心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

宗教とは?⦅自分と向き合う⦆(5)

あれほど騒いでいた宗教関連のニュースもあまり報道されなくなった。

政治家が票欲しさに宗教団体を利用している事も、宗教二世問題も何かあやふやなまま時ばかりが過ぎていく感じだ。

新興宗教も含めて宗教と共に生き、関わりのある人達は欧米に比べ少ない事は確かだが、宗教心は誰でも持っているだろう。

節目節目の行事や冠婚葬祭時には、何らかの形で宗教というものが関わってくるからだ。

また、自然と植え付けられてきた謙虚さの表れともいえる。

動植物を殺める時や事故が起きない様に、災害が起きないようにと手を合わす事も、教祖や経典、聖書を読んでいようがいまいが自然と身についている習慣だ。

ただ、誰しもが良心と言ってもよい根底に流れている教えを守って生きている訳では無い。

「宗教を信じていないからだ」という意見もあれば「宗教こそ争いの源ではないか」という人もいる。

以前の記事で書いたが、「教え」が宗教になったしまった時点で様々な人間の欲望が入り込み、マスター達(この記事では仏陀やイエスムハンマド達の様に宗教と言われる形以前の教えを説いた人達の事を指しています)の伝えたかった事を歪めてしまっている。

私の両親は仏教徒であったし、妻はキリスト教だが私自身は、どの宗派も信じてはいない。

ただ無神論者かと聞かれると、神と呼ばれる存在を否定してはいないのでYESともNOとも言える。

大きな宇宙全体の流れに組み込まれた私達が何かしらの大きな存在の意志によるものかもしれないという意味で、仮に「神」と呼んでいるだけである。

ブログ記事の中で、私の廻りで大変な思いをしている事を書いた。

私より年上の夫婦は今離婚の危機に面している。

20年以上私の妻も含めての付き合いだったから、私達も辛い。

私達も含め、お金さえあれば解決できる?問題なのだが、色々考えてしまった。

人間は窮地に追い込まれてしまうと、その度合いにもよるが思わぬ行動に出てしまう。

我を失った状態と言ってもいいだろう。

友人夫婦を見て、自分に置き換えてみると客観的に見る事は出来ないとさえ思った。

問題の受け皿も自身を責める人もいれば、人を傷つける方向に向かう人もいる。

そして宗教に救いを求める人達と、何かしら行動する事でその場から離れたいと思うからだ。

死刑囚が信心に目覚めるのとよく似ている。

宗教により自尊心を取り戻し、生きる力を得たならば素晴らし事だと思うし、自身も含めて他人に危害を加える方法での逃避よりも遥かに良い選択だろう。

 

人間は弱い。

人生は苦の連続であるし、生きる事、生き抜く事は至難の業である事に変わりない。

まして、天敵が同じ人間であるから何か他のものにすがりたくもなる。

ただ、やはりお金では何も変える事は出来ない。

どんなに献金しても、多くの寄付やお布施をしても根本的な捉え方を間違っていては、何の意味も無さない。

すなわち、お金で幸せや安息は買えないという事実だ。

先回りして支払っておけば大丈夫という一種の保険のようなモノでは無いからだ。

交通安全のお守りを持っていれば事故を起こさないという考えと、さほど変わりないし、以前も書いたが、「子供が乗っています」のプライバシーをさらけ出すステッカーは、後部にではなくフロントガラスに自分が見るように貼る方が、よっぽど効果がある。

要するに自分が抜け落ちてしまっている。

昔、同じ宗派の人間が助けてくれたからこそ、今があり助かったという話を何人からも聞いたし、「信心の力は大きい」「信心が病気を克服できた」そして「あなたも信じなさい」と熱心に説く人達にも出会ってきたが、宗派の中で助け合うだけなら、宗教の意味から逸脱している事になる。

「あなたの為に祈る」ならまだしも「信じなければ救われない」という主張は自分自身の存在を殺してしまっているのと同じ事だ。

そんな事をマスター達は望んでいない。

例えば「他力本願ではダメだ!」という言葉をよく耳にすと思うが、「他力」は誰かに頼るという意味ではない。

よりどころにし、謙虚であれという意味であり、問題を丸投げする事でも、誰かの力を借りて解決する事でも無い。

他力は自我を捨てる事を意味する。

様々な苦しみや悲しみの元になるものを捨てる事で見えてくるものがあるとも言える。

どのマスター達も伝え方は違えど、同じ事を伝えようとしていた。

 

宗教ではその信仰する人達は教祖や指導者、そして神に対し常にYESで答えている

仮に疑心暗鬼になったとしてもYESという答えを用いる事で、迷いや不安を消そうとしている。

周りの人の意見も含め、他の考え方もある事すら拒否し、自分の考えすら否定する。

すなわち無条件で考える事を辞めてしまっている思考停止状態だ。

NOは宗教に対しての裏切りであるという思い込みと、そんな自分を正そうとより宗教にのめり込んでしまうのだろう。

 

閉じる事は簡単だ。

責任を誰かに委ねる事と同じで、自ら世界観を狭める事で、まるで小さな子供が隅っこで膝を抱えているのと同じであり、自ら行動する事をしなくなる。

声を掛ける人が宗教だとしたら、頼ってしまうのも仕方が無い事だろう。

その言葉は心地の良く、信じさえすれば解放されると思い込んでしまうからだ。

 

教祖や指導者、そして神にYESと答えるなら、自分自身や他の人の言葉もYESでいるべきだ。

すなわち自分に正直でいる事に尽きる。

つまり冷静な判断力を持つ事と同時に、生きる事への執着と覚悟なのだ。

それは、見返りを求めない事であり、自身の幸福や死後の世界での安泰、生まれ変わり等を心配する事では無い。

幸せや不幸、来世や輪廻はあなたがいないと存在すらしない

心が生み出しているそれらの恐れや心配は

心だけが答えを出せる

その心さえ人任せにしては

生れた意味さえ台無しにする

自身への問いかけこそ

かけがえのない安息への扉だ

 

誰もが悩みを持っている。

誰もが生きる意味を探している。

生きる事は「苦」であり

始めから楽な事は無いのだ。

ただ、大きな流れとカオスに満ちた秩序に全てが組み込まれている。

「自分が居なくても」「何故こんな思いをしなくてはいけないのか?」と考えるのは、その大きな流れを理解していない事と等しい。

その流れこそ「神」と呼ばれているモノなのだ。

その神は願い事を聞いたり、望みをかなえたりする訳でも無い。

あなたの存在が欠ける事がいかに大きな影響を及ぼすか、何も語らず見ているのだ。

だからこそ、自身の存在を神にさらけ出す事で、その神の意志を知る事になるのだろう

 

自身の「欲」から出来る限り遠ざかる事。

そして誰かの幸せを願う事が大きな流れには必要で、あなたはその流れの中に既に存在しているのだ。

 

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20221028152413

生と死の狭間⦅今何をすべきか⦆(2)

人生も後半に迫り残りの事を考える様になった。

この歳になると訃報も増え、見送った人も多くなる。

以前の記事でも書いたが、「死」を意識したのは大好きだった叔父の死からだ。

今の様に病院で亡くなり、葬儀業者が全て用意し、棺桶に入った顔を見るといった過程ではなく、自宅に運ばれ、死装束(しにしょうぞく)に着替えさせ、遺体の周りに親族が集まり一夜を過ごす時代。

私にとって「死」は動かず、話も出来ず、硬くなる叔父を陰から見ながら、恐ろしもの、怖いものとしての認識しかなかった。

当たり前だが、誰でも「死」の事を考え、恐れを抱いき死後どうなるのかという疑問を持つ。

誰も死後の世界の事を知らないからなおさらの事だ。

拍車をかけるのが、地獄や天国といった話や映像媒体で死後どうなるのかという情報を幼い頃から植え付けられる事だ。

TVでは老いる事がさも悪い様に、健康食品や化粧品、健康器具と実際に若く見える人達を映し出し、「え~そんな歳には見えない」と人に言われる事の快感を人々の中に植え付け、売り上げを伸ばしている。

 

反対に老いる事は仕方が無い事であり、老いる事は経験も積んでいて老いなければ見えてこない事があるといったような前向きな意見もある。

否定的な、いや受け入れるのを認めたくないとする風潮や肯定的にとらえ、まだまだ幸せに生きる事が出来るという二極的な見方が多い。

しわを取り健康食品を飲み、日々運動を欠かさない生き方が幸せな生き方かどうか?

老いを受け入れ、経験を活かし何か生きがいになるものを探し、静かに暮らす生き方をどれほどの人が実行できているのだろうか?

結局根底にあるのは、老いは辛い事であり、死を意識する時間である事に変わりない。

先延ばしにするか現実を受け止めるかの心の持ちようであり、その選択が幸せかどうかは別問題ではなかろうか。

もっと言えば、一時的な幸福感を手に入れているだけで、それを維持する為に奮闘しているといっても良いかもしれない。

 

若く見えるといわれて嫌な人はまずいないだろう。

女性だと、なおの事嬉しく感じるものだ。

その事が生きていく活力になり、幸福感を得られるなら良い事だと思うし、健康でいる事も大切な要素であるには変わりない。

 

私事で恐縮だが、若い頃はよく鏡を見ていた。

勿論異性を意識しての事だが、中年以降鏡はほとんど見ない。

特に心を病んでからは急激に老けた顔になってしまった。

それでも、ハローワークや履歴書、運転免許更新等で写真を撮らなければいけないので、その老け顔と対面する事になる。

男性の私ですら、目の下のたるみやシワを見るとがっかりするのだから、女性だともっと辛い気持ちになる事だろう。

しかし、これも現実で仕方がないと思うと、少しは気が楽になる。

「よし、中身で勝負だ」と言い聞かせ日々精進しているのだが、そんな簡単に上手くいくわけが無い。

「死」が身近になり意識する事が多くなったのも歳のせいだが、まだまだ借金返済や高校生の息子の事やフィリピン人の妻の事も関係している。

当たり前だが負債を残したくないし、年金をもらえたとしてもとても生活できる金額では無い。

また働けなくなった時の備えもほぼ見通しが無い状態で、「今死ぬわけにはいかない」と考えるばかりである。

ただ「死」は若かった頃に比べて、受け入れられるようにもなった。

恐ろしい怖いものという考えは今は無い。

残された家族の事が心配なだけで、十分な財力があればの話だがいつ死んでも悔いはない。

 

誰でも必ず死ぬ。

そして生き方や死生観も人それぞれの考えを持っている。

それは生まれてからの経験、すなわち様々な情報を取り込み、自分なりに消化しているという事だ。

時代はどんどん変わっていき、情報が溢れ、人と比べる機会が増えている現代。

ほとんどは、失敗の事より成功の話をしたがり、身の丈よりも大きく見せたいのが人間だ。

自分よりも大変な思いをしている人達を同情しながらも、まだ自分はいい方だと考え、安心感を得、それをお茶の間で見ては、いつの間にか忘れてしまうの繰り返しをしている。

人間は優越感を得るのが好きな動物なので、逆を言えば劣等感を受け入れたくないという防衛本能が働くのだ。

そしてドーパミン欲しさに次から次へと情報を集め、満足感を得ようとしている。

ニュースで動機がよく解らない凶悪な犯罪、例えば「誰でもいいから殺して見たかった」という様な事件から、つきまといやストーカーから殺人事件に発展するような事件報道をよく見るようになった。

一見繋がりが無いように思うこれらの事件。

その裏にあるのは、誰かと比べ自分の立ち位置が余りにも低いと感じ、「何故自分だけが」という不幸を自らの手で作り出し限界を超えてしまった結果の行動とも言える。

 

TVでもSNSでも、若くいられる事を幸せと結び付け、グルメや旅行、恋愛の理想像ばかり垂れ流されている。

それらの情報を鵜呑みにし、理想を幸福感を得る為のゴールにしてしまっているのだ。

それは、経験なしに答えに行き着く短絡的な思考になっている事を意味している。

そう、過程が無いのだ。

以前にも書いたが、今パートナーと手を繋げないならその先も繋がないだろうし、歳をとったらゆっくりと旅でもと考えていたとしても、その時にはもう行かないだろう。

当たり前の生活の時間の中で、相手を幸せに出来なければ、先延ばしにして将来にやろうと思っても出来なくなる。

そう、だからこそ過程が大切なのだ。

死は個々としてはゴールである事に変わらないが、本当はゴールなど無いのだ。

積み上げてきた生の経験から学び、それを誰かの役に立て、つなげていくリレー選手の様なものだ。

自身の欲求を満たす為に、幸福感を味わう為に生れた訳では無い。

このブログでいつも書いているが、死ぬ為に生れたのだ

そしてルールに縛られない、遊びを、それも出来るなら大勢の人達と楽しむ為でもある。

それは、年齢や外観に囚われる事では無い。

リレー選手の例えでいうなら、スタートラインもゴールも走る距離も、そして外観もみんな違う。

それぞれの生き方でバトンを渡していく。

自分が若い世代や子供達に何を伝え、身近にいる人にどんな事を出来るかが一番の幸せにつながる道だ。

そしてその事は、先延ばしでも誰かの受け売りでもなく、今、自分自身で決めやる事なのだ。

どんなに若作りに励んでも、健康食品を買いジムに通って鍛えても、クレマーになったり子供の前で信号無視を平気でしたりする生き方なら、バトンを手渡してはいないまま死を迎える本当のゴールになる。

歳をとってもあきらめないという事は素晴らしい事だが、その目的が目先の幸福感を得る為だとしたら、生まれた意味はいったい何の為なのだろうか?

 

平均寿命も延び、介護や貧困の数もどんどん増える日本。

お金が無いと心配事ばかり増えるこの国で、歳をとる事、老いる事が不安になる人が増えてもおかしくない状況の中で、残された時間に何をすべきか?を振り返りながら考える必要があるのだ。

「やり残したことがある」というのが死を目前にした人達の一番の後悔だと言われている。

決して時間を無駄に生きてきた訳でも、後悔する為に過ごしてきたわけでも無いはずだろう。

いつ死んでもいいという生き方も口で言うのは簡単だが、経済的な理由や健康等、現実問題に追われて、そこまでの覚悟が出来ないのが普通だろう。

ならば、周りの情報に惑わされる事無く生きる意味を考え、何をすべきかに時間を少しでも使うべきだと思う。

日々の優しさの積み重ねが、悔いのない最後となる事は間違いない。

 


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20221028152413

外国人の苦悩⦅嫌われる日本⦆(3)

ある知り合いのフィリピン女性が家族ビザ(査証)で弟を日本に呼びました。

家族ビザでは働く事も出来ませんし、最高でも延長手続きが認められたとして6ヶ月です。

観光や、女性の子供相手をしたりして生活をしていました。

勿論日本語が全く出来ません。

私達夫婦の傍に住んでいたので、彼とも仲良くさせてもらっていました。

弟さんはSNSをやっていたのですが、偶然学生の頃の女性と連絡が取れ、そのフィリピン女性が日本に住み、電車で1時間半の所に住んでいる事が解りました。

弟さんは懐かしさもあり、会いにいく事になったのです。

弟さんには3人の子供がいて奥さんは病気で亡くなってしまいましたので独身でした。

同級生のフィリピン女性は離婚し独り暮らしで、大手の会社で働いており、マンションをローンで買うほど日本での生活になじんでいて、日本語もしゃべれる人でした。

何度か弟さんは会いに行き、お互いに心を通わせ結婚したいと思う様になったのです。

 

弟さんが帰国後、そのフィリピン女性は結婚を決意し日本国籍を取り、弟さんとフィリピンで結婚。

その後配偶者ビザで再来日したのです。

私達夫婦の所にも、二人で遊びに来るぐらいの仲の良さでしたが、その妻となった女性が私に相談してきました。

会社でイジメにあっている事や無視されるという様な事で、私なりのアドバイスをしましたが、その後休職し数か月後に退職してしまいました。

ローンの事もあるし、大手の会社なので何とか工夫をしてもらい、やめる事はしない方が良いと話した矢先でした。

夫である弟さんは仕事が見つかり働いていたのですが、フィリピンに残してきた子供達に仕送りをする為でもありました。

その事は妻の了解も得ていましたが、妻がうつ状態になってしまい、病院に通いだしたのは良かったのですが、先生が気に入らないという理由で辞めてしまいました。

家のローンや管理費、食品に光熱費と支出は待ってくれません。

夫は日本語が解らない事もあり、金銭管理は妻がやっていました。

妻は長くて一週間ほどしか仕事が続かず辞めては探すの繰り返し。

夫に対しても暴言を吐くようになってしまいました。

夫は結婚ビザですから妻の助け無しには更新もままなりません。

家事を全部こなし仕事に行き、家では夫婦喧嘩の毎日。

ビザの事があるので夫は妻に何も言い返す事もしませんでした。

そんな彼から電話をもらい、近況を聞き始めて私達夫婦は実情を知りました。

夫の収入は、税金などを引くと15万円で仕送りに5万円。

残りは全て妻に渡していましたが、妻はその仕送りを辞めてくれと強い口調で言い始めたのです。

電話があった時に、こちらに一泊でも一人で来ないかと提案。

彼は土日を利用し自分の妻の許しを貰いやってきました。

しばらく会っていなかった彼は体も痩せ、ロクに食べていない事や、妻の暴言で心がまいっている事、今後ビザを更新してくれないかも知れないなど涙ながらに私に妻にタガログ語で話していました。

丸二日、彼は何もしないでもいい時間を過ごし、少し心身とも落ち着き帰って行きました。

 

幸せになる為の再婚同士が、より苦しむ結果となってしまた事と、お互いの人生設計が一気に狂いだし、

私達に何が出来るか、夫婦で色々と話し合っていますが、良い知恵がなかなか思いつきません。

彼の妻は、心が病んでいる事を解りながら認めたくないようです。

離婚する可能性も高くなって、何かあれば手続き等手助けする約束しか出来ませんでした。

日本に夢を描き、幸せになれると信じ来日した彼。

誰も幸せにはなっていません。

体も心も壊れていく彼の姿を見るにつけ、外国人にとって日本とは?

考えてしまいます。

 

前回から書いてきた在日外国人達の苦悩はほんの一握りで、日本全体からするともっと深刻な状態の人達もいる事でしょう。

入管施設で亡くなった女性に対する扱いが明るみになるにつれ、その対応のひどさを問われています。

入管法が改正され、「死ね」と言われている事と同然の様な強制送還される難民認定待ちの人も多くなるかもしれません。

また、政府はいわゆる3Kと言われるような人材不足の日本で、外国人労働者をこれからも職種を拡大して受け入れようとしています。

外国人による犯罪も、その多くが彼らを犯罪へと走らせる日本社会の裏の部分が起因しています。

また、外国人労働者日本語学校の裏で搾取する日本人がいる事をもっとマスコミも追及すべき事でしょう。

彼らは安全を求めて、また家族を養う為に安心安全な日本を夢の国として選んで来日してきているのです。

反対の立場になれば解ると思いますが、日本人が外国で問題にぶつかった時、果たして自力で何が出来るでしょうか?

誰が助けてくれるでしょうか?

世界経済フォーラム(WEF)がまとめた2023年版「ジェンダーギャップ報告書」で日本は男女平等の達成度合いは、なんと調査対象となった146カ国のうち125位という情けなさです。

社会は人間が、人間らしく生きていけるように作られた仕組みであるはずです。

国籍やマイノリティー(少数派)、性差や障害に有無で区別される社会は、結局自分達の首を絞める事になります。

誰でも歳をとります。

病気にもなります。

今まで普通に出来た事が、日常が、ある日突然出来なくなる可能性は誰にでも起きうる事です。

災害が多い国であり、原発のコントロールもままならい状態で、更に増やそうとしている国。

有事が起きる可能性を強調し、軍備費の大幅拡大を決めた国。

本当に正しい税金の使われ方でしょうか?

 

おもてなしの国の裏では、多くの弱者が苦悩を抱え、経済格差を広げ、貧困や一人親世帯等で子供達の未来までもが奪われています。

 

このままでは、日本に行きたいと思う外国人はいなくなってしまいます。

未だに民族主義や家族の在り方にこだわる人達。

そしてその事を背景として存在する宗教団体に媚びる政治家。

 

身近に外国人も含め、助けを求める人がいたら傍観だけはしないで下さい。

一声かけるだけでも救われます。

残念ながらまだまだ外国人の苦悩は続く事でしょう。

 

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20221028152413

外国人の苦悩⦅在日外国人⦆(2)

国際結婚した私の廻りには、悲し現実がいっぱいあります。

その悲しみは、当たり前ですが本人が望んで作り出したモノでは無く、考え方や価値観、そして病気等、不可抗力な事が原因になっています。

 

政府統計e-StatのHPによると、具体的な数字は避けますが、国際結婚した夫が日本人で妻が外国人の離婚数は5~60%にも上ります。

その妻の国籍は圧倒的にアジア圏の国。

勿論離婚理由は、日本人同士と同じ性格の不一致や、環境や食べ物になじむ事が出来なかったり言葉の問題だったりと、外国人ならではの理由もありますが、少なくとも私の廻りでは金銭的な理由が大半を占めています。

 

外国人との結婚を目的としたサイトもあるし、在日中に日本人と知り合い結婚する場合もあります。

また、日本のビザ所得目的の偽装結婚もなかなか失くらないのも現実です。

取り締まりの為の実態調査人員が圧倒的に少ない事も、要因として考えられます。

日本人ブローカーだけでなく、在留外国人による斡旋も巧妙化しているのも原因で、全てが外貨稼ぎとは言えませんが、法の網をくくり抜け在日している外国人は、ほとんどお金目当てです。

 

以前にも書きましたがアジア圏から来日した人達は、本国の家族を養う為に来ています。

私もそうですか、フィリピンパブの様な夜の世界での出会いや職場、知り合い等を通して結婚に至るケースが多いのですが、私の経験から見ると日本人の多くが裕福では無いという事です。

勿論人間ですから、お金持ちやビザ欲しさで結婚する外国人もいます。

例えば外国人パブの場合、裕福で店に対して気前のいい使い方をする人は、ほとんど結婚相手として女性達は見ていません。

自身の売り上げの為に気を引こうとしているだけで、本心では無いのです。

彼女達が再婚相手や結婚相手に求めるものは、身長や顔、学歴といったステータスでは無く人間性を重視しています。

いくら店でお金を使っても、また個人的に高価なプレゼントをしても意味が無いという事です。

それは逆もしかりで、日本人パブやキャバクラでもいえる事です。

 

現地語のタガログ語以外に、教育では英語が使われるので、ほとんどの人は英語が話せますから、外国との取引や翻訳といった仕事はありますが、それにつける人は大学出で、ある程度専門知識を身に付けている人に限られます。

要するにフィリピンでは大学に行かなければロクな仕事が無いので、親は大学の費用を何とか賄わなければならないのです。

勿論大学に行けない人の方が多いのが現実ですし、学校すら通えない子も沢山います。

同居する両親や兄弟も多く、中には親類が同居している場合もあります。

結局大家族で暮らす人達が多く、当然生活費もかかります。

ではそもそもまともな仕事が無いフィリピンにいる人達は一体どうしているのかと疑問に思うかもしれませんが、その日暮らしの様な日雇いや洗濯の請負、食品加工等、低賃金で働いているのが普通です。

しかも時間給でもらえる仕事はほとんどなく、一日いくらというシステムです。

ちなみに私の妻の姉は、加工場で朝から夜まで働いても1日2.000円にしかなりません。

物価も上がり、子供の数も多い家庭では食べていくだけでも大変なのです。

マニラ等の大都市の賃貸料金は2kで15.000円。

大家族で住むなら最低でも30.000円もかかります。

たまにニュース等で日本の大型船の事故等が起きた時、船員がフィリピン人という事からも分かる様に、フィリピン人は外国での出稼ぎ者が多く、その外貨で家族を養っています。

特に女性は、中東国やアジア圏でハウスキーパー、いわゆる家政婦として働いています。

暴力を振るわれたり、性被害に遇ったりする人も多くいますが、訴える事も出来ず実態はハッキリとしていません。

 

話を戻しますが、私の妻がフィリピン人なので、妻をとおしてフィリピン女性と知り合う事が多いのですが、そのほとんどが真面目で仲の良い人達ですが、過去には地下バンク、いわゆる海外送金を違法の手段で請け負っているフィリピン人もいました。

また、日本人の夫と共謀して低賃金で働かさせる窓口になっていた女性もいました。

郷里を同じとする人間同士がだましたり搾取したりしているのを見るにつけ、心が痛みます。

このような事案の裏には必ず日本人が絡んでいるのです。

 

私達夫婦の知り合いで、フィリピン人の妻と結婚した日本人の場合ですが、妻には当然家族がいます。

結婚する時に、フィリピンの家族に援助しなければいけない事も話し、男性も承知の上結婚しました。

男性は、妻の親族が漁師である事を知り、生計を立ててもらう為ボートを購入し、これで援助は出来たと考えました。

しかしボートで魚を獲り、収入があったとしても、その日の売る上げ全て使い切るので(フィリピンでは先の事より今の事を優先する)、当然維持費や燃料代が払えなくなり無用の長物となってしまい、売り払ってしまったのです。

妻はその事を夫に話せなく、当然フィリピンの家族は困窮したままの状態になりました。

そこで、カードローンや銀行ローン、知り合いからの借金に手を出し、お金の利子等常に悩まさせられる事になり、心を病んでしまいました。

結局、自宅を売る事になった時点で夫に話し返済をしましたが、現在も借金があるとの事です。

要するに夫に全て話せなかったようです。

幸い、この夫婦場合離婚は全く考えてはいないので、早く落ち着いた日常が来る事を願っています。

 

あるフィリピン人と結婚した日本人の夫の家族ですが、二人の間に3人の子供が生まれ長男は、現在高校生。

一番下の長女は小学3年と、何かにつけお金が必要な生活を送っているのですが、この家庭でも妻のフィリピンへの送金の事で夫婦喧嘩が絶えませんでした。

ただでさえ子供にお金がかかるのに、送金なんて出来ないという夫と結婚当初から送金する事を話していた妻。

子供が大きくなるにつれ現実問題として二人を苦しめる事になってしまったのです。

結果、妻は心を病んでしまいました。

最初は胃の不快感や頭痛に悩まされ、病院で検査しましたが異常なし。

私達夫婦の説得で、精神科を受診し心が病んでることが原因だと解りました。

先生との問診時に私達夫婦も同席しました。

日本語が上手くない彼女にとって、心の状態を表現するのが難しく、私の妻がタガログ語で聞き、私が妻の日本語を補助する形で状態を伝えたからです。

この時点で子供達の食事も満足に作れない状態になっていました。

パート先からも解雇され、夫は60代半ばで今以上に働かなければならない状態になり、家に帰ると酔っぱらうまで酒を飲む生活。

問題なのは、当初夫が妻の心の病気を認めない、すなわち怠け者として捉えていた事で喧嘩になってしまった事と心の病気を今でもちゃんと理解していない事です。

私が彼女の夫に電話をし、精神科に来るように頼んだ時も、「面倒くさい」「なんで俺が行かなくてはいけないのか」という他人事の様な彼の言葉に胸が痛みました。

私達夫婦の友人である彼女からの話でしか現状が解らない事と、夫の言い分もある事なので一概に夫が悪いとは断言できません。

母親がクリスチャンという事もあり、長男が生まれてすぐ洗礼を受け、日本の教会に私達夫婦も立ち会いましたが、あの時の写真は皆が笑顔で幸せに満ち溢れています。

20㎏も体重が落ち、やせた彼女を見ると、どうする事も出来ないジレンマに頭を抱えてしまいます。

長男は、金銭的な事情が解る歳なので、友達との遊びを断っていたそうです。

外食や、カラオケなどお金がかるからです。

今も、「子供の為に」と頑張っている彼女が普通の生活に戻れるよう、微力ながら助けるつもりではいますが。

 

私達夫婦の共通の友人で、近所に一人で住んでいるフィリピン女性がいますが、日本人と結婚し一人の子供に恵まれましたが、不仲になり離婚。

いつの間にか子供の親権を夫が持ち、息子とは逢わせないと言い放って子供と家を出ていきました。

 

そして彼女は心機一転、私達の近所に引っ越してきたのです。

母親として、子供に逢いたい気持ちを殺しながら生活していました。

夫が母親に会わせないよう連絡先や、電話番号を消し、番号も変えてしまったので、一切逢う事も話す事も出来ませんでした。

それでも、当時中学生だった息子を見たくて彼女なりに色々調べ、会えば子供に辛い思いをさせると思い、学校の運動会に陰から息子の姿を見に行った事を話してくれました。

夫と子供は引っ越ししたらしく、居場所さえも解らなくなってしまいました。

その後、その別れた夫が病気で急死。

子供は児童相談所に預けられ、児童相談所が母親を探り当て、連絡して夫の死や子供の居場所を知る事が出来ました。

夫が亡くなって3ヶ月もたってからの事です。

私達は知り合いの弁護士に頼み、児童相談所とのやり取りや、多額の借金を背負わせないための財産放棄手続きをお願いし、やっと児童相談所で面会出来る事になりました。

職員や弁護士を交え、16歳になっていた息子との意思を確認し母親の元に引き取る事が出来たのです。

 

子供に関する銀行カードや働いていた為の書類等は児童相談所の方が出来る限り集めてはくれましたが夫には肉親がおらず、関係を断っていた従弟が骨を持ち帰っただけで、借金の事もあり弁護士の助言で借りていたアパートにも行けず、結局一切夫の情報を手にする事が出来ませんでした。

 

外国人には日本で戸籍が作れません。

ですから、転出届や転入先での子供に関するひとり親世帯の手続き、子供のキャッシュカードの暗証番号が解らず、ハンコも無い為の引き出しの手続き等、戸籍が無い母親には大変な手続きと時間がかかるのです。

想像してみて下さい。

親子である。子供である。本人である。その証明が出来ない事の大変さを。

個人情報保護法の壁はものすごく高いのです。

学校にも行けなかった為、子供の学生証も無く、マイナンバーも解らなく、写真付きの証明になるものも一切持っていない上、期限が切れた社会保険証と児童相談所が作った国民保険。

おまけに住む町が変わる事で、その国民健康保険すら使えなくなるのです

さらに離婚した夫の税金関連や年金関連、死亡診断書など、子供に対する福祉関連手続きには必要になる書類が山ほどあります。

戸籍がある日本人なら、持ち家に住んでいたなら簡単に出来る事が、全く前に進む事が出来ないのです。

子供に学習障害がある事も児童相談所の人がテストして解りました。

本来なら高校生活を満喫しているはずの子供だったはずですが、母親が会社を休み、今は二人で生活しています。

収入も勿論減ります。

手続きに関する書類集めの為の情報をネットや管轄する役所、行政に何度も何度も電話を掛け、何とかひとり親世帯としての、障害者としての恩恵を受けられるよう私達も協力していますが、これほど大変だとは想像もしていませんでした。

ちなみに子供の戸籍謄本を入手するだけで、10日もかかってしまいました。

戸籍も子供が18才にならないと、現住所に移す事も出来ません。

ただ、子供が楽しく笑顔でいる事が何よりの救いです。

早く、落ち着いた日が来ることを願ってやみません。

 

国際結婚は離婚率が高く、子供がいれば親権の問題や国籍の問題と、日本人同士の離婚よりもはるかに大変な作業と時間を取られます。

外国人の場合、ビザの問題も大きく子供がいるのか?成人しているのか?等、様々条件で日本に住めるかどうかが変わってきます。

特に大変なのは日本語です。

書類作成や申請等、日本人でも解りにくい堅い言葉が並んでいますから、日常会話が出来る程度の日本語力では、第三者に頼る事になります。

例えば、外国の書類を日本の役所に提出する場合、翻訳文を添付しなくてはならないのです。

業者にもよりますがA4サイズ1枚、4.000円もかかります。

その他弁護士費用も、ケースにもよりますが手付金だけで20万円以上必要になります。

外国人だけでなく、日本人も幸せになりたいと結婚したのです。

個々の事情での離婚や別居は仕方がありませんが、何より子供達が一番辛い思いをするのです。

日本の貧困率も高くなり、益々子供達が将来を決める選択肢が狭まっています。

外国人、ハーフの子供達だけでなく、日本人の子供達も暮らしにくい世の中になってしまった日本。

やはり、大人達が声を上げ、選挙で態度を示したいものです。

 

外国人の苦悩(3)に続く

 

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20221028152413

捨てられない

借家の我が家が狭いので断捨離しようと思いたったのだが、なかなか物が捨てられない。

そこでまず最初に価値がありそうなものはフリマサイトに出品する事にしたのだが、やはり慣れていないと難しい。

仕方なく本屋で出品の仕方なるハウツー本を購入。

逆に物が増えてしまった(笑)。

子供の小さい頃のオモチャやレコード、DVD等をやっとの事で出品する事が出来て意外と簡単に売れてしまった。

モノを減らす目的だったので金額も低めに設定したのが功を奏したが、もっと高くしておけば…と少し後悔した。

 

我が家はほとんど使用しないモノはベッドの下にしまっている。

引き出しでは無いので、もう何年もベッド下を見た事が無い私は、意を決して開けてみると懐かしいモノがホコリと共に出てくる出てくる!

中でもカセットテープを見つけた時はラベルを見ながら懐かしさと想い出が蘇ってきて、当然作業は全く進まなくなってしまった。

ラジカセを探したが、CDラジオコンポはあったものの、カセットを再生する機器が無い!

痛い出費だが、近くの中古販売店に出向き4千円近く出してラジカセを購入。

またモノが増えてしまった。

カセットを差し込み再生ボタンを押すと片付け時間は完全にストップ。

劣化しているのもあり、こうなったら良い機会と自分に言い聞かせ、デジタル化をしようとネットで検索すると便利なものが沢山あるではないか!

とりあえずラジカセにUSBメモリーを差し込みデジタル変換できるものを探すと中古で8千円近くの製品が見つかったので思い切って購入。

しかし届いた製品はステレオ録音の音源のカセットの片方しか再生してくれない。

メーカーを調べ問い合わせて見ると5分程度待たされ、色々と試す方法を伝授されるも上手く再生できず、結局不良だから販売元に相談してくれとの事だった。

仕方なくネット販売会社に返品要請し、結局ここまでに4日かかってしまった。

何をやっているのだろうと断捨離どころでは無くなってしまった。

ここまでくると意地でもデジタル変換して大切なテープ音源を残そうとそっちの方へと頭が切り替わってしまった。

ラジカセのヘッドフォン端子とPC(パソコン)のUSB端子で繋ぐコードをサイトで見つけ、購入前に商品説明を確認したが、ラジカセのヘッドフォン端子に差し込むオスのコードが商品では見当たらない。

コメント欄では、同じような疑問に対する答えが「大丈夫」と書いてあったので同梱されていると勝手に思い込み疑問なく、編集も出来るという事と3千円弱という価格でもあり購入。

案の定、両端がステレオミニジャックのオス端子コードが必要だった。

もうガッカリしてしまったが、これ以上の出費はしたくないのでゴソゴソベッドの下に入れてあったコード類の箱を探すと出てきたのだ。

その代償に丸一日つぶれてしまった。

一応私の二の舞を踏まない様にとサイトのコメント欄に書いて、やっと心が落ち着いた。

その後PCに無事に取り込む事が出来たが、あろうことか編集機能にハマってしまいかなりの時間を費やしてしまった。

頭にはもう断捨離という言葉すら消えてしまっている。

そしてモノが増えただけという情けない結果になってしまい、つくづく処分する事の難しさを痛感した。

想い出が詰まったものがいかに捨てがたいか、特に妻は子供の幼い頃の服や靴下をどうしても捨てられないと言う。

自分の事だと諦めきれないのだが、妻の事だと「もういらないよ」と言ってヒンシュクをかうハメに。

結局写真に収めて処分するという事で落ち着いた。(少し残しておく事には目をつぶったが)

 

改めてモノがいかに多いか、そして眠ったままになっているか思い知らされた時間だったが、各家庭でも同じような事があると思うと、膨大なモノが、日本中の押し入れに眠ったまましまわれている事になる。

そして主(あるじ)が亡くなると処分に困り、時間と出費が残された者に多くのしかかって来る。

今回、他人から見るとどうでも良いモノが、本人には大切なモノというジレンマの中で断捨離がいかに難しいかという事と、死後に迷惑をかけたくない気持ちを味わう良い機会だった。

 

そして何とか片付けを済ませ、気持ちを切り替える為新たな挑戦をしようとブログを書くと決めた。

昔からノートに思いついた事を書く事をやってきた。

音楽を作成していたので、作詞の練習やヒントを書き溜めていたので、何か形にしたいと思っていたからだ。

ドメインは独自のオリジナルが良い…」

「なるほど」

「無料のブログサービスより、有料の方がやれることが増える」

「そうか、ならば少しの費用で済むならお金を出すか!」

ん!支払ったはいいがどうすればいいのか解らない。

その時点で何に支払った事すら忘れている。

デジタルの中では、デジタル商品を買っても色々な手順を踏まないと使えないのだ。

実際に触れる線やコード、ジャック、スイッチなら理解できるが、「ポチッ」とも鳴らないし「ガチャン」という手ごたえも無い。

エライ事になったと後悔先立たずで、「もうとっくに時代に取り残されていたんだ」と落ち込んでしまった。

同年代の友人に、プログラマーがいる事を思い出し、電話を掛けた。

それなりに優しく砕いて、教えを乞うのだがどんどん時間が過ぎていく。

有料のセミナーの扉の裏でこっそりきいているのと変わりない心持になって、しかも、遅刻するのは、相手の時間を泥棒するのと同じだという考えの私であるから、「これではいくら友人でも時間泥棒と同じではないか」と思い直し、「また解らなければ電話くれよ」という、神様の様な優しさの声を後に、「自力だ!」「やればできる!」と自身にハッパをかけた。

仕方なくその手の本を探す羽目になり、本屋へ。

ここでも難関が待ち受けていた。

その手の本が沢山あるではないか!自分が求めている内容の本をどうやって探せばいいのやら。

「そうだ、キーワードを道標にしてと…」

まず「初心者」「誰でも簡単」「入門編」と絞り込んだ。

そして本棚にもう一度目をやると、なんてこった道標が沢山立っている状態だ。

1時間も本屋の一つのコーナーに立っていた。

役に立ちそうなものをとりあえず、2冊購入。

断捨離が頭をよぎり、極力モノは買わないという信念が後ろ髪を引っ張る。

自分への投資に金を惜しむなと、モグモグ言い訳をして帰った来た。

さあ、一つ頑張るか!と本に目を通すが、解らない!

やたらアルファベットが出てくるし、書いてある通りやっても上手くいかない。

「どこが初心者用だ」と今度はブツブツ文句を言いながら読んでいた。

解らない単語が出てくるたびにネットで検索して、また本を読むという本末転倒な事をしていたのだ。

 

読書が趣味と関係しているかどうか、家電の説明書は隅から隅まで読むのが好きだ。

昔からそうだったので、規格が変わったコネクターやピンの形状もすぐに理解できた。

お陰で今でもTVの配線や周辺機器の設置に困った事は無い。

先日も引っ越しをした友人宅にお邪魔したが、「TVが見れない」という彼らにとって死活問題を解決へと導いてきた。

スマートフォンもある程度こなしているし、何よりWindows95からパソコンと接してきたから、今回も楽勝だと思っていたのだ。

 

ところがこのような羽目になってしまうとは!

そうなのだ、四苦八苦している人に「説明書に書いてあるよと」言っても意味が無い事に、この年になるまで気付かなかった。

読めるが理解できない事に!

 

私の足元に掃除機をかけながら「一日中パソコンの前で疲れない?」という裏に何かある様な、とげの様な言葉にひるむことなく何とか少しずつ前に進むようになった。

音楽制作で、データを打ち込んでいた事もあり、意外と集中力は衰えていなかった。

この手のデジタルに関して知らない事がどんどん出てくる事は予想していたが、思っている以上に現実は進んでいる事にショックを受けると共に、知らない事が悔しくてとにかく手探りで少しずつ覚えていった。

まだ頭は固くなっていなかった自分を褒めてやりたいほど夢中で勉強した。

ただ、その為に必要になった周辺機器やメモリーの増設などで以前よりも、パソコン周りはごちゃごちゃになってしまった。

一体断捨離は何処に行ったんだと、一息つきながら頭を抱えてしまった。

捨てられないのは物だけでは無い。

そう、記憶だ

誰でも楽しい記憶ばかり残っている訳では無い。

日焼けマシンのようなモノの中に入って一瞬で過去の嫌な記憶を消してくれる日が来ると嬉しい限りだが、ちょっと待てよと考えてしまった。

幸せや楽しかった記憶ばかりだとしたら、楽しい事や幸せな記憶は当たり前の記憶として残り、そこには幸福感は生まれないのではないかと?

 

睡眠中に記憶が整理される話や、脳の海馬で整理され大脳皮質に送られるという様なメカニズムも解明されつつあるが、実際どこにその記憶が貯蔵されているのかはまだまだ謎とされている。

ひと昔前まで、脳によってコントロールされていたとされる様々な臓器も、今では臓器が脳に信号を送っている事も解ってきた。

すなわち脳が持っているまさしく能力はまだまだ未知数という訳だ。

 

私自身、心を病んだことは苦しく辛い経験だが、記憶と向き合う作業が出来た事は意外だったし、少しは楽になった。

PTSD (PostTraumatic Stress Disorder)心的外傷後ストレス障害によるトラウマが根底にあるかもしれないと言われた時や、過度のストレスを発散できずにため込んだことによる発症などと、色々と聞かされた。

「大したことないよ」と思える人や、ストレスを発散できる人を羨ましく思うが、こればかりは自分で解っていてもどうしようもない事だ。

私も自分がこんなにもストレスに弱いとは思っても無かった。

 

20代の頃、ある芸人さんのカバン持ち的な仕事をやっていた関係で、建築会社の昼食会に招かれた。

景気が良かった時代、マツタケの食い放題で一生分食べた。

そして昼寝をする事になり、大広間でそれぞれ4~50人が寝っ転がった。

しばらくすると、建築会社の社長が誰かと話をしているのが聞こえて来た。

「上を向いて大の字に寝てる奴は見込みがある。顔を隠したり縮こまっている奴は気が弱い奴で出世しない」

勿論私は、顔を腕で覆い横になって縮こまっていた。

今から考えると、若い頃から大きな器の人間では無かったようだ。

 

自分と向き合う事が出来るまでの数十年間は、いわば自身に対してのごまかしや先送りばかりだったかもしれない。

勿論誰かのせいにしたりする事も時にはあったが、「これが自分なんだ」と思え、認める事がいかに重要なのかを身をもって知らされた。

そう、記憶は消せない。

外的要因である戦争や犯罪、虐待や災害時に体験した記憶ならなおの事、心の深くに残り知らない間に顔を出す事もある。

特に、幼い頃に植え付けられてしまうと、生活すらままならない状況になってしまうだろう。

世の中は人間という動物の共通点はあっても、みんな外見や人種が違う人で構成されている。

そして心もみんな違う。

誰一人同じ心の持ち主なんかいない。

言い換えれば、外見や人種ではなく心の違いの方が大切だという事だ。

差別や宗教で分断される社会は、正に心無い人達による心無い行為だ。

バイトテロと言われるような悪ふざけと入管による人権侵害問題や官邸の私物化、官僚の忖度は、考えて見れば解るが同列の問題だ。

すなわち記憶を失くしたか?、はたまた誰かに責任を負わせるのか、それとも無かったかのように振舞っているだけで、記憶という教訓を何も活かす事が出来ないある意味残忍な人達だ。

何故なら、大勢の人間を不幸に巻き込むからだ。

 

誰でも、多かれ少なかれ誰かを傷つけながら生きている。

物は捨てる事が出来るが、記憶は捨てられない。

ならば教訓として活かし、謙虚になれば必ず誰かの為に手助けが出来る。

生れた時から悪い奴はいない。

人生の何処かで、記憶の区切りをつけるのも良い事だと思う。

そして戒めに、教訓にならない記憶は脳に、そして未来に大きな負担を与える。

誰かに笑顔なる様な記憶を残せるような人間でありたいものだ。

しかし嫌な想い出は消し去りたいのが本音だが。

 

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20221028152413

生きる事の意味?⦅ジグソーパズル⦆(3)

人生も後半戦を過ぎ、自分を振り返って色々と考えてみた。

夢だった職業を目指し幾度もチャンスもあったが、逃してしまった。

十二指腸の穿孔や急性膵炎と、助けが無ければ死んでいたかもしれない病や、交通事故で骨が見えるくらいにえぐられてしまった指のケガでの皮膚移植に腕や指の骨折と、兎に角あわただしかった青春時代だった。

そして、精神も病んでしまった。

 

私の母親は、常に目立つよう私を育ててきた。

写真を撮る時は必ず真ん中の一番前にいく様に言われていた。

親が頼んだのか自分でそうしたのか、その時の記憶は無いが、幼少時の数少ない写真を見ると数人で撮った写真は正にそのとおり、一番前で写っている。

記憶に残っているのは幼稚園で学芸会の演奏で何の楽器を担当するかを指示された事だ。

目立つ楽器はシンバルか太鼓だったように記憶している。

母はそれを望んだが、結局カスタネットをする事になった。

当時を思い出してみると、シンバルや太鼓などやりたくなかった。

カスタネットの演奏が出来て、楽しかったのをハッキリと覚えている。

学業にしても友達関係にしても母はいつも干渉し、まるで品定めする様に私も含め周りの人を見ていた。

その反動のせいか、その後私は目立つ事が嫌で仕方なかった。

テストの結果もいつも破いて捨てていた。

何か言われるのが怖かったかもしれない。

思春期は荒れて、家のテーブルをひっくり返す事もあったし、家にいる時は自分の部屋に閉じこもる様になった。

何も聞きたくなかったし理解してくれるとは思っていなかった。

 

父は何も話してくれなかったし、ちゃんと会話した記憶が全くない。

そしていつも夫婦喧嘩をしていた。

幸いイジメられてはいたが、気の合う友達がいたおかげで学校には行く事は出来た。

以前にも書いたが音楽が好きだった事で、友達との接点が出来たおかげだ。

父は、大手の鉄道会社に勤め、保守点検をやっていたようだ。

父の死後、写真の整理をして初めて知った

父は大学に行けなかった事で昇進もままならず、うつ病になった事もあった。

昭和の時代はうつ病が今ほど認知されていなく、偏見もあった時代だ。

精神科や心療内科という言葉は無く「頭がおかしくなったら精神病院行きだ!」と。

すなわち心の病は、精神が弱い意気地なしで「恥」「隠す」と思われていた時代だった。

振り返って考えて見ると、父も母にとっても辛い時代だったのだと思う。

加えて、世間体が幅を利かせ離婚も出来ず、お互いを傷つけながら毎日を過ごしていた事を考えると、可愛そうな人達だった。

そんなこと等考える事も出来なかった当時の私にとって、家の中は息が出来ないくらい苦痛の場所だった。

 

そんな時代を経て私はいつも人の顔色をうかがい、良く思ってくれるよう、嫌われない様に気ばかり使う様になってしまった。

他人の悪気が無かったかもしれない言葉でも、傷つき夜も眠れないほど悩むことも多かった。

叱られる事ばかりだった自分に自信が持てなかったからかもしれない。

家を飛び出して独り暮らしをするようになり、アルバイト先でも人によく見られようと頑張って働いていた。

決してアルバイト先の会社の為でも、自分の為でも無く人間関係にひびが入る事だけを恐れていたからだ。

だから、自分の本心を相手にぶつける事はほとんど、いや全くなかったかもしれない。

ただ、そのせいで相手が何を考えているのか?どんな性格の人なのかは見抜く力が良くも悪くも身についた。

先を読む事ばかりしていた私。

結局傷つく事を恐れていたからだ。

 

今思うと私の世界は余りにも小さな世界で、その中をウロウロしては上を見上げ、そしてうつむきもがいていた。

当時はこの世で一番不幸な人間だと思っていたし、生まれて来なければ良かったとさえ思っていた。

今の様に簡単に写真が撮れる時代では無かった時代。

幼い頃の機械好きの父が買った上からのぞくタイプの写真機で撮った白黒写真。

手元には数枚しかない。

荒れていた思春期に、自分の存在を消したくてほとんど破り捨てたからだ。

集合写真に写っていた仲が良かった友達の顔もほとんど失ってしまった。

 

ストレスは花粉症と同じくコップに例えられる。

そのコップの大きさが許容範囲で少しずつ溜まっていく水がいつか溢れ出し、発症してしまう。

弟や妹の事、そして母の死や父の事は以前の記事に書いたので省略するが、どうやら私も私の弟や妹も、コップに水を幼い頃から少しずつ注がれていたようだ。

きっと私の様な人間が沢山いるだろうし、世の中にはもっと悲惨な経験をしてきた人もいる。

自分が恵まれている方だと気付いたのは30代になってからだった。

長い時間がかかってしまった。

人生はジグソーパズルの様なものだ。

しかもピースは一度に渡してくれない。

毎日毎日、少しずつ手渡されるピース。

楽しかった事や幸せと感じた時だけでなく、嫌な事や辛い事、不快で会いたくなかった人物もピースの一部だろう。

そして患った病気やケガもその経験からでしか見えない大切なピースになる。

そう、そのピースをハメていくしかない

どんな絵が出来るのか解らないからだ。

私達個人個人がはめ込んでいるピースで少しずつ出来上がる作品。

しかしそれは近くから見ているだけで、作品がどんなものさえ解らない。

そう、近くから見ているとは小さな世界観という事だ。

狭い世界観で右往左往していても何も進まない。

 

辛い事や悲し事は、もしかしたら暗い色だろう。

絵には明るい色ばかり使われてはいない。

陰の様な色や奥行きを出す為のぼかしも必要だ。

破り捨てたモノクロの写真をもう手にすることは出来ないのと同じで、過去の事全てが良し悪しも含めてピースの一部で、しっかりと捨てずにハメていかなければならない。

幸せも明るい色だけでは無いと思う。

グラデーションの一部の様にくすんだ色をハメていく事で浮かび上がる絵の一部分かもしれない。

ただ言える事は、ピースをハメ込む事を続ける事だ。

誰にでも、忘れ消し去りたい事はある。

だが起きた事は、過ぎ去った事は無しには出来ない。

たぶんそんなピースをハメずに隠しているだけだ。

大切なのは、はめ込む作業だ。

空いた空間をそのままにしては、いつまでも悩み苦しむ事になる。

はめ込む事、すなわち後悔や挫折と向き合い学ぶ事だ。

苦しい事や辛い事も必ず意味がある。

はめ込まずそのままにしていていては、手元にピースのかけらが溜まっていくだけだ。

幸せにつながるピースも積まれたままのピースの山に隠れてしまっているかもしれない。

私達は常に大なり小なり選択しながら生きている。

いくつもの分かれ道と、ウソか誠か定かでない道標の案内板があちらこちらに立っている。

わざわざ他人の真偽の定かではない情報という道先案内人まで呼ぼうとしている。

確かに情報は大切だが、それを見極める力が無いといつか必ず誰かのせいにしてしまう。

私もかつてはそうだったからだ。

選択するのは結局自分という事だ。

誰かのマネは出来ない。

分かれ道はどれ一つとっても決して誰かと同じものは無いからだ。

選択した後は前にしか進む事が出来ない。

過去には戻れないからだ。

ただもし過ちに気付く事が出来れば、一旦立ち止まり修正、すなわち別の道を選択することは出来る。

一呼吸しながら一旦手に持ったピースを置き、本来ハマるであろう位置を確認する事だ。

何故ピースをハメなければいけないのか?

それは生きる事の意味に繋がる。

地球が誕生したのは約46億年前で、最初の生命誕生は約40億年と言われている。

6500万年前頃、霊長類の祖先が誕生し400万年前の地層から完全な二足歩行型の猿人であったアウストラロピテクスの化石が発見された。

そして約20万年前頃から私たち現生人類の祖であるホモ・サピエンスが出現し、大陸に広がっていき現在に至るわけだ。

すなわち奇跡とも言える様々な偶然や宇宙的規模の事象の結果、宇宙の時間の流れからすると私達人類はごく最近誕生したともいえる。

いわば命の連鎖が生み出した貴重な存在なのだ。

命は受け継がれてこそ、その存在意義を見い出す事が出来る。

人間が存在している意味は、誕生して以来、昔からの課題で未だに答えは出ていない。

塵の様な人間の存在が宇宙全体に影響を及ぼす事も大きな流れを変える事も出来ない。

そればかりか、一瞬で消えてなくなる可能性だってある。

 

それでも私達は生きて、命を繋ぎ続けている。

とりわけ戦争や紛争、災害や病気で苦しみ、亡くなる幼い命を救いたいと思う気持ちは本能的に誰もが持っている。

命の連鎖を断ち切ってしまうからだ。

個々の人生は大きな視点から見ると言葉は悪いが、どうでもいい存在かもしれない。

が、そのどうでもいい人生の積み重ねが無ければ、本来ならば生まれ出てくるはずだった新しい命も生まれないし、助かる命も無駄になってしまう。

地球が誕生して今の人類が存在しているのは、そうあるべきだった「必然」ともいえる。

道端に顔を出している雑草の存在意義を真剣に考えたり、台所を走り回るゴキブリの存在の意味を深くは考えたりもしない。

しかし、地球上に生れ出てくる命はすべて何らかの形で繋がっている

 

ジグソーパズルは、人間だけがはめ込んでいるのではない。

自然は正直でズルをしたりはしない。

毎日、確実にピ-スを組み上げている。

が、逆に人間だけがピースをため込み捨てたり、積み上げたり、すなわち先延ばしに出来る。

中には他人の組みかけのパズルを壊す人間も沢山いる。

大きな流れを理解していない愚かな人達だ。

 

毎日少しずつ渡されるピースは、選択によって変わっていくだろう。

前述した壊したり、盗んだりする人達に加えて、世の中にはピースさえもらえず亡くなってしまう人も大勢いる。

逆にため込み、ハメる事無く苦しんでいる人達もいる。

ピースをハメ込み、出来上がる作品はどんなものなのか?

もしかしたらその作品自体が大きな一片のピースなのかもしれない。

 

人生はひとり一人違った歩み方で、出来上がる作品も人の数だけあるだろう。

だからこそ作品に深みが出てくる。

同じものをコピーしたって意味が無いのと同じ理屈だ。

ハメ込む場所は一つしかない。

コピーの居場所は無いのだ。

そしてその作品は自然と共に人類という大きなジグソーパズルの一部であり、それもまた生命、命という宇宙規模の作品の一部なのだ。

 

生きる意味に明確な答えなど無い

必然で生まれた事。

そして有限だからこそ答えを探っている。

道半ばで命を落とした人の為に。

そして支えてくれている動植物の命の為に。

何があっても生きなければいけない。

自分だけでなく誰かを助ける為にも。

ジグソーパズルのピースを紡ぐ為。

言えるのは命を楽しむ事で次につなぎ、いつかできるであろう大きな作品の一部になる事なのだ。

 

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20221028152413

TVでライブをやり、音程が狂い、声がちゃんと出ていなかった音楽ユニットがいました。

勿論CDや音楽配信では完璧な歌声のユニットです。

ライブ後、SNSを中心に「下手だった」という様な発言が沢山見受けられましたが、意外にも「緊張していたから可哀そう」「生のライブだから上手く聞こえていなかったから」という声も多くありました。

ン?待てよ?

音でお金をもらっているプロです。

料理人なら、即クビでしょう。

それを擁護したり、弁解の肩代わりをする人達は、逆にアーティストの首を絞めているのと同じです

それを良しとする風潮に違和感を覚えるのです。

ならば、ライブをやらなければ良いだけで済む事でしょう。

カラオケで上司の歌を褒めている事とはわけが違うのです。

 

昔と違って今はモニター(自分の声や楽器の音)の性能も上がって、イヤホン型になったりとアーティストも楽になっているのです、

ひと昔の音楽番組を見ると解ると思いますが昔はステージの前に左右に置いてある三角のスピーカーで確認していました。

耳が良くなくては(聞き分ける力)音程を外してしまいます。

また生の番組も多かった為、下手な事をやると売れなくなってしまいます。

だから昭和の歌謡曲を始めとする歌を唄う人達の多くは、歌が上手いのです。

 

ある日、車の運転をしながらラジオを聴いていたら、懐かしいイントロが流れて来てワクワクしたのですが、なんと洋楽だったその曲に日本語の声が。

「おいおい」と思わず叫んでいました。

いわゆるパクリだったのです。

誰かのマネをする事は、練習や知識を得る為に必要な事ですが、それもプロとして作品にするなら限度というものがあります。

昔から洋楽好きだった私ですが「これをやったら終わりだろう」と思うくらいそっくりなのです。

しかも往年の名だたるミュージシャンの3組のアーティストの名曲が組み合わされていたのです。

洋楽を聞かない若い人なら、素晴らしい曲だとだまされるでしょう。

音楽をやってきた私は、怒りより悲しくなってしまいました。

私の町の駅前に、CDやカセットを販売しているお店があります。

以前、そこでビール瓶ケースを逆さにして、その上で演歌歌手が営業の為に歌っていました。

モニターなど一切ありません。

数人しかいない観客の前。

でも素敵な歌い手さんで、音程もしっかりしていて歌も心地よかったのです。

演歌で音を外すと、一発でアウトです。

勿論、演歌だけではありませんが、どんな状況でも聞かせるのがプロです。

 

芸人らがよく使う「営業」という言葉があります。

何かの催し物や企業の余興等の仕事を指していて、時には事務所を通さない仕事という意味でもあるのですが、20代の頃私は、ある芸人さんのお手伝いをしていました。

彼は個人で活動していたので営業とはいえませんが、大手の企業の余興や主に経営者や市長級の人達が集うクラブに出向いて営業、仕事をしていました。

その芸人さんと同行し伴奏やカラオケ代わりにバンド兼カバン持ちとして同行し、私の担当はドラマーで、ピアノ(シンセサイザー)とベース3人で演奏していました。

当時今の様に通信カラオケが無い頃で、8トラックカセットやレーザーディスクでカラオケを歌っていたので、すぐさま今の様に曲を流す事が出来ない時代で、バンドと芸人さんワンセットで出向いていたのです。

芸人さんに合わせて曲を短くしたりテンポを速くしたりと大変でした。

途中、お客さんのカラオケタイムがあったりする事もしょっちゅうで、当時は客層もあるでしょうが、ほとんどが演歌を歌う人で、中には最初からキー、すなわち音程がずれている人がいるのですが、カラオケを演奏しているのは私達人間ですから、お客さんのキーに即座に合わせて、うまく歌えるように、またテンポがずれてもそれに合うテンポに換えたりと、歌う人達からは重宝されていました。

たまに、何でも歌えるプロの歌手も同行していました。

彼女は残念ながらレコードを出しても売れなかった歌手で、売れて欲しいといつも応援していました。

スナックやキャバレーで歌っていて、声量もあり歌声は素晴らしいもので、さすがプロだと感心していた人です。

彼女と営業に回る会場は、小さな会議室の様な所から大きな体育館のような場所と千差万別で、スピーカーやモニターは、会場に設置されている簡素なものか、私達自身で持ち込み設営した最小限のもので、歌手としてはとても歌いづらい環境でしたが、一度も音を外す事はありませんでした。

 

余談ですが、大企業の余興としてホテルに呼ばれた時、ヌードダンサーの方も一人来ていました。

楽屋は指定された同部屋で、見る事も出来ずドキドキしていました。

ホテルの会場には千人くらいの大規模な催し物で、陰から彼女の踊りを見ていましたが、いやらしいというより妖艶な踊りで、大勢の観客の前でも臆することなくやり切った彼女に「プロだなぁ」と思ったものです。

今なら出来ないような催し物が昔はあったのです。

 

本物は強く美しい。

なぜならそれが全てであり、全てをさらけ出しているからです。

本物の前では飾りものなど何の役にも立ちません。

人間だけがニセモノになれ、作り出す事が来るのです。

人間だけが死んだように生きることが出来るのです。

本物は厳しい。

そうでなくては生きてはいけないからです。

本物の前では本物だけが、対等になれるのです。

たとえ囚われの動物園の動物でも本物はやはり強く美しく、そして優雅です。

 

素晴しいモノ(本物)を身に付けた時、例えばブランド品だけでなく、職人が心を込め作り出したモノを身に付ける時、対等のあなたでないと、その本当の良さを引き出せません。

皆が持っているから、ブランドだから、自慢したいから、欲しいから、そんな理由で身に着けていても、自身が追いついていないと、とても空しく見えるだけです。

その事が悪いという事を書いてはいません。

誰でも、良いモノを身に付けたり、所有したくなるものです。

良いモノは、それに合わせて心も変えていく力があるからです。

が、見る人には判るのです。

まだ早いと。

本物は余白があり

余裕が無くとも余裕と見せる

その確たる裏打ちは

失敗を恐れない強さであり

過去の学びの声を聞き

箔さえもぬぐい取り

今を捨て去る潔(いさぎよ)さ

 

本物は決して群れない

孤独ではなく独りだ

教えを乞うものはひたすら前を見

その背から学ぶ

 

世の中には、プロフェッショナルと呼ばれる方、有名、無名に限らず沢山います。

長年の経験や失敗を経て、その道を築きあげた人達です。

時に、手を抜くと命取りになる事も全てを失う事も解っている人達です。

芸術家だけでなくあらゆる職業に言える事ですが、己に厳しく、妥協しない方々の生み出す作品、行動は心を動かせずにいられません。

 

日本のアニメは欧米とは違う世界観を作り出し、世界中の人達から愛されています。

それに比べてドラマや実写映画は何とも情けない状況です。

妻は休日になるとよく家でサブスクリプションでのドラマを観ています。

韓国ドラマが彼女のお気に入りらしく、字幕を英語にして時に笑い、泣いて楽しんでいます。

始めは興味なかった韓国の作品でしたが、演技力は日本をはるかにしのいでいます。

タイの映画やその他アジアの作品も、素晴らしいものが沢山ある事を知りました。

彼女は日本のドラマも見るのですが、そのリアリティーの無さに時々見るのを辞めてしまいます。

この前もある人気タレント主演の時代劇の映画を彼女は観ていました。

私は別の事をしながら横にいたのですが、聞こえてくるそのセリフにひっくり返りそうになりました。

ただ怒鳴っているだけで、迫力も重みも何も感じられなかったからです。

最後まで観た彼女曰く「観なければ良かった」と。

外国人の妻から見ても、単に背景だけが時代劇で中身は現代風になっていて陳腐で映画に入り込めなかったようです。

 

黒沢監督の七人の侍を見た時感動した私ですが、素晴らしい白黒の映画が沢山ありました。

それは、海外の映画関係者にも大きく影響を及ぼすモノばかりでした。

ハリウッドでリメイク版が出るくらいの作品だったのです。

残念な事に今ではアニメを実写版にする様な映画ばかりになってしまいました。

そしてアニメを超えるような実写作品が無い様に思うのです。

決して上から目線で書いているつもりはありません。

が、俳優も演技が下手な人気に便乗するような人ばかりで、しかも同じ顔触れ。

にじみ出てくる様な演技派の人達は、ほぼいないと言っても良いくらい貧弱な状況です。

プロがいないのでしょう。

俳優に限らず、制作側も監督、脚本家も演出家も配役も。

無名でも素晴らしい演技が出来る人を起用してもらいたいのです。

特に脚本は妥協しているのかと思うほど貧弱な作りです。

東京で作ったおかしな関西弁のドラマを見ている様に、手を抜いているとしか思えない作品ばかり。

売れれば良しとしてしまう風潮。

予算の関係もあるでしょうが、駄作ばかり作ると結局見放されてしまう事になります。

プロの意地を感じられないのです。

政治は私達に直結する大切な役割を担っています。

この日本での中枢と言われる、官僚から総理大臣まで、残念ながら本物と言われるような人材があまりいません。

志を持ってこの世界に飛び込んでも、いつの間にか保身に走るようです。

さもなくば、とっとと転職したり病気になったり、最悪な場合は自死に至っているのが現状です。

なぜ本物、プロと言われる人が少ないか?

理念に欠け、見通しの悪い狭い世界観で、何か他の目的で行動しているからでしょう

重みがない、裏打ちがないと人は多弁になります。

言葉が少ないほど、すなわち要点をしっかり押さえ発したその言葉に重みがあります。

そんな政治家が少なくなってしまいました。

そして、今でも保身に走り天下りをたくらむ高学歴のエリート達。

同時にマスメディアにもいえる事で、権力を監視する側の立場でいるはずの人達が忖度ばかりする様になってしまいました。

一本の筋が通っていないどっちもつかずの姿勢で、見ていて不快になるほどです。

偏った考えの素人がYouTubeで発信している様な、正にそれらしく見せる偽物の番組の数々。

SNSの発信を、まるで視聴者の代弁の様に演出するような構成しか出来ないのは何故なんでしょう。

人は簡単に偽物を作り

自身さえ偽物にとなれる

あなたは

あなたにしかなれないのに

他の誰かになろうとする

時に着飾り

モノに頼り

権力を使う

でも自分じゃない

偽物だ

 

考えて見て下さい。

誰でも歳を重ねるごとに、ある意味で「人生」というプロフェッショナルとなっていくのです。

何度も失敗し、挫折し学んでいくからです。

今からでも決して遅くはありません。

自戒も込めて過去がどうあれ失敗から学び、今この瞬間の自分と向き合い、人生という作品を作り上げるプロフェッショナルになりたいものです。

後は、誰かがあなたの背中から、プロの生き様を見い出すのです。

いや、そうありたいものです。

 

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