダールタ(新潮文庫)

ドイツ生まれのスイスの作家『ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse』は、『シッダールタ(Siddhartha)』という1922年に書かれた、悟りの境地に至るまでの苦行や経験を描いている小説で、映画化もされていて、主人公の苦悩や悟りとは何であるかを、ヘッセ自身が投影されているかのようで、ブッダと重ねて描かれた作品です。

頭の中に映像が鮮やかに浮かび上がり、是非読んで欲しいと思います。

 


3Dリアル自然音「波の音」

『3Dリアル自然音「波の音」』

たまには、波の音を流しながら、ゆったりするのもいいかもしれませんよ。

私も、波の音を聞きながらブログを書くことが多いんです。

 

 

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