心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

人権問題は戦争への近道(1)

「LGBTQ」の事が取りざたされるようになって、キッカケの良し悪しは別として良い方向に少しは動き出した。

この問題は夫婦別姓問題や外国人差別少子化問題と切り離しては考えられない問題だからだ。

何故なら、根底に流れている差別意識や植え付けられた歪んだ常識が招いている問題だからだ。

加えて手を打たず放置すれば、民主主義が犯され争いへの道に進んでしまう。

 

昭和の時代を生きてきた私にとってLGBTQの人達の事は全く頭に無かった。

逆に気持ち悪い人達と当時思っていた。

学校でも男であるのにナヨナヨしている友達を見るとついからかってしまう風潮があった。

らしさ」にこだわり、植え付けられていたからだった事が解るまで、ずいぶんと時間がかかってしまった。

らしさ」という言葉は、性を表現する方法として社会全体が受容していたからだ。

「男のクセに…」と何度も聞かされ、自分でもそう言い聞かせていた。

それは家庭内にとどまらず、学校や社会でもそうだったから、未熟な私にとって選択や疑問を持つこと等考えもしなかったし、考えられなかった。

多くの人の娯楽だったTVも、「男はこうあるべき」とか「女性はこう振舞いなさい」というベースの上に作品が多く作られていた時期で、家庭像もマンガ「サザエさん」に見られる様な形態が普通、当たり前とされていた。

実際私の母は、当時では珍しく外で活躍したいという願望があった人だったが、女は家にいるものだという父の考えで、ずいぶん苦しんでいたように思う。

その為か、夫婦喧嘩が絶えなかった。

また教育現場でも「トランスジェンダー」「性同一性障害」に関する授業おろか情報も皆無でその言葉すら聞いた事も無かった。

せいぜい友達と異性に対しての好奇心からくる思春期特有の会話くらいだった。

振り返ってみると、性差に苦しんでいる友達もいたかもしれないと思うと、その胸中は現在よりもさぞかし苦しかったに違いない

 

1980年代はエイズ(AIDS ・Acquired immune deficiency syndrome, 後天性免疫不全症候群)と呼ばれる病気が認知され出した頃で、同性同士の濃厚接触等(他の感染ルートもあります)によりうつり、不治の病として恐れられていた時期で、その事もLGBTQの人達に対して風当たりが強かった。

日本でも差別や偏見が渦巻いていて、エイズ=同性愛という図式で見ていた人が多かった。

後に、感染が粘膜や血液からと、情報が増えるにつれ実際には感染のリスクが無い手を握る事や、その場に一緒にいる事さえも許せないという空気になったのを今でも鮮明に覚えている。

 

私の友人も心当たりがあったのか、体の不調をエイズかも?と思い大変怖がっていた。

彼は献血する事でエイズ感染の有無を知る事が出来るとい情報を得て献血をし、結果陰性だった。

結果が解るその間、私は彼の傍にいる事を少し恐れている自分がいた事を今でも思い出す。

偏見や差別は許されないと自信を持っていたこの私だったはずなのに。

今では治療法、薬も進歩し、不治の病では無くなり、最近ではエイズの言葉さえ聞かないようになっている。

 


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2018年公開のイギリス・ロンドン出身のロックバンドで1970年代前半にデビューしたクイーン(Queen)の伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た方も多いだろう。

映画館で私も妻と一緒に観て素晴らしい映画だったので、家に帰ってクイーンの曲を聴き直したくらいだ。

クイーンのボーカリストであるフレディー・マーキュリー(Freddie Mercury)もエイズで1991年、45歳の若さで亡くなった。

彼は両性愛者、バイセクシュアリティ(bisexuality)であったとされ(公に明かす事はなかった)彼の死でエイズが大きくクローズアップされたのは周知の事実だ。

 

最近は梅毒や淋菌、クラミジア等の性病が流行っているとのニュース報道があったが、自覚症状が初期に出ない事や、恥ずかしさもあって受診をためらう人も多いと聞く。

大切なパートナーと自身を守る為にも、勇気を出して受診してもらいたい。

恐れられていた病気はLGBTQと紐づけされ、多くの傷ついた人を生み出したが、粘膜、唇や性交等でうつってしまう病気は存在しているのだ。

要するに、LGBTQの人達の問題としてではなく、誰にも起こりうる事であり、だからこそ偏見や差別をさせない、しないを自覚し、助長させてはならない。

そう、過去から学ぶ事に尽きる。

私が30代にアマチュア用音楽スタジオで働いていた時の事だが、準備の為スタジオ内を掃除し、一息ついた時に一人の外国人男性が入ってきた。

多分20歳後半か30代くらいだろうか。

「営業時間はまだですけど、練習ですか?中で待ちますか?」と声を掛けたのだが、返事が無く小さな待合室のソファーに座った。

「日本語は解りますか」と私。

彼は言いにくそうに「I want you to be my friend」と話をした。

当時英語力はカーペンターズの曲を少し理解できる程度で、英語で会話などした事も無かった私は返答に困ってしまった。

身振り手振りも含めて、寂しい生活を送っている事と男性のパートナーが必要だという事が解った。

私が初めてゲイの人と会った日だった。

「ごめんなさい…」と言うと寂しげに帰る彼の後ろ姿は、今でも鮮明に記憶している。

きっと、看板の「music studio」の文字を読み訪ねてきたと思うと、胸が痛い。

音楽をやっている若者達が出入りする仕事なので、「男のくせに」「女だてらに」という価値観は私の頭からすっかりなくなってしまった。

音楽に、性別や人種、価値観を持ち込んだりする人などいなかった。

化粧をしたり、女性の様に話したりする人等、沢山の個性豊かな人達の出会いが、幼い頃受けてきた押し付けや偏見を拭い去ってくれたと思う。

もしそのような出会いや経験が無ければ、理解していなかったかもしれない。

昭和の時代を過ごしてきた人達の大半は、無意識の中で表にも出さない偏見を持っていたと思う。

TVでは大人達が、「男女(おとこおんな)」「おかま」と呼んでいたタレントが出てきだした頃だった。

先進国G7の中で日本だけがLGBTQ法整備をほとんど整えていない事はニュースでも大きく取り上げられているが、私の妻の国フィリピンでは、キリスト教を元に国の制度が定まっている為当然、LGBTQの結婚や権利は保証されてはいない。

原則、離婚も出来ないし、堕胎もダメで犯罪や売春による、いわゆる望まない出産も多い。

そもそも日本の様な戸籍で国民を把握しておらず出生記録証明書や洗礼証明書がその代わりの役目をしているが、それさえもやっていない人も多い。

LGBTQの事を妻に聞くと確かに昔は偏見があったが、今は無いという。

トンボイ・バクラと呼ばれていて、TVの司会やタレントにも多くいる。

妻に言わせると、「国民の四分の一は、いるんじゃない」という事だった。

実際妻の従兄弟にもバクラ、男性だけど脳は女性という心の優しい人がいて、少し前まで妻の母の身の回りの世話をしてくれていた。

同じ従姉妹にはトンボイ、体は女性だが脳は男性の人もいて、周りの人達も何の偏見も無く、同じ人間として生活をしている。

国としての結婚等の法整備は宗教の事もあり難しいが、遥かにその面では日本よりも理解が進んでいる。

生活している上での偏見も無いが、妻に聞くともし結婚したいならアメリカに行く人もいるとの事だった。

妻はよく自宅でフィリピンのドラマや映画を観ているのだが、それはそれは個性豊かな人達がいっぱいで、自分を性でひとくくりにすることなく、ありのままでいる事を見せている。

カミングアウト(正確にはcome out)等する必要もなく、服装やアクセサリー、髪形などの規則で縛られるような学校がもそもそも存在しない(制服もあるが、ある程度収入が無ければ用意出来ない。またお金持ちが行く、日本の学校形態の様なプライベートスクールはあるが、ほんの一部である)ので、心だけでなく服装や髪型といった外観も含めてが個性だと皆が認めている。

何より、それが普通の事であり、LGBTQの事に関しては性よりも人間性が重視されている国なのだ。

 

人権問題は戦争への近道(2)へ続く

 

(文中に出てくる言葉で、不快な思いをされた方がもしいらっしゃればお詫びいたします。

記事の意図をご理解の上、お読みくだされば幸いです。)

 

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心の病⦅やまい⦆(2)

⦅⦆

妻と共通のフィリピン人の友人から電話があった。

体調がすぐれないし、病院で検査しても異常が無いと言われどうしていいのか解らないという内容だった。

彼女は日本人の夫と中学生の子供を筆頭に3人の子供がいる。

食品会社にパートで毎日働いていたが、体調不良で休んでいるという事だった。

少し前から体調があまり良くないとの話は耳にしていたが、切羽詰まったその声にほおっておけなくなり、詳しく話を聞いた。

妻が現地語のタガログ語で詳しい精神状態を聞き、私の経験から一度心療内科(精神科)を受診した方が良いと話し、彼女は余り日本語が上手くなく、伝えたい事の四分の一ぐらいしか話せない事もあり、妻と一緒に付き添う約束をした。

 

私が通っている病院で受診し、ほぼ丸一日時間を取られてしまったが、やはり精神状態が悪い事が体調不良を引き起こしているとの事だった。

この病院は、毎日3人の医者がいて予約していてもすぐ診てもらえないぐらい大勢の患者が来ている病院だが、彼女を担当した医者に不快感を持ってしまった。

勿論、医者はタガログ語を話せない。

英語も私が聞いていた限り、発音がおかしく上手いとは言えない状態だった。(妻も同意見だった)

妻が通訳し、私が補足するような形での問診だったが、まず私達や患者の話をちゃんと聞く気が有るのかと思うくらい、誘導するような口調で診断を下していったからだ。

専門用語ばかり並べて、何が解るのだろう?

専門用語を、かみ砕いて説明するのがスジだろう。

今でいう「上から目線」の口調だった。

日本人でも心の中の状態を、体調の事を話すのは難しい。

例えば私の場合でも、先生に「食道の奥から拳を突き上げられているような辛さ」と表現しても、その経験が無ければどの様なものか解らないと思う。

加えて、家庭や職場、親子や夫婦関係などの廻りを取り巻く環境も加味して判断するはずなのだが、

彼女の担当医は一切その事には触れもしなかった。

結局彼女の病名は「強迫性障害」となり、薬をもらって帰途についた。

文句の一つでも言ってやれば良かったと後悔している。

精神科は、外から見え判断できる病気に対応する科では無い。

患者の話をよく聞き、何が原因なのか?何が引き金になったか?どの様な事で辛いのか?の声を聞き専門知識を生かして判断する科であるはずだ。

TVでも取り上げられていた事だが、例えば「うつ病」と「双極性障害」は似ているようで、全く違う病気で、最初の診断でうつ病と診断され、薬を服用してハイになりすぎ、別の病院で双極性障害と診断され快方に向かったという事だ。

この人は外国人だった。

 

受診した病院は上記の様な医者ばかりでは無く、私の担当医はよく話を聞いてくれアドバイスもちゃんとしてくれる。

彼女に、次回通院した際に担当医を変えてもらいなさいと話をしたが、日本語が上手くない彼女にとってはそれも重荷になってしまったようで、近いうちに一緒に病院に付き添うつもりでいる。

未だに体調がすぐれない彼女に追い打ちをかけるように、パートの勤務先から退職して欲しいとの連絡が入ったらしい。

自己都合という名目にサインをしたらしいが、それがどんな意味かも彼女は知らないのだ。

 

調べてみると彼女が入っている社会保険は、私も知らなかったが傷病手当(コロナ給付には対応)には対応してないという事と失業保険の事もこれから聞いてみないと解らない状態で、八方ふさがりになってしまった。

社会保険に加入している方は、入っている保険が対応しているかどうか確認する事をお勧めする。)

給与明細をSNSで送ってもらい確認すると雇用保険が引かれていたので早めのハローワークでの手続きを勧めた。

会社からは離職票すらもらっていないし、何の説明もないとの事だった。

外国人だからとして見ているのか、その様な体質の会社なのか解らないが、一言アドバイスしてあげるべきだと思う。

更に残念な事は、彼女の夫は精神病に懐疑的な人で、収入減ばかり気にしている。

確かに子供3人でしかも物価高、学校にも多くの費用が掛かるのはよく解るが、理解が無いと治るものも治らない。

負のスパイラル(渦)に陥った状態になっている。

初診時も私が電話して嫌々来たくらいで、改めて精神病の認知の低さに、ガッカリしてしまった。

また、家事や育児等がおろそかになってしまう事を病気が原因だという認識不足のせいで喧嘩になるとの事だった。

彼女からの一方向的な話しであり、夫婦間の事なので夫を責める事も出来ないが、電話の向こうで怒鳴っている彼の声を聞くと、無力感と共に空しくなってしまう。

 

冒頭、医者の話を記したが、話を聞かない医者がいるのも事実で、もしそう感じたなら勇気を出し、遠慮しないで担当医を変えてもらうよう話すなり、セカンドオピニオンとして別の病院にいく事を強くお勧めする。

私の五つ違いの妹もうつ病で長年苦しんでいたが、やっと良い先生に出会えたと喜んでいた。

経験から、患者の話を8割以上時間を割いて聞いてくれるような先生が良いと思う。

間違った診断を下され、あわない薬を処方されればいつまでたっても治らないばかりか、ひどくなる事だってありうるからだ。

心を病んでいる人達が増えている。

今でこそ心療内科や精神科に通っていると言っても、誰もおかしな目で見なくなった時代。

ただ、外国によってはうつ病などの精神疾患に対しての偏見や無理解がまだまだ残っている。

妻のフィリピンでも精神疾患になれば、自宅にこもりっきりになり症状も悪化すると聞く。

何故なら偏見により、家族全体が差別されるし、当然職にもつけない。

近親者は隠したがり、せいぜい治療として頼るのはシャーマンと呼ばれる呪術師の様な人達で、悪魔祓いや呪いを解くといった行為のみだ。

病気の認知がある程度進んだとされる日本でも精神論で片づけようとしたり、根性が無いと言われたり時として「怠け者」呼ばわりと、まだまだ無理解者がいるのも事実だ。

なりより近親者の理解が無ければ治らない病気なのだ。

 

誰にでも起きる可能性がある精神疾患を侮(あなど)っては絶対にいけない。

デジタル化が進み、都会では近所付き合いも減り、田舎では過疎化が進み、益々生身の人間と接する機会が減ってきている日本。

会社では中高年は叱る事を恐れ、若年層は無言の圧力を感じ、もしくは自分を責めどんどん追い詰められている。

気持ちを吐き出す機会がどんどん無くなり、匿名性を利用しSNSで悪者探しやヘイトに逃げ道を見つける人達と、社会全体が病んできている様に思う。

高齢化も進み、年金だけでは生活できなくなってしまい、若い人達も低賃金で将来像が描けない日本になってしまった。

特に、「安い」「汚い」「キツイ」「危険」という俗に底辺(差別の意図は有りません)と呼ばれている様な職に就いている人達は、私の経験も含め選択肢が無い、そこでしか職を探すしかない場合が多い。

若いうちは体力もあるが、将来像を描けず、一時的には給料が高くてもやめる人間も多い。

ハローワークで職探しをしていると、田舎では無いにしても中高年の時給は1.000円の所ばかりだ。

そのような職場では、どうしても高齢者が多くなる。

以前勤めていた会社でもそうだったが、当然「物覚えが悪い」「さっさと動け」「すぐ休む」等と罵声を浴びせかけられる。

そして心が折れ病んでいく。

この社会が回っているのは、底辺にいる人達のお陰でもあるのにも関わらずだ。

才能が有り、人に恵まれ、夢を叶える人達はほんの一握りであり、ほとんどの人達は、現状を良しとせず、余り幸せと感じていない社会、人生を送っている。

しかしその様な大多数の人達のお陰でこの国は成り立っている。

大企業ばかりの賃金や制度改革ばかり報道され、90%以上の人達が占める零細、中小企業に焦点を当てる政策や報道が余りにも少なすぎるのではないか。

テレワークにしても、対応できない仕事に従事している人の方がはるかに多い。

賃金が安いとされるゴミ収集や配送ドライバー、先生や保育士など生活に密着し、要となる職業の人達がどうやってテレワークをするのだろうか?

平凡な毎日の中に幸せが見つけられなくなっているのは、個々だけの問題では無く、社会が病み、それに手を打たない政治家達の責任とも言える。

要するに、国のトップの人達に夢を与える力が無い無能な人達が多いとも言えるのではないだろうか。

 

人は人との関りで生きている。

言葉やふれあい、共感や共鳴が心をほぐしていく。

どんなに時代が進もうとも、その事無くしては幸せも、不幸せも、苦労も、夢も訪れない。

取り巻く世界が大人になればなるほど狭くなっていく。

家と会社、家の中、決まった人達。

そう、景色が変わらない生活になってしまう。

そんな中、めぐり合わせは時として、傷つけ傷つけられる。

それでも、理解者が一人でもいれば人は救われる。

ウイキペディア引用

アパルトヘイト、人種隔離政策のさ中に逮捕され27年間の獄中生活ののち南アフリカの大統領、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)さんは、投獄された初期は憎しみや怒りでいっぱいだったと聞く。

そして解放された時、その憎しみや怒りを刑務所に置いてきたと語った。

彼の残した言葉に、

「No one is born hating another person because of the color of his skin, or his background, or his religion. People must learn to hate, and if they can learn to hate, they can be taught to love, for love comes more naturally to the human heart than its opposite.」

『生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。

もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。』

という名言がある。

 

私達はイジメたり差別したり、憎んだりする為にこの世に生まれた訳では無い。

ただ残念ながら、知らず知らずのうちに植え付けられ、その事に気付かない人達が大勢いる。

物欲、所有欲が拍車をかける。

それらは時として原動力にはなるが、いつまで経っても満たされる事は無い。

相変わらず飽食と言われるような番組が放映され、旅行や住居、趣味等の特集がどのチャンネルでも見受けられるが、果たしてどれほどの国民がその事を享受し実現しているのか甚だ疑問だ。

少なくとも私の廻りでは、生活に追われそれどころでは無い人達ばかりだ。

優越感や無力感がうごめいて、心を病んでしまうのだ。

 

デジタルの世界では、デジタルの中でしか見られない靴や絵、空間が数十万から数百万で取引されている時代、私達は何を求めているのだろうか?

多分、逃げる為の理由が欲しいのか、一時でも現実逃避をしたい為なのか。

様々な道、選択があるのにも関わらず、流され気付かず、与えられた答えから抜け出せない人達が増えている。

 

本当は人と繋がりたいのだろう。

このブログでも書いた「心」は感覚なのだ。

心を病む人は、感受性が豊かで思いやる気持ちの大切さに溢れている。

病む事は個人の問題では無く、取り巻く社会が寛容性を失っている事の表れだと思う。

病まない人が悪いとは書いていない。

むしろいなければ困る。

助ける為に必要な人達がだからだ。

色々な思考が無ければ人類はとっくに滅びている。

言い換えれば心を病んだ人達が、これからの社会を変えていくのかもしれない。

日本人だけの問題では無く、多くの外国人が住む様になっても、彼らのほんの上辺だけしか見ていない気がする。

国は、インバウンドや外国人労働者を増やそうとしているが、受け入れ側の覚悟がちゃんとできているのか、非常に心配なのだ。

民間任せで問題が起きても政府や監督官庁が責任を取らない事例は過去何度もあったからだ。

外国の人達の隠れた苦悩や不安は、想像以上に大変だと思う。

心を病んでいる人も増えているとの報道もあった。

同じ人間なのだという意識が、まだまだ足りない社会なのだ。

大切なのは、やはり想像力だ。

誰にでも優しい社会は、自身にも優しい社会なのだ。

視点を変えないと、見えない事は沢山ある。

それは、間違った価値観の元、憎しみや差別に繋がるからだ。

 

『壊れそうになっている人。そこから逃げて下さい。

狭い世界で悩んでいる事に気付く為、

もっと広い心の持ち主に、

果てしなく広がる宇宙に、

水平線が見える大きな海に、

何千年も生きている木々に会いに行って下さい。

手を差し伸べる人は必ずいます。

優しさや思いやりを持ったままの自分でいて欲しい。

決して憎み、憎まれる為に生れたのでは無い事に気付くはずです。

そして、そんな人間なる必要など決して無いのですから。』

「A person who is about to break.Please run away from there.

If you realize that you are troubled in a small world,

go see a person with a broader mind,

a vast expanse of space,

a large ocean with a horizon,

and trees that are thousands years old.

There will always be someone who will reach out.

I want you to be yourself with kindness and compassion.

You should realize that you were never born to hate or be hated.

And you never have to be that kind of person.

 

kenpa.blue

 

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20221028152413

安かろう悪かろう⦅Made in Japan⦆

高校に通う息子の最近の話だが、彼は自転車通学をしている。

先日「自転車ぶつけてしまいました。ごめんなさい」と帰って来るなり謝るのだ。

これには、彼の怪我を心配するより「またか!」と。

彼は数回自転車をぶつけ、カゴを変形させたりした前科があるからだ。

理由を聞くと「ボーっとしていた」という言い訳であった。

気を取り直して怪我の有無や、ぶつけたモノが人で無かった事。

もし打ち所が悪ければ、もし人とぶつかったら死ぬこともあるから十分気を付けるようにと諭(さと)したが、うなだれながら私の話を聞いていた彼の口から「自転車直さなくていいから!」と言った途端、頭に来てしまった。

ぶつける度に変形した部分を直し、剥げた部分を塗り直してきた私だったが、それは大切に乗る事が事故を招かないようにする事に繋がると教えているつもりだったからだ。

私にまた負担や迷惑をかけるという想いがあったかもしれないが、「自転車を直さなくていいから!」は、大切にモノを扱っている人間の口から出る言葉では無いからだ。

まして、数件もハシゴして自分で気に入って買った自転車。(勿論代金は私が支払ったが)

もし彼から「出来れば直して欲しい」と言ったなら、怒る事も無かったかもしれない。

結局親ばかで、大きく変形したカゴや支柱を分解整形し修理した。

彼にはカゴが変形する事で衝撃が吸収され、怪我をしなくて済んだ事を話し、大切にするようにとクギを刺した。

昭和の時代に生きた私にとって、自転車は思い出深いものだ。

小学5年生になるまでは、自転車を買ってもらえなくて、自転車に乗る友達の後を走っていた事を思い出す。

それが逆に功を奏して走りはクラスで一番早かった。

その後親が見かねたのか、もしくは不憫(ふびん)に思ったのか念願の自転車を手にしたが、当時2万位したと思うがかなり高額だった。

両親は当時では当たり前であった、マイホームやTVを始めとする電化製品購入の為、必死でお金を貯め、支出を控えていたと思う。

念願のマイホームを手に入れてローンが始まり家計的にも苦しかったと想像する。

ちなみに、中学生の頃登場した自転車はフラッシャー付きの今では考えられないデザインの自転車で、方向指示器や変速機、その他電飾が付いていて単一電池を4本入れるタイプだったと記憶している。

値段は1976年のナショナル自転車で4~5万円。

当時の物価は大卒初任給(公務員)86.000円 高卒初任給(公務員)70.300円 牛乳:47円 かけそば:230円 ラーメン:250円 喫茶店(コーヒー):260円 銭湯:120円 週刊誌:150円 新聞購読料:1.700円 映画館:1.300円でいかに高かったかが分かるだろう。

 

今では、安い海外製の自転車と量販店に押され、町で個人経営している自転車屋を見かける事も少なくなったが、以前勤めていた自転車卸の会社で聞いた話だと、昭和の時代はとても儲かっていたとの事だ。

家も自転車御殿と言われるほど大きな店舗兼住宅が多かったとという話を聞いた。

当時の自転車のブレーキや変則器に指からの力を伝える方法は、今ではワイヤー(高級車は油圧もある)方式で、ブレーキレバーから伸びている黒いチューブの事だが、昔はロッド、すなわち金属の棒をいくつも繋ぐ伝達方式が主流で、今見ても昭和生まれの私にとってはカッコイイ仕組みだった。

プラスティックはほとんど使われていなく、鉄製のパーツが多かったので丈夫だったが重く、よく錆びた記憶がある。

パンクや壊れれば自分で直して使うのが普通だった時代。

親父の修理を見ながら覚えたものだ。

今は中国やベトナム製なら1万弱で買える。

前後のタイヤとチューブ交換やスポークが折れたりした場合、新しく買った方が安い位くらいだ。

いかに自転車が安くなったか解ると思う。

ただ卸の経験から、やはり安いだけあって、溶接部分等は貧弱で強度に問題がある場合が多い。

特に子供や子供を載せて乗る自転車は、値段は高くなるが「TS」マーク(自転車安全整備士が点検確認した普通自転車に貼付されるもので、賠償責任保険と傷害保険等(付帯保険)付き)や一般社団法人自転車協会の「BAA」マーク付きの自転車をお勧めする。

高度成長期の日本は、終身雇用で皆が必死で働き、今では当たり前の様な電化製品を買うのが夢だった。

そしてその一つ一つ値段が高く、壊れれば自力で直す人も多かった。

よく昭和の時代の風景として壊れたTVを叩いている様なシーンが出てくるが、本当にそうやっていたのだ。

配線や部品の接点が錆びや接触不良になる事で叩く事で、直る可能性が多かったのかもしれない。

私が車を乗るようになった頃も、キャブレター交換やオイル交換は自分でやっていたものだ。

今の車は電子制御でブラックボックス化され、素人が簡単に手を出す事も出来なくなったが。

時代は変わり手ごろな値段で、何でもそこそこの性能のものを買えるようになった。

勿論半導体を始めとする、技術力の進歩のお陰で大量に作れるようになり、加えて人件費の安い国での製造によって値段も安くなったわけだが、考えて見ると500円で、デジタル腕時計や傘が買える時代ではあるが、自力で作るのはムリだし、器用な知識のある人でも材料代や加工等でとんでもない金額になるだろう。

ポリ袋一つ自力では作れない。

そう考えると、必要なモノを今有るもので色々な工夫をし自ら作り出してきた昔の人達は凄いと思う。

 

最近の物価高で、我が家も大変苦しい生活を強いられているが、モノの値段が適正になるならば仕方が無い事だが、現状は経済低迷や歴代政府の無策とも言えるその場しのぎの政策が招いたとも言える。

ウクライナ戦争の影響も勿論考えられるが、もしこれが台湾有事や大災害になった時、政府はどうするのであろうか?

軍事力増強の話ばかりで、肝心の国民の生活の事は果たしてどうなるか、想定しているのだろうか?

輸入や輸出に頼っている事は、ずっと前から分かっていた事であり、ウクライナ問題で国内の諸課題に対処が出来ないようでは政府が今日まで準備を怠り、先を見据えての政策をしてこなかったとも言える。

外国人から見ると、例えばスーパーに行くとその品ぞろえや品質の良さに感心するらしいが、どの商品も厳しい審査、見た目や大きさ、決められた規格を守って売っているが、傷が付いたり規格外の商品は店頭には並ばない。

本当にこのようなやり方を続けていて良いのだろうか?

商品や売り手のブランドを守るという意味では、作る側も売る側も仕方がないと言えるが、昔は例えば曲がったキュウリ等売っていたし、ハエが飛び交う中で生の魚も買っていた。

新聞紙にくるんだり、皆カゴを持参してビニール袋など無かった。

賞味期限(注1)、規格外や値崩れの製品も廃棄するのではなく、ちゃんと消費できる仕組みを考えるべきだ。

逆にそれが企業のイメージも上がる時代になっている。

国内産が安全、安心であるならば、特に食品は規格外、傷や変形、大きさの良し悪しで商品価値を決めて切り捨てる事は、全く理にかなっていない。

店や生産者、生産地のブランドを守る事=廃棄処分と考える事を見直さなければならない。

日本国内で生産されているモノなら信用できるという事ならば、農林水産業に限らず工業製品も自国での生産性を上げるべきであり、前提として品質や規格の見直しも必要ではないか。

何より、海外に種苗や技術が流失してしまうリスクや、人が育たないという将来を考えての政策は待ったなしでは無いのか。

最近は、上記の規格外や傷物、賞味期限が迫ったモノを活かす個人や企業が増えてきたのは喜ばしい事ではあるが。

 

令和3年度のカロリーベースの食料自給率は38%(農林水産省より)。

令和1年度でのエネルギー自給率12.1%(経産省)の日本。

年間まだ食べられるのに、捨てられてしまう食べ物が12万トンにもなる現状の中「もったいない」文化が根付いている国だからこそ、食糧の大量廃棄、いわゆる食品ロスを限りなく「0」にするようにするべきであるし、食品に限らずメイドィンジャパンの底力を発揮すべき時だと思う。

エビや貝など相変わらず食品の産地偽造のニュースが後を絶たないが、裏を返せば騙されても気が付かない、気が付けないという情けない舌を持っていると言われても仕方がない国民ばかりとも言えるのではないか。

要するに、書いてある表示を鵜呑みにして「美味しい」と脳が勘違いしているのかもしれないと思うほどである。

この事は同時に関係省庁が形だけでの監査しかしていないという情けない実情をさらけ出しているに他ならない。

ならば、偽物の入る余地もない本物を関係者が提供し続ける事が、産地や生産者を守る事にも、ブランドを維持する事にも繋がる。

合わせて、監査する側の真剣な対応と責任の所在を明確にすべきだ。

何度も起きるこのような事件は、国の体制がきちんと機能していないのと同じ事では無いか。

北海道で起きた観光船沈没事故でも、おざなりの監査が問題になったが、構図は全く変わりない。

また政府は植物の種や工業製品の特許など、国内産業を守る為に真剣に取り組んでもらいたい。

海外に流通してしまってからでは取り返しがつかない。

余りにも、今日までほったらし感が強く感じられる。

また外国資本の、国土の土地購入も本腰を入れて対策しておかないと、それこそ有事の際にどうしようもなくなる。

有事の事で出てくるのは防衛費や設備増強の話ばかりだが、守る国の食糧やエネルギーの問題を余りにも軽視しているように見える。

 

そろそろ賞味期限ばかり気にするより、そちらの方に目を向けて消費行動を移すべき時代だろう。

またすぐ壊れるという前提でモノを買う事もそろそろ見直さなくてはならない。

良いものはそれなりの値段がする。

いい加減気付かなくては、産業自体が衰退していくだろう。

 

まだ私が子供の頃は、放置自転車はほとんどなく、雨が降った後に傘が捨てられていた事も無かった。

勿論、一つ一つの値段が高く、忘れたり無くしたりする事に気を使っていたからだが、今より遥かに壊れやすかった工業製品すら10年以上大切に使っていた。

ちなみに我が家にあるラジカセ、いわゆるラジオとカセットレコーダーとスピーカーが一体となった製品の事だが、日本製で30年以上たった今でも現役で壊れた事は一度もない。

壊れれば、失くせば買えばいいという文化は、本物がすたれていく文化だ。

通販サイトでたまに買い物をするが、失敗するのは主に海外製品が多い。

裏を返せば、日本製は信頼がやはり高いとも言える。

ただサクラや悪質業者もいるのも事実で本当に残念な事だが。

 

以前、妻のイヤリングが安いという事で、試しに買ってみたが、2週間掛かって届いたのは片方のみ。

よくサイトを見なかった私も悪いが(小さい字で表記されていた)、まさか片方だけ買う人などいないという頭だったからだ。

どうりで安いはずだった。

苦情をサイトに伝えたが、返品にも時間がかかるし面倒な手続きの為、断念した。

妻の引き出しに眠る片方だけのイヤリングを見る度、海外業者のものは買わない、もしくは詳しく調べてからとつくづく思うようになった。

また妻の話で恐縮だが、彼女が着る服で後ろにジッパー(ファスナー)がついている服があり、私が手伝って上にあげるのだが、このジッパーが壊れるのだ。

服の値段が安いのか手で掴む金属の材質も粗悪で、エレメントと言われる互い違いの歯の様な部分も見ると不揃いだった。

100均で買ってきて全部取り換える羽目になってしまった。

勿論買ったジッパーは〇KKの国産にした。

 

日本のメーカーが人件費やコストを考え海外で生産しているモノもかなり多いが、日本の企業の信頼を裏切らない様にこれからも継続してもらいたい。

出来れば国内で生産してもらいたいのだ。

雇用も増えるし日本というブランド力も上がる。

国内メーカー製品の裏にmade in〇〇と他国の名が記されていると悲しくなっていしまうのは私だけだろうか?

 

安くて良いモノにもやはり限度というものがあり生産者、製造者の創意工夫は大切だが、やはり適正に値段を決めて欲しい。

特に人件費を削る事、据え置く事は一番悪いやり方だと経営者は強く認識してもらいたい。

人間は機械では無い。

たった一度の人生を、仕事や生産に委ねている事に社会全体が強く意識しないと、いずれ衰退してしまう。

送料無料の陰で泣いている業者も沢山いる。

結局周り廻って消費者に跳ね返ってくる事を考えるべきだ。

賃金が上がらない事にも繋がってくる。

よく一生モノという言葉があるが、失くしたりすれば後悔するような、そして長く愛用できるモノを高くても買う事の方が結局安く済む事に気付いてもいい頃だろう。

 

国内産業が低迷する中、貧困世帯も増え人口も減っていく日本。

軍事力を増強したところで、守るべき、働き消費する肝心の国民がいなくなってしまう事を政府は考えてもらいたい。

何も軍事力だけが国力では無いはずだからだ。


バック・トゥ・ザ・フューチャー トリロジー 30thアニバーサリー・デラックス・エディション ブルーレイBOX

1985年アメリカの映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」( Back to the Future)を見た方も多いと思うが、3部作(その後1989年と1990年)で構成されていた映画で、映画館で観た私も大変面白かった事を記憶している。

そのシーンの中でタイムマシンであるデロリアンという車の修理をしている時に、マシンを発明したドクが壊れたマシンのパーツを見て

なんだ日本製か!だから壊れるんだ

というセリフに主人公のマーティー

日本製は最高なんだよ

と言うシーンを今でもはっきり覚えている。

(セリフはうろ覚えなので正確ではないかも知れないのでご勘弁下さい)

平成19年(2007)、第一次安倍内閣の「感性価値創造イニシアティブ」をキッカケに官民出資による「クールジャパン戦略」を始めたが、どの事業もうまくいかず、計画だけで終わったモノもあり、多額の赤字に終わってしまった。

この日本の良さを広め、ビジネスへという戦略は、税金に群がる人達や企業によって無策となってしまい、大きな損失を生み出したのだ。

国、官が主導でやるといつも同じ失敗をして、無駄な税金の使われ方をし、誰も責任を取らない。

その様な事に税金を使うのであれば、目先では無く中長期的な研究にや事業にお金を使ってもらいたい。

何故なら、結果ばかり求める社会において、国や官僚が将来を見据えて投資しなければ若い人材が育たないからだ。

 

日本の様々商品や食品、コンテンツはその品質やクオリティーの高さで海外では高い評価を受けている。

これは突然そうなったのではなく、製作者や生産者が長い時間をかけ発信し、その良さに気付いた海外の人達が日本発のモノに興味や魅力を感じているのだ。

それは、より良いモノを創意工夫し妥協する事無く、使用者や買い手重視で作成、生産してきた事に他ならない。

目先の利益目的だけでは出来ない伝統と言っても良いくらい素晴らしい文化なのだ。

 

Made in Japanを復活させ、再び世界を席巻する様な時代が来ると信じている。

細やかな心遣いが製品に活かされている日本のモノは、必ず海外でも評価される。

GAFA(ガーファ) 「GoogleAmazonFacebookAppleの頭文字」 と呼ばれるようなアメリカ企業を始め、中国企業が世界を席巻しているが、私達は鉄腕アトムを生み出し、基礎とした国なのだ。

この国を支えている中小零細企業の技術力を侮(あなど)ってはいけないし、潰してはいけないのだ。

そして夢を持った賢くて頼もしい若者が日本には沢山いる。

だからこそ大きな壁が立ちはだかろうが、きっとMade in Japanを育ててくれると信じている。

彼らの活躍を大いに期待したい。

政治家は軍事力よりもっと若者に投資する政策を早く実現して欲しい。

誰もがお金の心配なく大学まで学べる環境を作る事こそ、国力のアップ、すなわち防衛力になる事に早く気付いて欲しいものだ。

世界中の留学生が日本に来て学ぶ環境を積極的に作り出せば、軍拡ありきという馬鹿げた歴史を学ばない考えを持つ政治家がいたとしても、日本を愛してくれる外国人が多ければ日本を攻撃などしない。

四季が豊かで、様々な表現が出来る日本語と、自然を神として謙虚に生きてきた歴史が今も脈々と受け継がれている。

西洋の考え方に理解を示す事は大切だが、同じようになる必要など全くない。

日本地図を見れば解るが、こんなに見事に調和に満ちた島々で構成されている島国は世界の中でも日本ぐらいだ。

そこから生み出すモノは世界をきっと平和にすると信じたい。

 

最後に前述のGAFA(ガーファ)や中国企業の話を記したが、それら企業に限らず、電気が無いとどうしようもなくなる世界に私達は住んでいる事を改めて自覚したい。

どんなに便利になってもエネルギーの供給が無くなれば、何の役にも立たないモノに囲まれて生きている。

地熱発電、水素活用などMade in Japanで必ず乗り切れると信じたい。

 

(注1)「消費期限」:袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「安全に食べられる期限」のこと。お弁当、サンドイッチ、生めん、ケーキなど、いたみやすい食品に表示されています。

「賞味期限」:袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のこと。スナック菓子、カップめん、チーズ、かんづめ、ペットボトル飲料など、消費期限に比べ、いたみにくい食品に表示されています。

農林水産省ホームページより。

 

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生と死の狭間(はざま)(1)

私の父は再婚だった為、父方の親戚とはまったく縁が無かったし、会った記憶も無い。

以前も書いたが高校生の頃、再婚という事実を聞かされ3人の腹違いの兄がいる事を知り、ビックリしたものだ。

父は一切自分の生い立ちや親類の事を話さずこの世を去ったが、遺品整理で家系図が出てきて始めて父が養子に出された事を知った。

一方母方は、昔の家族構成である沢山の子宝だったので、母を筆頭に叔父2人を含め7人も兄弟がいて、祖父母の実家に集まる正月は本当に賑やかだった。

 

昨年末、尊敬し優しかった母方のもう一人の叔父が亡くなった。

人生100年時代。もう少し長く生きて欲しかった。

少年時代、祖父の家に長期の休みになると必ず泊りに行っていた。

夫婦喧嘩がイヤだった事もあり、優しい人達に囲まれての生活は夢のようだった。

当時祖父の家はフスマ屋を経営して、朝から夜遅くまで祖父と長男である叔父が働いていたが、私が泊りに行くと、手を止め小遣いを箱から出してくれたり、遊んでくれたりと、祖母も含め幸せの時間を過ごさせてもらった。

しかし叔父が結婚して間もない頃、突然倒れ他界してしまった。

膵炎(すいえん)だったらしい。

私も結婚してすぐ、急性膵炎になってしまった。

最初は軽い熱が出て、いつまでも治らない為病院へ。

風邪だという事で薬を貰い帰宅したが、いつもと違う予感がし、再度病院で検査。

即入院で丸1カ月絶食と点滴でようやく回復した。

膵臓は悪くなってもなかなか症状を出さない臓器で、発見された時には命に関わる事が多いと聞く。

叔父も、無理をして働き我慢していたに違いない。

それを考えると、今でも心が痛む。

亡くなった叔父が祖父の家に運ばれ、叔母たちを含め親族が身体を拭き、白い着物を着せて横たわせていた。

その作業をジッと柱の陰から見ていた。

叔父の鼻や耳、口は綿を詰められ布団の上で寝かされている白くなっていた顔を見た時、小学生だった私は悲しいというより「死」を間近で見て恐ろしくなったのを覚えている。

そう、息をしていない人を間近で見るのが初めてだったからだ。

同時に病院から葬儀社という今の様な一連の流れではない当時の儀式を始めて見た私は、余りにも衝撃的だった。

そして同時に死んだら全てをさらけ出さなければいけないという事と、全てが終わりになるという漠然とした想いを描いた。

叔父の死後、数日たって日記が見つかり、そこに私の名前が何度も書かれていた事、そして可愛い奴として愛してくれていた事を知り、死後泣くのを我慢していた小学生の私が大泣きしてしまった。

叔父は一人の娘が生まれたばかりでこれからという時の死。

胸中を思うと本当に悔しかったに違いない。

そして、冒頭に記した二番目の叔父が他界したのだ。

兄である長男の叔父の死後、サラリーマンを辞め実家でのフスマ屋を継いだ次男の叔父は、当時二十代後半だったが、仕事を必死で覚え祖父や祖母の死を経てフスマ屋を時代に合わせて内装にも手を広げ、ビルが建つほど大きくしていった努力家で、想像するに大変だったに違いない。

しかし私に対する態度は長兄の叔父と変わらず、いつも笑顔で優しくよく遊んでもらった。

中学生になる頃からだんだんと会う機会が減って、最後にあったのは私の母の葬式だった。

私の弟が叔父に借金をしていたり、私の実家と叔父の創価学会日蓮宗の分裂など親族間でもめていた事もあり、疎遠になってしまったからだ。

私自身は宗教に属してはいなかったが、事あるごとに絡んでくる宗教問題に嫌気がさしていた。

それでも、電話を掛けると優しい声で近況を聞き励ましてくれた。

 

叔父には私の従姉妹にあたる3人の子供がいたが、ほとんど交流は無かった事もあり、叔父の死で母方ともこれで縁が無くなってしまった。

私が結婚し、子供を連れて叔父に会いにいった時の嬉しそうな顔を今でもハッキリ覚えている。

 

叔父の死は妹からの連絡で知ったが、その時点で死後1っカ月以上たっていて、葬儀にも行けなかった。

長年の飲酒と肝硬変、糖尿病で、最後は肝臓癌が脳に転移し亡くなったとの事だった。

その一報を聞いた時に、疎遠になってしまっていた私は後悔と、二度と会えない想いが重なり、本当に落ち込んでしまった。

叔父から沢山の愛を貰って、その恩に報いる事がちゃんとできていなかった事を改めて考えてしまい、自分に対し腹が立って眠れなかった。

いつまでも叔父が生きていると思っていただけに、改めて自分の歳と年月の流れを考えさせられた。

ニュースでも俳優やコメディアンの方の訃報を耳にする事が多くなり、昭和がどんどん遠ざかっていく様で寂しい気持ちになるが、昭和で数えると昭和98年度にもなるのだから、仕方が無い事でもある。

「死」は必ず訪れ、別れの時が来る。

 

人間性や道徳感、年齢など考慮もされない不公平で不平等なものだ。

死を急ぐ者がいるかと思えば、生きたいと病床で祈る者もいる。

戦争や紛争で命を落とす人達もいまだ多い。

何度も書いているが生きることそのものが「苦」であり、逃れる事は「死」以外に無い。

死ぬ為に生れたと言ってもいいかもしれないが、死ぬ準備をする為では無いはずだ。

生物は生きる事で子孫を生み出すからだ。

例え我が子でなくとも、血が繋がっていなくとも人間という生物がこの星で絶えないようにする為なのだ。

病院から葬儀社という形が定番となり、死者との対話する時間が対峙する時間が薄れてしまった現代。

私が幼い頃感じた身近な死の貴重な体験は、無駄にはなっていないと思う。

死は決して老人だけの話では無いはずだ。

しかし現実は、誰もが高齢になる事を前提で物事を考え、拍車をかけるように「信じなければ救われない」「貢献しなければ子子孫孫に遺恨を残す」等と死後の世界をまるで体験してきたかのように語る輩により、献金や墓地を買っている。

一方で、故人の遺品整理に戸惑ったり、家やお墓をどうするかという問題が、少子化や過疎化の問題も重なり、大きな問題になってきている。

 

当たり前だが死後に出来る事は無いし、まして生きている者に悪さをする事など出来るはずもない。

以前にも書いたが、人類は誕生して以来、様々な地域に進出し争いが繰り返されてきた。

もしルーツをさかのぼれば誰の祖先にも負の歴史があり、人を殺めた人物がいたのだ。

先祖の事やカルマ、輪廻転生という言葉で生きている者を惑わす、惑わさせられる事は、本来の言葉の意味から逸脱し、間違った解釈をしている為に起きる。

言葉の意味を調べ、知るべきだ。

お墓などのモニュメントは、生きている人の為であり、死者にとっては何の意味もなさない。

良し悪しは別としてもう昔の風習や伝統は形骸化しつつある。

お墓の代行参りや納骨堂のマンション化等の動きを見れば解る。

あくまでも私見だが、形ばかりにこだわり、やった感でいる事より、本来古くから行われてきた事の意味をもう一度考えるべきだ。

亡くなった方はその人に関わった人達の意識の中にいる。

その事を心に焼き付ける為に儀式があり、モニュメントが必要だったに違いない。

祈る場所は何処ででも出来る。

心の中の話だからだ。

勿論モニュメントがある事で心が穏やかになるのなら否定はしない。

生前の言葉や行動を自身の糧とし、幸せと感じる力を身に付ける事が、亡くなった人が一番喜ぶ事では無いだろうか?

死後の事の為にお金を使うなら、生きている今に困っている人達に寄付したり、自分も含め誰かの幸せの為に使った方が良いと思う。

優しさや思いやりは連鎖する。

その源にあるのが亡くなった人達への想いであり、連鎖は生きている人達の中ででしか起きない。

いつ死ぬかは誰にも解らない。

言い換えれば生きている時間が全てだという事であり、先の見えない未来を心配しても仕方がないとも言える。

ホスピスに勤める方が亡くなる方の多くが、「やっておけばよかった」「時間を大切にしておきたかった」という言葉を残すという話を何処かで読んだが、誰もが後悔しない人生を望んでいる。

財産や死後の話などあまり出てこないとも書いてあった。

流れていく毎日は、その事に気付くチャンスを見逃しているのかもしれない。

 

 

令和4年度の11月までの自殺者数19.902人。

交通事故による死者数は、令和3年で2.636人(警視庁ホームページより)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者数は2020年1月から累計で60.000人以上に上る。

以上の例の様に主に予期せぬ死を迎えた人達の数だけでも、これほどの命が奪われている。

数字に埋もれてしまった一人一人には人生があり、色々な出会いを経てきた人達だ。

誰でも生きてきた証を残しているのだ。

そして誰一人も本当は生きていたかったに違いない。

自分の歳を考え、例え不慮の死でなくとも、残り時間を照らし合わせて、亡くなられた方々と残された家族を思うと、胸が張り裂けそうになる。

 

日常で繰り返されるさり気ない別れ「行ってらっしゃい」「気を付けて」

もしかすると最後の言葉になるかもしれない。

思う事があれば、伝えたい言葉があるなら、口に出して後悔しないようにしたい。

あなたが望む様な人間でいただろうか?

あなたが理想とする人間に値する私でいただろうか?

あなたをちゃんと守れていただろうか?

あなたをしっかり受け止めていただろうか?

あなたの言葉を聞き逃してはいなかっただろうか?

あなたに愛される資格をちゃんと持っていただろうか?

あなたの心の中で永遠の命を持ち続ける事が出来るだろうか?

 

もしかしたらもっと大きな広い世界観であなたを包む事が出来たかもしれない。

日常のさり気ない場面をもっと幸せと感じられたかもしれない。

琴線(きんせん)に触れる言葉をもっと伝える事が出来たかもしれない。

 

たった一つの命と、片道の切符を手にした同士の出会いは奇跡だったから

 

宇宙的な時間の流れから考えても、人類の歴史は塵にも満たない。

そんな人類の過去など、大きな自然の流れの中では何の意味も持たないほど一瞬の出来事に過ぎないだろう。

そう、人生は一瞬であり、また刹那の連続なのだ。

それでも、私達は血を繋ぎ生き延びてきた。

それは亡き人達から授かった謙虚さと想像力の賜物があったからこそ。

 

kenpa.blue

 

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20221028152413

日本は何処に向かうのか?

年末に十代の若者達による「本音」について語り合う番組を見た。

自分の殻から抜け出せない、もしくは守りたい理由で本音では語れない子や本音で語り合う事で分かり合えるといった子達の話を聞いていたのだが、自分達の住んでいる日本に対する関わり合いの話から政治の話になると、意見が割れてしまった。

関心が無いというより自分の事で精一杯という子や夢を追いかけている中、関心が向けられないという発言の一方で、自分達の未来がかかっているからもっと政治に関心を持たないといけないという発言など、大人の私でさえ感心させられ、また考えさせられる番組だった。

 

私が彼らと同年代の頃の事を振り返ってみると、反省しきりで当時ただ流されていただけで、考えるのは異性の事や、TV番組、すぐ目の前のテストの事ぐらいで、政治の事なんて全く頭に無かった。

新年になり各局ともTVで成人式のニュースが流されたが、相変わらずの荒れた成人式を追いかけるマスコミにうんざりしたが、親に感謝の手紙を読む姿や晴れ着姿の若者を見るとこちらまで嬉しくなった。

 

そこでふと思ったのは、年末の政府の無茶ぶりだ。

国葬を始めとする、未だに福島原発の完全廃炉も見通しが立たない中、原子炉の運用年数を引き延ばし政策や、新たな原子炉増設計画。

敵基地攻撃は先制攻撃では無いという解釈も頭がおかしいとしか言いようがない。

例えば、近所に反社会的組織の家があるとして、何をされるか解らないから先に火をつけて燃やしてしまおうという事と同じ考えだ。

人間は必ずミスをする。

間違ってミサイルを発射したり、軌道をコントロールできなくなる可能性も「0」では無い。

近年、電磁波攻撃の影響が懸念されるようになってきているが、上空で核爆発させ電磁パルスEMP(ElectroMagnetic Pulse)を発生させる事で、電子機器を使用出来なくさせる戦術なのだが、そんな中民放で自衛隊の特殊車両や武器の紹介番組を見る機会があったが、「この砲は、全てが人力によるもので電磁波攻撃にも強いものです」とアナウンスされていたが、そんなもので遥か上空から飛んでくるミサイルに対して何も出来ないし、地上戦になった時点で情報が遮断されている可能性が高く、打つ方向さえ解らなくなってしまう可能性が高い。

何より上陸されてしまうと終わりなのだ。

まるでとんちんかんな事をTVはやっていると思いながら見ていた。

情報さえ他国と連携しなければ把握できない現状で、まして電子戦と言われるようなデジタルに強い人材もまだまだ少ない状態にもかかわらず、早急に防衛を検討すべきとか防衛費の大幅増額やそれによる国民負担問題と、訳が分からない事をやっている政府。

あれほど騒いだ宗教問題も徐々に影を潜め、宗教二世問題では救済法などの成立が早かったのは良かったが、まだまだ改善の余地があるのが現状だ。

安倍前総理を含め歴代の政治家や現役の政治家達との関係がどの様な影響をもたらしたか等の検証も全くと言っていいほど何もされていない。

政治家との関係や影響などの検証もせず、選挙が無い事をいい事にマスコミも含め与党、政府は頭がおかしくなったのかと言いたいぐらいにやりたい放題だ。

 

首相が安倍前首相に変わってから「改正教育基本法」「安保関連法」「労働者派遣法」の改悪、「原発輸出」等初期に成立した法だけでも、調べれば国民にとって非常に危険で不利益を被る法律や政策が、今日までいつの間にか成立執行されてきた。

余りにも議論を尽くしたとは程遠い与党のやり方には危険を感じる。

ウクライナや台湾問題に乗じて危機感を煽り、問題をすり替えている気がしてならない。

また今年になっての首相の外交を見ても、欧米諸国と足並みをそろえる発言や相手が喜ぶような話ばかりの首相に日本という国の独自の役割を忘れてしまった、もしくはご機嫌取りでしか見えない言動や行動には恐ろしくなってしまう。

日本国内に目を向けず、まるで国民の民意、全権を託されたかのような行動には寒気がする。

自由主義国のこの国で、民意を余りにも軽視している政権は、どこか歴史を撒き戻している気がしてならない。

アメリカは横浜にある繁華街にも近いノースドック(アメリカ軍の船舶係留地)に陸軍を配置し有事の際の兵站を担う人員配置を日本の合意の元決定したのだ。

陸軍という所が不気味であろう。

横浜市が早期返還を訴え、返還される予定であったこの場所はいずれ基地になり、攻撃目標になる可能性が高くなってしまった。

横田基地から国道16号で結ばれているノースドックは、有事や訓練等で16号線を封鎖する事も十分考えられる。

冒頭、若者達の話を書いたが、彼らにとって日本が平和であるという前提があっての話なのだ。

残念ながら番組の中では戦争や有事の話は無かったが、将来の夢や、希望、挫折も平和だからこそ味わえるもので、今のままだと非常に危うい状態だという事を、若者達に大人はもっと話すべきだ。

日本が戦争に巻き込まれる事が、いつの間にか戦争する事を前提に話が進んでいる。

日米地位協定の見直しもせずアメリカから高い兵器を買って、その裏で貧困に苦しんでいる国民がいる。

一体誰を守ろうとしているのか政治家達に聞きたいものだ。

少子化も含め、疲弊した経済が長く続いている事はもう何年も前から分かっていたはずなのに、有効な手立てを打ってこなかった政権の責任は重い。

首相の言動を見ても、今さら感が強いだけで全く他人事の様に聞こえるのは私だけだろうか。

食糧やエネルギー政策、温暖化、少子化も、ウクライナ戦争よりずっと前から問題にされてきた事だ。

 

議員数や報酬削減等も含め会計検査院の指摘で毎年の様に無駄な税金の使われ方がされているが、政府は「厳粛に受け止める」という発言だけで、一向に改めようとしない中で、国民に負担増を求めるのは、順序が逆ではないか。

日本を取り巻くアジア圏のみならず、世界中できな臭い動きがあるが、日本の役割をもう一度考え直す時かもしれない。

いや、今行動しないで何時やるのだろう?

 

一体この国は何処に向かっているのだろうか?

日々の営みが、さり気ない毎日がいつまでも続く事の素晴らしさに、政治家達はいつになったら気が付くのだろうか?

震災の時に皆が経験した事なのだ。

余りにも想像力が無さすぎる。

 

歴史や過去の教訓から学ばない者は、いずれ滅びる。

その時に責任を取らせても、もう遅い事ぐらい解りそうなものだ。

そして誰も責任を取らない。

ブログでも書いたが、日本はちょうど4枚のプレートの境目に位置している為、地震や火山噴火が多い国だ。

日本海溝・千鳥カムチャッカ海溝・伊豆小田原海溝・フィリピン海溝マリアナ海溝と海に目を向ければ、世界で最も深い海がすぐそばにある。

当然、プレートが沈み込んでいる為だが、改めて考えて見ると地理的にも非常に危険な位置に日本があるわけだ。

いつ大地震や火山噴火が起きてもおかしくない国だという事を政治家達はもう一度頭に叩き込んでもらいたい。

富士山も死火山では無いのだ。

そう、やらなければいけない事が沢山あり、危険極まりない場所に位置している日本に新たな原発増設を考える事の恐ろしさを、そして食糧問題や首都圏壊滅時の指令系統や国民の安全をどう守るか等、問題は山ほどあるのだ。

自然は時に恐ろしい脅威になり、その破壊力は想像を絶するもだ。

絶対神話であれほど安全性を強調してきた原発も、未だどうしようもない状態で放射性廃棄物をどんどん生み出している。

どれほどの専門家が安全だと言ったのか解らないが、今となっては後の祭りである。

人が作ったものに絶対は無いのだ。

それは阪神淡路大震災や3.11の大地震でも証明されている。

勿論歴史を紐解けば、その恐ろしさは歴然なのだ。

 

未だに変異を繰り返し、特に高齢者の死亡が増え、コロナウイルスCOV19は、日本だけで6万人以上もの命を奪っている。

ボーイング787旅客機が200回以上墜落している計算なのだ。

そう考えれば、一人の命と、人生、家族の想いは数では表せないはずだ。

2019年末に発生して今日に至るまで、自国でのワクチンすら開発出来ない国をどう見れば良いのか?

日本は先進国ではなかったのか?

今後、温暖化により凍土が溶けたり、両極の氷が解け、過去に封じ込まれていたウイルスが出現する事だってありうる話なのだ。

どうだろう?日本はそれら自然、人災を問わず災害に対して万全だろうか?

恐ろしく高い兵器を買う事や欧米のご機嫌取り前にやらなければいけない事は沢山あるのではないか。

 

もう一度周辺危機の話に戻るが、今政府がやろうとしている事が果たして日本の為になるのか、まだまだ議論すべきで早急に答えを出すべき問題では絶対に無い。

勿論、有事の危険性が高まっている事は承知している。

きな臭い近隣諸国の動きも戦争や軍事侵攻がいつ起きても不思議ではないが、だからと言って日本が戦争に繋がる様な道筋を考える事とは別にするべきだ。

賛否が分かれ事も承知しているが、利害が絡みエスカレートするのが権力者や政府であり、歴史を見れば明らかな事だ。

マスコミも過去の大戦のプロパガンダに加担した事を忘れてはならない。

マスコミ自身、腰抜け状態だという事を自覚してもらいたい。

 

当たり前だが、もし有事が起きれば生活は一変するだろう。

日本に住む外国人は2020年度で約290万人。

もし有事が起きたとして、敵対する国の在日外国人に政府はどのような処置をするのだろうか?

スパイ扱いにするのか?、強制送還でもするのか?はたまた先の大戦の様に収容所でも作るのであろうか?

ウイキペディア引用

 

敵対する国や、攻撃されている国に住む邦人の安全をどう守るのか?

民間企業に従事する社員達や日本に協力している外国の人達の命は?

アフガニスタンからのアメリカの撤退時の日本政府の対応を見ればお粗末と言わざるを得ない。

そうなのだ。私達は遠い直接的な問題では無いと考えがちだが、戦争が起きると一気に身近な問題として噴出するのだ。

その時点で考えてももう手遅れで、混乱を招き命が脅かされるのは目に見えている。

国内では近所に住む外国人がいきなり敵国の人達になるのである。

関東大震災時のデマによる朝鮮半島出身者に対するひどい仕打ち。

虐殺された「六千余名」という数字が「根拠が希薄な数」であるとして、都知事朝鮮人虐殺の追悼文を断っている事も付け加えておきたい。

ウイキペディア引用

 

過去を振り返れば解る事で、前頭葉では考えられない人達が必ず現れるのだ。

そして今一度想像力を搔き立てて当事者になるか、傍観するのか考えて見るといい。

だからこそ、過去から歴史から学び教訓として活かしていかなければならない。

普通の人達が考えられないような無残な狂気とも言える行動をさせてしまうのが戦争なのだ。

 

戦争体験者は必ず誰もが二度と戦争をしてはならない、こんな思いを次の世代にさせてはならないと言っている。

しかしほとんどがお亡くなりになってしまい、直接話を聞く機会もほぼ無くなってしまった現代。

義務教育でも近代史はほとんど深堀をしていない。

将来を担う若者達にとって戦争は実感も湧かないどころか、考えられない考えもしないのが現実だろう。

だからこそ大人が真剣にこのような問題に取り組むべきで、政権に対して頑として意志を伝えなければいけないのだ。

 

日本は欧米と足並みを揃えるだけがやれる事では無いし、そんな事ばかりをしていると逆に滑稽に見える。

大戦後の反省を踏まえて、世界に貢献してきた日本だからこそやれる、やらなければいけない事が沢山ある。

世界からの日本に対する貢献は、武器や攻撃を望んでいるのであろうか?

アメリカの一つの州にでも組み込まれているのかと疑うくらい言いなりになって、誇りは無いのだろうか?

憲法による恒久的な平和を謳っている事は諸外国も理解している。

ウクライナの大統領の日本に対する自国への支援(武器供与では無い)の感謝からも解るではないか。

この国に求められている事は正に平和外交、つまり話し合いによる解決の先頭に立つ事だ。

独裁者や強権者に対して何も出来ないし、やられっぱなしにされるとの懸念は確かにあるだろう。

が、だからと言って戦争に直接結びつくものでは無いし諦めず地道に官民での外交努力を怠らないようにする事だ。

年月をかけて築いてきた日本の信頼を活かさないで何の意味があるのだろうか?

ウイキペディア引用

 

国産ミサイル開発やトマホークミサイルを買うお金で、飢餓や貧困に直面している世界中の子供達に使う事の方がよっぽど理にかなっているし、人道的であり信頼も増す。

また唯一の被爆国であり、原子炉爆発による多大な被害を受けた国として、NPT=核拡散防止条約に加盟する事は当然な事で、核戦争の危機が増す今でこそチャンスであり欧米の顔色をうかがっている場合では無い。

世界の国々は日本の在り方に理解を示すであろうし、期待するだろう。

そして今の国連の在り方も日本が主導となり改革し、もっと力を発揮できる組織に変えていく事の方が、日本の国益にかなう。

戦争が始まれば終わりなのだ。

何もかもが変わり、多くの命と狂気が襲って来るだろう。

人間として生まれたのであれば、人間らしい行いを忘れてはいけない。

いつの世も愛が謳われ、命を救う名も無きヒーロー達がいた事が証明している。

平和であるからこそ、若者達は夢を描く事が出来、平凡でも幸せな時間が過ごせるのだ。

 

大人の責任は重い。

一人一人の決断が多くの命に関わる事を今一度考えてもらいたい。

そして、どんな事が有ろうとも日本人が外国人を殺してはいけないのだ。

いや人間同士が殺し合いをしてはいけないのだ。

何より今の日本の平和は戦争により沢山の犠牲者、命のお陰で得た尊い時間だという事を、そしてエネルギーや食品など多くの国により支えてもらっている事を、また災害で沢山の命が失われた事を子供や若者達に教え語り継いでもらうようにする事が、今を生きる大人の責任であり義務だと思う。

身近な人達からでも良いから考える時間を作り、日本の将来像を描いてもらいたい。

 

決して憎む為、恨む為に生れてきたのでは無いのだから。

 

日本国憲法 前文より抜粋

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

 

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なぜ、生きなくちゃいけないのか?

事故や災害に病気、犯罪や過失、そして戦争や紛争と、毎日の様に奪われていく数多くの命。

とりわけ生命に満ち溢れている幼い子や若者達の死は、心が張り裂ける。

残された者の心に浮かぶのは、まだまだやりきれていない人生への悔みや無力感に対する答えの出し方だ。

誰もが納得する答えなど持ち合わせていない。

ある人は神に問いただし、ある人は自責の念に取り憑かれ、ある人は思い出にすがる。

またある人は誰かを憎むだろう。

ただ、時間のみが救いになるだけ。

 

この世に生れ出たという事は、死ぬ為。

切り離す事は出来ず、一体だからだ。

コインの裏表と言っていいかもしれない。

放り投げ、手の甲に出る面で当てるゲームの様に、

何か大きな存在が、毎日繰り返しているのかもしれない。

もし裏が出れば全て終わる。

そう電気を消すように。

もう恐れる事も不安に思う事も

そして幸せも、愛も、自分をも感じる事は出来なくなる。

ただ塵となるだけ。

生と死の狭間の時間は、

常に苦との対話によって成り立っている。

誰にも介入できない自己との対話。

その選択は後追いの様に幸せを見せるか、

不幸をもたらすか誰にも判らない。

苦は生への賛美となるもので、

死を望んでは決していない。

むしろ、

生への執着と謳歌を引き寄せるモノだ。

 

才能が無い。

ついていけないかも。

バカにされる。

ムリに決まってる。

不安と心配。

 

キリがない。

止める理由の方が多くなる。

歳を取れば取るほどもっと理由が増えていく。

 

あれこれ理由を付けて先伸ばしするのなら、

いっそうの事やめればいい。

頭から追い出してしまう方がいい。

いつまでも考えない方が、違う方向に早く進める。

 

でも

片隅に少しでも残っているのなら、遅くはない。

みんな、そうして経験を積んでいく。

みんな、そうして変えていく。

そして…

若いと、大きく飛べる。

急な斜面も壁も登れる。

歳をとれば、ゆっくり、しかし確実に進める。

途中で休んでも、遠回りしても、また前に進む。

疲れたら、きっとあなたの手を引いてくれる人がいる。

後戻りはしない。

立ったままより、前に進むと景色が変わる。

知らなかった世界が広がり、見通しが良くなる。

色々な足跡を追うのも、足跡の無い道に行くのも、自由。

 

生を受け、歩き始めるその道は、平坦で道標がある道など始めから無い。

進む過程こそが答えそのもであり、だから歩き続ける意味がある。

愛する自身と誰かの為に。

勇気が荷を軽くするだろう。

諦め(あきら)は死を先取りするようなモノ。

諦めは愛すら殺す。

有限という避けられない死の為に生れた。

しかし生と死の狭間にある過程、時間こそが私達人間に与えられた宝物なのだ。

予期せぬことで、その宝物を手放さなければならない人がいる。

どんなに権力やお金を積んでも手に入らず、先延ばしも出来ない。

死者達がその気付きを授ける為、風を吹かし森を揺さぶり、雨を降らせ渇きを癒す。

陽が光と未来をもたらし、影が自戒と安息を与える。

過程という時間の大切さに彼らは黙ってはいられないのだ。

それほど愛おしい苦の時間だからだ。

 

誰でも一度は鳥の様に空を飛びたいと夢見た事があると思う。

勿論私もそうだったが、飛んでいる夢を見た次の日は決まって熱が出た。(笑)

それは別として、何故空を飛びたいか?。

それは自由だからだろうか。

鳥の様に広い空を、自由に生きたい場所や飛び回れるとしたら、そう考えるだけでもワクワクする。

動物園やペットショップに行くと、鳥たちがケージの中でジッとしている姿をよく見ると思うが、

彼らは飛び回る必要が無い。

敵もいなく捕食されず、食糧にも毎日ありつける。

けれども、大きな空をケージの網から見ることは出来ても、飛び回る事は二度と出来ない。

彼らはケージから出る事を望むのだろうか?

生れながらにケージの中で育った彼らの子供達は?

 

ケージの中では生と死の狭間が無い。

ただ生まれ、後は死を待つのみだからだ。

確かに人々の目を楽しめさせる事は出来るが、

彼らにとって何の意味があるのだろう。

 

外の世界では、いつも敵に狙われ飢餓に苦しむかもしれない

自然は厳しい苦の世界だからだ。

そう生きる事は苦の連続。

それでもケージが開け放たれると、彼らは飛んでいくだろう。

何故なら翼がそれを望むからだ。

多くの鳥たちが死に直面するだろう。

明日何が起きるか、死か、生き延びるか、

だが、大空を飛び回れる至福の時間を味わえる。

ぬるま湯のケージの中での生活からは決して得られない、

彼らの生と死の狭間。

飛ぶという彼らの本能は、例え瞬間に終わったとしても

何よりも代えがたい幸せの時間だからだ。

何よりも代えがたい自由がそこにある。

 

なぜ、生きなくてはいけないのか?

それは生まれたからだ。

生と死のわずかな時間に幸せが埋もれている。

苦と幸はどちらが欠けても成立しない。

苦ばかりと嘆くのは、幸を感じ取る力が足りないからだ。

陽が昇るのも、星がきらめくのも、

自然が見せる彩りも、決してあなたの為では無い。

けれども、生まれずしては決して見る事は出来ない。

生きているあなたにしか出来ない、あなたがそこに何を見出すかだ。

 

あなたの心の中には生まれながらに翼がある。

創造力と想像力の二枚の羽だ。

そこにはケージも取り巻く金網も無く

もしそれを感じているのなら、

自ら作り出している幻だ。

飛び立てば解る。

元々無かった事に。

過程を狭間を飛び回れ。

いつか翼は朽ちるのだ。

ならば、例え一瞬だとしても、

飛ぶ幸せを味わう事だ。

飛ばない言い訳は山ほどあるが

飛ぶ事自体に理由など無い。

何故ならそれが生そのものだからだ。

翼はある。

心の道標として。

そう飛べば解る。

飛び立てば解る。

 

教会にも寺院にも、そしてお墓にも

死者はそこにはいない。

死者は時を超え、形を変え、

そしてあなたに伝えたいのだ。

「後悔するな」

「それでも生きろ」

「生き抜け」と。

駐車場が家から少し離れた所にあり、街路樹や植え込みに囲まれた歩道を少し歩くのだが、植木屋さんの手入れが入っていないからか、丁度ほほのあたりに枝が張り出し、通るたびにほほを葉が撫でる。

最初は、うっとうしくて枝を折ってしまおうかと思ったが、ふと気付いた。

頬を撫でられるように触れる葉が、「今日も新しい一日だよ」とリセットしてくれている様に感じたのだ。

下ばかり見ながら歩いていた私に気付きを教えてくれている様で、何だか心が軽くなった。

いずれ剪定(せんてい)されるであろう枝葉に幸せを貰ったようだ。

それは手をそっと差出すように、温かい触感さえ感じさせてくれた。

 

何気ない日常に「気付き」が隠れている。

それは時に戒めであったり、幸せであったりと「気付き」が無ければ感じられない大切なもの。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

それは生き抜く為。

生れず、また道半ばで命を無くした人、死者に対する最高の贈り物となる。

彼らはそれをもって報われるからだ。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

それはこの世に遊びに来ているのだ。

危険を承知で遊ぶ為に。

思い出して欲しい。

幼い頃のはしゃぎまわっていた時を。

何も考えず、ただ夢中だったことを。

そして夕日が落ちれば、還るだけ。

月が昇れば眠りに落ちる。

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

たった一人でも幸せにする為。

そのたった一人が自分でも。

意味なんかそこには無い。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

生きていないと味わえない

目に見えぬ細菌も

自然が織りなす色の移ろいも

果てしない宇宙も

まるでディナーのように

用意されている。

後は味わうだけ。

だって

席にもう座っているのだ。

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

苦を味わい死ぬ為だ。

死者は語るだろう

死後では苦も無く

幸も無い

ただもう少し時間が欲しかったと

 

子供の頃は夢を持てと言われ、

規則を守れ、はみ出すなと叱られて

大人になるにつれ個性を出せと言われ

諦める理由をいくつも並べられ、

どんどん小さな世界に可能性を押し込んでいた。

自分が嫌いで

惨めで

憎らしくて

でも死ぬ勇気もない

世界で一番不幸だって。

 

でも私より不幸な人はいっぱいいた。

死と真剣に向き合っている人達がいた。

真面目な奴も

不公平な奴も

優しい奴も

意地悪な奴も

みんな何故か生きている。

 

これからどんな人間になるかって

人任せじゃないかも知れない。

もしかしたら

生きてみなきゃ解らない。

 

死ぬのは一回きりだけど

やり直しなら何回も出来る。

生きてさえいたなら。

 

「なぜ生きなくちゃいけないのか?」

その質問の答えは、残念ながらありません。

あの世がどんな所か、還ってきた人がいないから聞く事も出来ません。

世界中の人達が今もその答えを探し続けています。

 

初めていく所や、初めて何かをする時は緊張するし楽しみでもあります。

「もしかしたら」と負の方向に考えてしまうかもしれません。

でも、何が起きても帰る場所があります。

故郷、町や家や、友人、愛する人の胸の中。

しかし「死」には、帰る場所が無いのです。

やがて塵となり、新たな命の元となるだけです。

もしかしたら、あなたは閉じこもっているかもしれませんし、自分の居場所が無いと感じているかもしれません。

例え孤独と感じていても、あなたは、生きている「あなた自身」という帰る家があります。

あなたが考えているより、あなたの心の中はとっても広いのです。

もしかしたら、気付いていないだけかもしれません。

この宇宙にも勝るくらいの広さを持っているのです。

今すぐでなくても、いつか必ず外に出たくなる時が来ます。

だから安心して出かけて下さい。

振り返った時、自分の心の広さを感じ取れるでしょう。

苦しくなったら、帰ればいいだけ。

その時は心の中を飛び回り、広さを感じて下さい。

前よりもっと、見渡せるようになっています。

何故なら、「勇気」という名の明かりを手に持っているからです。

いずれ召される時が必ず来ます。

その日が来るまで。

でも、あっという間なんですよ。

 

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生きる事は苦である⦅幸せの涙⦆(2)

最近、知り合いの訃報を聞きました。

彼は、私の妻と親しくして下さり、息子を川辺でのバーベキューや色々な所に連れ出してくれたりと、私自身お会いする事は無かったのですが、とてもお世話になった方でした。

2年ほど前に癌が見つかり既に転移しており、その時点でステージ4という辛い宣告をされ、以降手術や、放射線、辛い抗がん剤治療を続けながらも、妻に毎日SNSで冗談を言う様な優しい人柄の人でしたが、最近SNSの返事も無く心配していたところでの訃報でした。

私と同年代であり孫も含めて家族もいて、まだまだ働く事を望んでいた彼の事を思うと、さぞかし無念だったと思います。

それは、辛く苦しいのにも関わらず諦めずに治療を続けていた事からも想像できます。

心優しい人が、人生100年時代の中、若くして先立つのは不合理で、不公平と言わざるを得ませんが、彼がやってきた事は私達家族の幸せな時間として記憶に刻まれています。

私達の生活の中で彼は幸せの時間を見つけてくれた人であり、受け取った私達の心の中で生まれた誰かにも同じような楽しい想いをして欲しいという、幸せの種をまいてくれたのです。

そう、苦の中に潜んでいる幸せのおすそ分けと言ってもいいかもしれません。

それは、一人の人間の持つ大きな力の表れを示すもので、誰にでもその可能性を持っているものです。

いつ何が起きるか本当に解らないのが現実です。

病気や事故、災害、もしかしたら戦争が起きるかもしれません。

ニュースで見るそのような事も、別世界の話では無いのに、誰もが「自分には起きない」と考えているのです。

最新の家電に囲まれて、優越感に浸っていても病気で入院してしまえば意味がありません。

もし災害が起きれば、たちまちゴミとなってしまう可能性だってあるのです。

先祖や自身の死後の事を考え立派なお墓を立てても、生きている時間に幸せを感じる事が無ければ、何の為に生れたのか解らなくなってしまいますし、何よりご先祖様が喜ぶはずがありません。

いくつもの時計や靴やカバンを持っていても、体は一つで、手や足はそれぞれ二本しか無いのです。

勿論、全てが悪いとは書いていません。

自分に対する御褒美かもしれませんし、頑張った結果得られたものでもあるからです。

けれども、それは所有した時こそ満足感や喜びがあるとしても、ずっと続く訳では無いのです。

景色の良いタワーマンションでも、何日か住めば当たり前の景色にになるだけで、後は来客者に対しての優越感ぐらいでしょうか。

もう一つ、比較するという誰もがやる事ですが、「歳の割には若く見える」「ルックスに自信がある」「仕事が早い」これらは比較対象がいないと感じる事が出来ない幸せ感です。

もし、それが幸せというなら、本人がそう思うならそれはそれで良いとは思いますし、生きる事の楽しみになっているのも事実で全てが悪い事では無いでしょう。

が、前述した幸せ感はいつまでも続くものでは無く、対象となるものが変わる様な環境の変化や逆にそれが当たり前になってしまった時、心の状態ですぐ失ってしまうモノで、いわば人工的に作られた幸せ感とも言えます。

 

前回「欲」や「比較」が更に苦を作り出す原因になっていると書きました。

ただ、人間は欲や比較がある事で希望や夢を叶えたりする一面もあります。

欲を全部否定しろとは書いていません。

例えば病気などで使われる薬は、当たり前ですが病気などを治す為に使われます。

ただ、薬の効き目がずっと続くと生命まで危ぶむ様な状態になってしまいますが、肝臓が薬を無害にしてくれるからこそ、薬を使えるのです。

薬は毒と同じだという事です。

そう欲や比較も同じように両面があって、使い方を誤れば毒になってしまうのです。

処方箋の役割になるのが、幸せの気付きという事です

当たり前ですが、幸せはお金では買えません。

とは言っても私ですら、目の前に大金があると幸せな気分になるでしょうし、借金の返済や、やりたい事が実現できると心が軽くなるでしょう。

「幸せはお金では買えない」それは誰でもいつか気が付く事ですが、現実はお金が無いとどうしようもない世の中で、自給自足でもしない限り必ず必要なものであり、綺麗ごとでは生きていけないのも確かです。

でもそれは幸せの為と勘違いしているだけかもしれないのです。

幸せと幸せ感は似ているようで、中身は全然違うものです。

もしお金で衣食住が豊かになったとしても、老後の心配が無くなったとしても比較によって得られた幸せ感の満足できる時間は続かず、持ち続ける事が目的になってしまう事と更に上を目指そうとする欲でキリがないのです。

執着心や比較、所有欲は、逆に囲い込む感情が生まれ、手放す事や無くなる事への恐れを生み出していきます。

すなわち「幸せ感」は現状の持続を前提としている為、肝心の幸せを感じる事より、持続が目的となってしまう所に大きな勘違いが生じてしまうのです。

 

もう一つ考えて欲しい事があります。

死後に地獄も天国もありません。

宗教などが死の先にある世界観を作り出しているのは、戒めであり生きている者に対してのものです。

ましてお金によって左右されるような事はありえないのです。

どんなに献金しても、立派な仏壇やお墓を建てても、心が静まる事は無いでしょう。

何故なら生きている事を忘れ、死んでいるのと同じだからです。

そう、生きている時こそ天国と地獄があり、それと向き合わず死後にそのツケを回しているという、滑稽な事をやっているのです。

あなたに幸せを感じられる時間を味わってもらう事が、何より死者達が望んでいる事であり、いずれあなたもそれを受け継ぐ時「死」が来るのです。

ウイキペディア引用(さとるる - 投稿者自身による著作物)

池袋での高齢者運転暴走事故で、奥様とお子さんを亡くされた被害者の男性の方が判決後に今後の上告の質問に対する中でのご発言で、相手に事実を認めてもらいたい事と出来るならこれ以上争いをしたくないという心情をお話しされ

「争い続ける私というのは二人(亡くなった奥様とお子さん)が愛した私では無いから」とおっしゃられていました。(注)

それは、愛し愛されていた家族であったからこその言葉で、亡くなった二人の想い、望みが遺族の方の心の中でちゃんと生きていらっしゃるからこその言葉だと思うのです。

永遠の命と言ってもいいかもしれません。

 

「幸せ」は内なる人間らしさが生み出す有限である事の気付きから感じるものです。

幸せは作れるモノでも無く、格差を生み出したり計れたり、まして比較し数を競うモノでもありません。

それは誰かのマネでも無く自身でしか感じられない奇跡の瞬間なのです。

心に流れる暖かい涙なのです。

子供達の笑顔や、一生懸命に生きようとしているその姿を見ている時の様に。

すなわち苦の中でしか生まれ出てこない、刹那と人間らしさが作り出す涙です。

心の隅々まで染み渡り、人生の瞬間を潤してくれるあなたの涙なのです。

これ以上も以下もありません。

「生」瞬間が全てなのです。

生きている中で幸せは沢山隠れています。

感じ取れるのは自身だけです。

雨が降っていると「うっとうしい」と思う事も出来ますが「緑が喜んでいるかも」とも取れます。

雨が降らないと虹を見る事も出来ません。

満員電車に揺られ、溜まった仕事の事を嫌々考えていたとしても、当たり前のように帰る家がある事だって幸せな事です。

苦を生み出す「想像力」の別の一面である賜物とも言えるでしょう。

そう考えて見ると、苦もまた幸せの元になるのです。

 

もう一つ大切な事があります。

誰でも歳をとりますが、その積み重ねで出てくるあなた自身の言葉は、どんな言葉でしょうか?

その経験からくる優しさや思いやりに溢れている言葉だとしたら、苦もまた報われるでしょう。

誰かをあなたの言葉で幸せにしてあげられると、何より自身が幸せに感じるからです。

共感とか共鳴という人間が持っている素晴らしい能力だからです。

発する言葉はウソをつきませんし、ウソだって事は解るものです。

何故ならあなた自身が気付かずとも無意識の心持を表すからです。

心に耳を傾ければ自身が一番分かっているはずです。

尊敬できる人達の言葉には重みと優しさに溢れています。

耳も相手の話をよく聞く為に、そして音楽や自然の移ろいの音を聞く為に使う様にして欲しいのです。

目は、嫌なものを見る為だけではありません。

大切な人の瞬間を記憶し、芸術や本、豊かな大きな自然を見る為の時間に使って下さい。

普段の生活の中では、なかなか気付きにくい、新たな発見や流れが変わる事だってあるのです。

ヘッドフォンをし、スマートフォンを見ながら下を向いて歩いている時、上を見れば空は青く深く、もしくは星々が輝いて、あなたが存在している事の意味を全て教えてくれています。

そして何より人との出会いが大切な要素でしょう。

どんな素敵な人と出会う事になっても、あなたに準備が出来ていなければその機会を逃してしまう事になります。

準備とは、賢いとか付き合いが上手い、話が面白いというような事では無く、まず自分の考えを素直に話せる状態の事です。

その為に話術テクニックの勉強をしろとか磨け、本を沢山読めとは言っていません。

自分の言葉で話すという事です。

誰かの受け売りをしたり、核心に至るまでお茶を濁したり、虚栄心を張るような事をしない事です。

 

私の妻は何度も書いていますがフィリピン人、すなわち外国人です。

彼女はパートで働いていますが、長年日本にいると言ってもまだまだ日本語、特にニュースで流れる様な難しい言葉は理解できていない様ですし、難しい表現の日本語を話す事は出来ませんが、仕事仲間や友人達からよく相談されます。

私が日本人なのでよく解るのですが、同じ日本人だと何処かで気構えてしまい、相手と釣り合っているのか?とか馬鹿にされるかも?こんな話をして、相手にあれこれ知られるのは嫌と思いがちですが、外国人相手だと全てとは言えませんが不思議とそんな気持ちにはなりません。

妻の例でいうと、彼女は自分をさらけ出す事に抵抗感が無いようで、遠回しに遠慮がちに話される事を嫌います。

言葉が上手く見つけられない時には必死で迂回して話します。

皆がみんな、その様な人格になれるわけではありませんが、彼女を傍で見ている私には大変参考になる存在です。

人との関りは、面倒である側面を持ってはいますが、人生の中では重要な要素である事には変わりありません。

だからこそ、誰かの心の片隅にでも残る様な人間でありたいものです。

その心構えが知らぬ間に幸せを呼び寄せるのかもしれません。

相手の心を変えようとする事より、自身と向き合い、常に問い続ける事で良い連鎖が生まれてきます。

 

普段当たり前と思っているだけで、実はその当たり前の中に幸せが隠れている事の方が多いのです。

ただ何か事が起きてからでないと気付かないもので、その時は、残念ながら後悔ばかりになってしまうでしょう。

そう、時間は遡る事も止める事も出来ない私達に与えられた、かけがえのない贈り物だからです。

 

有限、すなわち必ず死に、不完全であるからこそ幸せが輝くのです。

それは手に持つ事も、所有する事も出来ない一瞬の涙です。

このブログ「心は何処にあるの?」でも書きましたが、心は感覚なのです。

偏った見方や偏見も、そして不幸感も感覚が鈍くなっているせいです。

幸せを見逃さない様に、心を磨いておきましょう。

私達は何の為に生れたのか?

心配の種を撒く為でしょうか?

欲を実現させる為だけでしょうか?

誰かを傷つけ、優越感を得る為でしょうか?

言い訳ばかり、妥協しながら生きる為でしょうか?

それも、短い大切な時間を使ってでもやらなければいけない事でしょうか?

 

私の妻がいつも言っている言葉、

『レット イット ビー「Let it be」』『ケセラ セラ「Que Será, Será」』

彼女のその言葉に、私は何度も助けられました。

苦しい時にはまず「あるがまま」「何とかなる」と自分に言い聞かせましょう。

一呼吸おいて、そして大きく深呼吸してみて下さい。

小さくとも輝いている「幸せ」を感じる為に。

そして、幸せの涙が流れますように。

 

 

(注)切り取りの印象になってしまう可能性もありますから、ユーチューブで全編も見られますので、「池袋プリウス暴走事故裁判後で被害者遺族の夫の言葉」で検索し確認して下さい。

 

kenpa.blue

 

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