小さい頃からとても宇宙に興味があり、当時は今ほど都会に近い校外でも明かりが多くなく、見上げるとたくさんの星を見る事が出来ました。
1969年7月20日、アメリカの宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、アポロ11号で月面に着陸した映像を白黒TVで観た時の感動はいまだに忘れられません。
そんなある日、寝ながら宇宙の事を考えていた時に、もし私がこの世から居なくなっても宇宙にとっては何の変化もないんだろうと。
子供ながら自分が暗い穴の中に落ちる感覚になった事がありました。
そして死の怖さが始めて心の中まで入り込んだ時間でした。
そして20代の頃小さな望遠鏡を買い、月や土星を見て感動していた覚えがあります。
と同時にSF小説や映画へと、その幅が広がっていきました。
SF映画は覚えている限り、初期の頃はアニメーションの様に人形をコマ撮りし、実際の俳優たちの映像と組み合わせて作成されていました。
1933年アメリカ映画「キングコング(King Kong)」やギリシャ神話をベースした1981年公開のアメリカ映画『クラーケン/大海獣』が有名で、やはりレンタルのVTRで見ていました。
1954年に日本の制作で公開した白黒の特撮怪獣映画『ゴジラ』の着ぐるみ映画は、その撮影方法の工夫も素晴らしく、白黒の画面と相まって世界でも高く評価された映画です。
そして私が好きだった宇宙を題材にした映画がどんどん作られる様になっていくのですが、タイムトラベルや異星人という、創造力失くしては作られないそれらの作品を待ち望んでいました。
最初に衝撃を受けたのは1968年公開の『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)で、脚本はキューブリックとSF作家のアーサー・C・クラークで、監督はスタンリー・キューブリック。
勿論、私の年齢的にも公開映画では無くVTRで観たのですが、コンピューターや人工重力、宇宙食など、物理科学的な検証の元、作成されていて大変驚きました。
その後、SFブームで、映画『スター・ウォーズ(Star Wars)1977年公開』や『E.T 1982年公開』は、私にとっては、まさに「待ってました!」と。
宇宙の事を知れば知るほど、なんて地球はちっぽけで、塵のような存在なのか。
でも、広大な銀河の中の太陽系第三惑という、奇跡のような位置に存在し、命溢れる星として今がある事に、何か大きな存在がいて見守り続けているような気がしてなりません。
リンゴの木から始まった「重力」一つとっても、体重とは地球が引っ張る力の事でもあり、同じ原理で海の満ち引きが起き、太陽の回りを楕円を描きながら一年過ごしているという事に、そして太陽系自体が天の川銀河の中で回っているという殊に、未だに驚きと新鮮な思いを抱きます。
私達は本当に奇跡の様な存在なのかもしれません。
命そのものも、そして知的生命体としても。
数多くの人達の「想像力」のお陰で途方もない宇宙観という世界を知りつつあります。
わずか80年足らずの命の尊さを、星を見上げる度に感じるのです。
星を見るのが大好きだった
吸い込まれていきそうな
余りにも果てしない空間に
いつまでも心を委ねていたかった
自分の生と死を重ね合わせながら
小さな望遠鏡で宇宙(そら)を見ていた少年
今では日常に追われ
うつ向いて
見上げる事も少なくなって
ただ 冬になると思い出すように
都会の宇宙(そら)でオリオンを
今でも探している
ちっぽけな
可能性に満ちた
少年の自分に逢いに行く為に
『星の願い』オリジナル曲
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