人を楽しませる為?
人の役に立つ為?
それとも人に尽くす為?
私達を含め多種多様な生き物の存在の意味、多様に成らざるを得なかった理由、
それは生命の「可能性」という事です。
人の存在は地球上の生命の連続、様々な可能性の一部であり、
選択肢の一つにすぎません。
生物が命をつないでいく「可能性」を広げる為なのです。
ですから、
人間が生物の中心でも頂点でもありませんし、他の生物が人間の為に存在しているわけでもありません。
まして支配する事など出来るわけがないのです。
命という大きな連続のほんの一部にすぎないのですから。
他の生物にとっては、こんなにもたくさん生息する人間がいなくなるほうが、むしろ好都合かもしれないし、食物連鎖がたとえ切れたとしても、また新しい連鎖がきっと出来上がるでしょう。
言い換えれば、どれかの生物がこの地球上で生き残ればよいのです。
生物は進化し適応し、空を飛び、水に潜り、牙を持ち、体を大きくあるいは小さくと、その能力を最大限生かして生き延びようとしてきました。
一見人間が利用しているように見える犬や猫などのペット、食べられる側の牛や豚も、衣食住を提供し繁殖の手助けをしてくれる人間の側にいる事によって、逆に利用し、種を絶やさぬよう最大限の努力をしているのです。
彼らは人間をうまく利用しているのです。
遺伝子の連続が目的ならば、個体の死がたとえ短くても良いのです。
(それは人間にも言える事で、医療や環境が悪く子供の生存率が低くなれば、人はたくさん赤ちゃんを生み、生き残るよう確率を上げ、生存率や平均寿命が高くなれば出生率は低くなります。)
木や花も同じ事が言えます。
花が人間を楽しませる為にわざわざ存在している訳ではありません。
人に気に入られる事によって種を効率よく継続しているのです。
もし人がいなくなればそれらの花は他の雑草との生存競争にもしかしたら簡単に負けるかもしれません。
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