心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

車の運転は、真剣勝負・前編

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私が運転免許を取ったのは、18歳。

まず原付免許で腕試し。我ながら褒めてやりたい一発合格!

それから自動二輪中型を教習所で所得。

20代で普通自動車免許を教習所で所得。。

30代で自動二輪大型免許を教習所で所得。

 

当時、車の免許は若者にとっては必需品で、彼女を乗せてドライブに行く事が夢!という時代でした。

教習所も沢山の人が通っていました。

ですから、今のように男女問わず優しくて、素敵な教官は、私の経験では…、いませんでした。

女性に対しては解りませんが、教習中、「ダメだろう!バカヤロー!」と暴言を吐かれ、太ももをつねられたり、怒って教官用ブレーキをかけられたり、軽くですが、頭を叩かれたりと、かなりの今でいうパワハラのオンパレードでした。

とにかく、早く免許を取ってここから抜け出したい一心で、頑張り取りました。

 

と、まあまあ順調に免許を取ったように見えますが、

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実は普通免許を取って2年ぐらいたった頃、男女4人、一台の車で河原にバーベキューをする為出かけたのですが、日本酒を二升も飲んでバカ騒ぎをしてしまいました。

当然帰る為に車を、運転しなくてはならないわけで、ジャンケンで負けた、私がする事になったのです。

そして、もう少しで家に着く時に検問に遭い、飲酒運転の現行犯で逮捕されてしまいました。

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今よりは厳しくなかった、飲酒運転の罰則でしたが、即、拘留されてしまいました。

捕まった日が、金曜日か土曜日でしたので、身柄の検察送りが出来ないと言われ、警察の留置場に泊まる羽目になったのです。

「運が悪かったなぁ」と警官から言われ、留置場へと。

入れられた部屋には先客がいて、「どうしたんや、兄ちゃん?」と声を掛けられ、私は経緯を説明すると、「あかんやないか!あほやなぁ!」と説教されました。

私は一見怖そうなその同居人のお兄さんに「何でここに入れられたのですか?」と丁寧にお伺いすると「覚せい剤や!」と。

その後も、その人から一晩中説教され、立場がおかしいな?と複雑な思いで泣く泣く聞いていました。

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翌朝、留置場に入った方(笑)は解ると思いますが、留置場の部屋のトイレにはレバーが付いていないのです。しかも上半身が丸見え。

要は、凶器に使われるという理由で、用が済むと声を掛けて流してもらうのです。

その後、鉄格子やら床の拭き掃除をやらされて、とんでもない所にいる実感が湧いてきました。

そして、事情聴取後、網の貼られたマイクロバスで検察庁に送られました。

手錠と腰ひもつきで、まさにテレビドラマで見る、あの光景です。

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結局、罰金と免許取り消しという刑が下され、やっと釈放されました。

この時、自由のありがたみを、ヒシヒシ感じたのは言うまでもありません。

当時の私は、なんにも後先の事を、責任がある事を考えない、大バカだったのです。

 

そして、免許が取れない欠格期間が過ぎて、再び原付からの取り直しです。

さすがに、普通免許はお金が掛かるので、一発取り(警察の運転免許センターで、学科と実技を受けて試験まで)でチャレンジする事に。

仮免許を取る為、時間貸しの教習所で練習し、勉強し直してのチャレンジです。

費用は安く済むのですが、運転免許センターでの、仮免許の実技試験には、本当に苦労しました。

何せ、その日に変わるセンター内のコースを覚え、合図や視線のタイミングと、狭い敷地内での動作が、目まぐるしく、反射神経の、テストをされているかのような?厳しさでした。

勿論、コース途中で教官から「はい、終わり!」とミスを指摘され、最後まで走れたのは、5度目の試験を受けた時でした。

走り終えて、「ヤッター!」と思い、車のドアを開けた時、

教官から「残念!ドアを開ける時に後方確認していなかったでしょう!失格!」

いやぁ~悔しかったです。

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そして6度目の挑戦で合格し、広―い路上試験も、難なく突破してやっと手に入れる事が出来ました。

 

もし、過去に戻れるなら「事故や人を轢いたりしなくて、本当に良かったんだぞ!このうすらトンカチ!」「金を返せ!」と自分に言ってやりたいです。

 

40代に知人からの頼みで、自転車卸の会社で働いていました。

中国からコンテナで届く大量の自転車を、敷地内に運んだり、関東圏の自転車屋さんに自転車を届け、営業もかねてトラックを運転する仕事でした。

そして、約一年半後、私が辞める事になり、新しい後輩が入り引継ぎで色々運転も含めて教えて、会社を去りました。

1年もたたない頃、社長から突然電話が入り、後輩が事故を起こして大変だという内容でした。

詳しく聞いてみると、夕方トラックで運転中、交差点で女性のお年寄りを轢き、死亡させてしまい、逮捕され、禁錮3年で刑務所に入れられたとの事。

馴染みの自転車屋さんの一部の人から「人を轢いたトラックで来るな!」といわれた事。

保証問題やトラック購入で資金繰りが厳しく、倒産するという話でした。

私は言葉を失い、何も話せませんでした。

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後輩は、ごく普通の、真面目な青年でしたが、歯車が狂ったことに、私が、少しだけ関与していた時期もあり、あの時、もっと運転の事をきつく指導してやれば良かったと、後悔とため息しか出ませんでした。

 

飲酒運転は、絶対にしてはいけません。

事故もいつ起きるか解りません。

誰にでも起きる可能性があります。

自分は絶対大丈夫、は決してありません。

車は凶器にもなるのです。

 

そしてひとたび事故を起こすと、自分だけの問題ではなく、多くの人達の、悲しみや苦しみを生み出すことを、今一度考えて、安全運転して下さい。

また、高齢者の事故も増え、少しでも動作が鈍くなったと感じた時、出来れば運転を控える勇気も必要です。

 

冒頭の私の情けない、馬鹿な行動を書きましたが、

その「つけ」を払わさせられる事がありました。

後編に書きます。

 

気を付けていても事故は起きるのです。

加害者にも、被害者にもならないよう、

「だろう」ではなく

「もしかしたら」運転をどうかして下さい。

 

運転は、いつも命のかかった真剣勝負です。

続く…

 


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人間、生物は、なぜ存在しているのか?⦅牛や豚の命は⦆(4)

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あなたが見ている世界。

スマートフォンやTVも色の三原色「赤・緑・青」の組み合わせで作られています。

ノーベル物理学賞を受賞した、赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏らの青色LED発光ダイオード)の発明で、薄くて軽いディスプレイが実現しました。

人間の目には、錐体細胞という色を感知する3種類と光に感度が高い桿体細胞で、

色や明るさを認識しています。

すなわち三原色の原理で、色々な色を見る事が出来る反面、

色を識別する、感度が低い錐体細胞が、焦点が合う網膜の中心部分にある為、

暗い中では、色が解りにくいのです。

 

哺乳類、例えば、犬などの大部分の哺乳類は2原色「赤・青」で色を見ています。

種類にもよりますが、人間よりも色の数が少なく見えています。

例えばネコは、弱視であまり色を見るのが不得意な動物です。

 

一方、魚類、両生類、爬虫類、鳥類には4タイプの錐体細胞を持つものが多い為、

人間には見る事が出来ない紫外線も見る事が出来ます。

昆虫は複眼(目が沢山寄り集まっている構造)を持ち、

30000ものレンズで、紫外線まで感知する能力があり、

蛍光灯などの紫外線を出す光に寄って来るのもその仕組みからです。

 

モノを見るという事は、脳の中で信号を処理して、映像として見ています。

進化の中で獲得した色の見る力は、生存の為、

すなわち同種の顔色や、食物を得る為だったり、

敵から逃れる為や種族保存、遺伝子の受け渡しの為に必要だったからです。

 

人間、生物は、なぜ存在しているのか?⦅牛や豚の命は⦆(1) - 心の道標 (kenpa.blue)

「人間、生物は、なぜ存在しているのか?」の中で、

遺伝子の受け渡し、種の受け継ぎの事を書きました。

牛や豚が、人間に食べられる事で、個体の生存時間が短くなったとしても、遺伝子は引き継がれていくという事。

人間も自然の中に取り込まれていて、利用されていると書きました。

牛や豚に限らず、花もまた人間によって、生きながらえている事も書いています。

 

この話をすると、「殺されるためにいるのでは無い」「人間のエゴであり、人間の悪業だ」との見解がありました。

前述の色の話で考えてみると解りやすいので、話を進めていきます。

人間が、多彩な色を見分けられるのは、他の人の顔色や皮膚の色の変化で、感情や健康状態を知る事が出来、果実の食べ頃や敵の発見、自然の中での生き方の学習の為に必要だったからです。

同じように、他の動植物も夜行性や水中等といった環境や、その中での捕食や敵から逃れる手段、そして、繁殖の為に、色を利用しています。

ハナカマキリという昆虫。

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熱帯のラン科の花に集まると考えられていたことから、「ランハナカマキリ」

とも言われているカマキリは、擬態という花にそっくりな色で花に成りきり、

捕食し、幼虫も成虫も紫外線を反射し、紫外線を見ることのできる昆虫にはカマキリと花の区別が難しく、花と間違えて集まってくる虫を捕食していると考えられています。(その他にもある種の物質での誘因作用もあるとされています。)

花も、受粉の為には、虫たちの協力なしでは生き延びていけません。

虫から見た花の色は、蜜がある場所が解りやすいような色をして、引き寄せています。

 

アルビノ(albino)という言葉をご存じでしょうか?

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動物学においては、先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患がある個体の事で、

稀に体が白い動植物が生まれますが、敵から見つけられやすく、

植物は、光合成が出来ない為死滅してしまいます。

(劣性遺伝で生じた白い個体になる白変種という種類もあります)

珍しい個体の為、人間の場合アフリカ等では、迷信的な呪術の道具として殺されたりする例が多数あり、

神からの罰や不運などとも言われ、差別的な扱いを受けているのです。

逆に神聖なものとして扱われたりと、白色というだけで運命に振り回されているのです。

その他の動植物も、自然界では前述のように生き残る確率は非常に低いのですが、

人間が珍しいといった理由や生物学的な意味での介入で、種の保存も可能になるのです。

 

私達が見ている世界は、あくまでも人間の目を通して見ているだけで、

本当の世界の様子は、動植物によってかなり変わるのです。

人間の為、喜ばせ、楽しませる為だけに、生物界に色があるわけではありません。

逆に、色を利用して人間を引き寄せ、種を存続させている例もあるという事です

 

生物にとって一番の目的は、種を残す事、遺伝子を受け渡す事です。

牛や豚といった家畜も、同じ目的です。

地球上では、数々の動植物が絶滅してきました。

環境の変化についていけなかったり、劇的な地球規模の災害、そして人間が絶滅させてきました。

人間の生息地汚染、らん獲や密猟、開発等、衣食住のあらゆる分野での快適性や利便性を優先させる為、殺されてしまった動植物の種類は、たった一年で数万種類の生物とも言われているのです。

生物が誕生して以来、10%しか生き延びていないとも言われています。

 

人間も自然の中に組み込まれた生物です。

組み込まれている限りにおいて、他の生物が利用しても不思議ではありません。

動物も植物も、微生物まで人間は、品種改良し、自らの生活の為に色々な種を作り出しました。

虫が、風が受粉をする代わりに、筆で人間が受粉させてくれるのです。

敵の心配もなく、餌も運んでくれるのです。

パンダもトキも同じ理屈です。

 

人間だけが、特別な存在では無いのです。

だからこそ、気を付けなければ、大きな代償を支払わせられる羽目になります。

野生動物の捕獲や接触からのウイルスや、永久凍土が溶ける事による、未知なる細菌やウイルスの出現の可能性。

温暖化による、蚊や蟻といった有害な昆虫の生息域の拡大等、もう始まっているのです。

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私達は、肉眼では紫外線も見る事も出来ないし、磁気や赤外線を感じる事も、超音波を発する事も出来ません。

機械の手を借りなければ、情報を得る手段は、虫にも劣るのです。

 

近年、食糧危機という言葉を耳にする機会が増えました。

牛肉1キロの為に、約11キロの穀物を必要とし、その穀物を育てる為に、大量の水、約2.000ℓを使用しながら生産された食事をし、食品ロスで捨てられているこの状況は、何処かで破綻するでしょう。

何度も書きますが、人間も自然の中に取り込まれ、食物連鎖に関係しています。

私達の存在は、そんな危うい綱渡りの上で成り立っています。

もし人間が滅べば、家畜や園芸用の花々は、多くが死んでしまうかもしれませんが、生き延びる為に別の手段を選ぶ事でしょう。

それは、武器になるような大きな身体か、牙や角かもしれません。

植物もまた、虫を引き寄せる色を強化するか、突然変異かもしれません。

さて、人間はどうするのでしょう?

最大の武器は、脳です。

どのような知恵を出し、人間という種を守っていくのか、考えるだけでもため息が出ます。

 

いずれにせよ、この地球を空き家にはしない力が働くと思います。

それは、人間でなくてはならないという保証など有りません。

宇宙の流れから見ると、たわいもない事であり、取るに足らない一瞬の出来事なのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタイン

「Only two things are infinite, the universe and human stupidity and I’m not sure about the former.」

『無限なものは二つある。宇宙と人間の愚かさ。前者については今は断言出来ないが。』

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目があるのに何も見ず

口があるのに話さない

鼻があるのにつまんでて

耳があるのに聞いてない

きっとそのうち進化して

のっぺらぼうの顔になる

光の自由を失った

人より何にも見てなくて

言葉の自由を失った

人より何にも語れない

香りの自由を失った

人より何にも味わわず

音の自由を失った

人より何にも気が付かない

きっとそのうち進化して

のっぺらぼうの人になる

 

日々の生活の中で私達に出来る事は、「当たり前」と思わない事です。

沢山の犠牲の元に、今の生活が成り立っている事や、紛争や飢餓で苦しんでいる人達に、思いを馳(は)せる事です。

「いただきます」と「ご馳走様」の意味をかみしめながら、命の事を考える時間を少しでも持つ事が、大切だと思います。

それは、自分の存在の意味を知る手掛かりになると思うからです。

 

銀河連邦、太陽系、唯一の青い小さな第三惑星、地球を、何処か遠い所から、薄目で覗いている大きな存在が、きっとつぶやくでしょう

「今度は誰がそこに住む?」って!

 

(注 本文中の数字は、出来る限り情報を集め記しましたが、あくまでも試算であり、正確な数ではありません。)

 

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神様はいるの?(2)なぜ答えてくれない?

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人間は 間違えやすく、すぐ信じてしまう動物です。

私は、もともと疑いやすい性格もあって、これが正しいと確信したことは余りありませんでした。

ですから、電波時計のような正確な時計か、もしくは手回しの機械式の時計の両方が好きなのです。

確実に正確であるか、手回しの時計に正確さを求めない遊びがあるからです。

 

日本では先の大戦終戦した途端、社会の在り方や思想、民主主義等、それまでの価値観が変わり、信じていたものがもろくも崩れてしまいました。

結果、時代についていけない人達が沢山生まれました。

人間は、信じてしまうと、疑わなくなる側面を持ち、信じ込んでしまいます。

その危ういその側面を、権力者がコントロールしてしまう事は、歴史が証明しています。

原発安全神話もしかり、不沈船と言われた、タイタニックや大和も、結局多くの犠牲が伴いました。それを覆すかのように、当たり前と思わない想像力が、時間が遅くなる事や光が曲がる事の発想を生み出しもしました。

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もし神が人間の定めを、運命を決めているなら、向上心も可能性も必要ない。

良い方向だろうと、その逆であろうと、始めから決められているから。

ただ、運命として受け止めながら、何かの意志の糸で、操り人形のように動く。

そう操り人形には、意志が無い。

自由意志を放棄する条件が必要だから。

時に、ちゃんと糸が張られているか、結び目はほどけていないか確認しながら、またその糸が導く動きに惑わされても、「信じる」という「糸」で繋がっている事を確認し委ねる。

「あなたが糸を操っていているのですよね」と。

起きた事が、起きるであろう事全てにおいて、神の意志であるからだ。

だから、いつまでも信じ続けなくては、悪い事や予期せぬ事が起きた時も、耐えられない。

そして問いかける。「なぜ、答えてくれないのですか?」と。

 

仏像の目をみれば、そこに幸せや不幸は無く、ただそこにいる事を迷いも無く見つめている。

十字架も、キリスト像やマリア像も、ただそこにあり、あなたに視線を合わせない。

そこには、こうあるべきという教えも無い。

見つめているというより、見透かされている。

あなたは、そこに何を見、何を求めるのでしょう?

 

希望や願い、存在の意味?

人々は問う。

「なぜ…」その後に続く言葉は、不平や不満に不平等、苦しみや救い

でも、あるのは静寂であり、無言という答え

応えられないから答えないのではない。

答えこそ、無言で応える。

 

あなたの問いは、人間的な問いであり、その域を出ない。

では、誰に問うているのか?

想像を超えた創造主に?

はたまた、悟ったブッダ達に?

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隠されている神の計画や約束を聞いても、運命や定めを聞いても、

そんなものなど始めから無いのです。

もし神がいて、沢山の願い事を聞き、救いを求められても、

いっぺんに叶えられないだろうし、

どれほど信じていたとしても、優先順位を考えなければならない。

「教えを守っているか?」「どこか抜かりはないか?」「心から信じてるか?」

神はそこも考えなくてはならない。

そう、考えている神は人間的であり、その域から出ない。

「神が考える?」「神が線引きをする?」「天秤にかける?」

だから、いくら答えを求めても答えないのです。

 

その辺に落ちている石ころに、あなたは願ったり、答えを求めません。

石ころは、ただの石ころで人間的では無いからです。

もしその石ころが、大切な人からもらった石ころなら、お守りにもなるし、お願いごともするでしょう。

あなたの見る目が、心が、ただの石ころを特別な石ころに変えただけで、他人から見ればただの石ころに過ぎないのです。

あなたが考える「神」は石ころと同じです。

そこに人間的な、人間の域を出ない「意味」を見い出し、特別な想いを持たせ、ひたすら何も答えない石ころに、問いかけているのです。

抜け落ちているのは、石ころを見ていない所です。ただの石ころだと。

そこに、意味付けをする事も無ければ、見い出す必要も無いのです。

大きな、想像も出来ないほど広い世界に存在する、唯一の石ころですが、ただの石ころです。

そして、それは見てもいない石ころに意味を持たせ、人伝(ひとづて)に「あの石ころには力がある」「信じなさい」と言われているだけです。

そして見てもいない石ころに、問いかけをしているのです。

「あなたは、そこにいて見守って下さる」と。

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私は以前の仕事で、毎日のように仏壇や塔婆、十字架のペンダントや遺品と思われるような物など、トラックから処分する為、放り投げてきました。

私は罰当たりな事をしているのでしょうか?

いや、処分を依頼した人達や運んできたドライバーは、罰せられるのでしょうか?

正直、抵抗はありましたが、それは、そのように思う自分として育ってきたからです。

 

日本も、かつては死者を山に捨てたり、世界では、野ざらしにする鳥葬や川に流したりと、育ってきた環境や教えられてきた事で、死生観や見方が全然違います。

それは、どれが正しくて、どれが間違いかは関係の無い事です。

 

人間は、ただの石ころにも、命を吹き込み、願いを託すことができる地球上での唯一の生物です。

と、同時に無いものまで想像も創造する事も出来るのです。

石ころは、そんな事はもう分かっていて、そこにあるだけなのです。

 

「神」とは、ニュートンアインシュタインやボーア(注1)、ホーキング(注2)達が探し続けてきた、この広大な宇宙に隠された法則であり、カオス(注3)のように装うバランスなのです。

人間は、その中のほんの一部に組み込まれているだけで、人間が抱く苦しみや悲しみは、ただの電気信号で、素粒子(注4)の集まりでしかありません。

カオスが悪戯をし?、人間が生まれてきたにすぎません。

同種を殺し続ける人間、もがいている人間をしり目に、自然は大きな法則に従いながら、流れているだけです。

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マスター達は、それに気が付き、理解に到達した弟子たちに口頭で伝えてきました。

なぜ、マスター達は記する事をしなかったのか?

間違って解釈されることを望まなかったから。

感情移入されかねない恐れがあったから。

例えば、大勢の前で話す時と、個人に話す時は、言葉も変わります。

また聞く者が、どんな理解で聞くかでも変わってきます。

高みにいる者には、無言に近かったでしょう。

理解に達していない者に話す時はマスターが下に降りて、例え話しを交え話した事でしょう。

小学生に教える時と、大学生に教える時、やり方が違うのと同じ理屈です。

何より、自身を見せ、語り、伝えたかったからに違いありません。

 

教えは、形を変え宗教として伝わってしまいました。

マスター達の教えは、皆同じものであり、「教え」であり「宗教」では無いのです。

教えに答えを求める事は出来ません。

宗教にはそれが出来るのです。

いや出来るように装う事が出来るのです。

先延ばしにも時にはするでしょう「もっと信じなさい」「信心が足りない」と。

教えは、凝りもせず同じ事ばかりする人間への戒めであり、また命の謳歌であり、踊るような生の賛美です。

だからこそ、問いに無言で応え、「自身で見つけよ」と、いざなうだけなのです。

「あなたが、生きているあなたが答え」だと。

 

宗教を持つ、持たないは自由であり、認められた権利です。

宗教を通して弱者と言われている人達に、救いの手を差し伸べている行動には、頭が下がります。

ただ、その裏にある、不条理な側面も、私には見え隠れするのです。

「天国と地獄」「天使や悪魔」等の言葉に心が動かされないのです。

自身が、そこには無く、外圧のような物に囚われている気がしてなりません。

誰かの仕業にする事ほど、楽な解決はありませんから。

 

何故、宗教の名の元で多くの命が奪われ、いまだに世界はいがみ合うのか?も。

その事で、見放された人を宗教が助ける事も。

歴史もその事を示しているにもかかわらず、同じ過ちを繰り返すのか?も。

はたして、宗教は必要なのか?とも。

聖書マタイによる福音書24章32-51節に、終末の事が書かれています。(私的解釈ですが)

「色々な戦争や災いが起き、災害や、偽の救い主が現れるが……キリストの再臨が起き……」

この文章を読みますと、地球の最後を表しているように読み取れます。

 

私達の太陽は約50億年ほど先に、そのエネルギーの水素を使い切った後、外側での核融合により、大きく膨らんでいき、地球は飲み込まれていき、赤色巨星になります。それ以前に、大気ははぎとられ高温で、死滅するでしょう。

やがて太陽は小さくなり惑星状星雲になると考えられています。

人類は、太陽と同じ核融合という禁断の果実を手にしました。

太陽によって人類が滅ぶか、手にした核によって自ら滅ぼすのか解りませんが、いずれにせよ、そんな先の事では無く、今生きている人達の事を、愚かしい戦争や自然破壊によって亡くなってしまう命をどう助けるかに、目を向けなければ、マタイの福音書を救いとしても全く意味が無いのです。

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私には、その矛盾が理解できないのです。

ノアの方舟を待っている間に、どれだけの尊い命を犠牲にすれば良いのか?

 

人類は神に答えをずーっと求めてきました。

これからも求め続けるでしょう。

ただ言えるのは、「答えない」という事です。

川に向かって「何で流れているんだ?」と聞いているようなものだからです。

何時間も川を見ていた若き日のブッダは、その答えを見い出したに違いありません。

 

凡人である私としては、まあ、その答えない答えを、死んでから考える事にします。

 

↓このブログ記事も読んでみて下さいね

神様はいるの?(1) - 心の道標 (kenpa.blue)

 

(注1)デンマーク理論物理学者ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr)量子力学の確立に大いに貢献した人物で、アインシュタインと論争した事でも知られている。

(注2)イギリスの理論物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking)

(注3)混沌という意味。物事が入り混じっている状態や無秩序で、まとまりがない状態

(注4)物質を構成する最小の単位

 


イマジン (2010 Digital Remaster)

以前も紹介しましたが、1971年「ジョン・レノン」の楽曲である『イマジン(Imagine)』は、私の大好きな曲です。

「天国や国、宗教が無い事を想像してごらん?」という詩にとても共感出来ます。

有名な曲でご存じの方も多いと思います。もう一度聞いてみて欲しいと思います。

 


オール・バイ・マイセルフ〜ベスト・オブ・エリック・カルメン

1949年生まれのアメリカの歌手『エリック・カルメン(Eric Carmen、Eric Howard Carmen、)』

1975年の曲『オール・バイ・マイセルフ( All by Myself)』は、独りでは生きていけないという歌詞のバラードの名曲で、セリーヌ・ディオンがカバーしています。昔の曲ですが、今聞いてもジーンときますよ。

 

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見方を変えなくてはダメになる!(2)映像を通して

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昭和の時代、TVがお茶の間の主役であった時代。

当時、私の父は朝が早い為、夜はTVを比較的に自由に見る事が出来た。

夜の9時から始まる洋画を見るのが、とても楽しみの一つでした。

「民放を見るな」と言っていた母親も、洋画だけは、文句を言わなかったのです。

独特の語り口で番組の終わりに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と言っていた、

映画解説者の淀川 長治さんの事は、今でもハッキリ覚えています。

 

特に好きだった映画が、西部劇でした。


駅馬車 [DVD]

ジョン・ウェイン(John Wayne)主演の「駅馬車」や「アパッチ砦」など、当時インデアンと呼ばれていた先住民族ネイティブ・アメリカン)と戦う、正義のたくましい男の活躍を、ワクワクして観たものでした。

 

今から考えてみると、ネイティブ・アメリカンは悪、すなわち悪者で、白人が、正義という設定での映画ばかりでした。

小さい頃から、私に刷り込まれた正義と悪は、大人になるにつれて、間違いだった事に気づきました。

土地を奪われ、食糧であり服や靴、武器の矢じりにも利用していた、ウシ科のアメリカバイソンを、毛皮の為だけに次々と銃で殺されてしまい、結局白人社会に取り込まれてしまうキッカケにもなったのです。

 


新装版 新訳 アンクル・トムの小屋

映画化もされた、小説『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom's Cabin)』

黒人奴隷トムの数奇で不幸な半生を描いているこの作品。読んだ方もいらっしゃると思いますが、昔読んだ時と、大人になって読んだ時とは、全然見方が変わりました。優しい白人のもとで、幸せだった奴隷のトム。

持ち主の事業失敗によって売られ、残虐な扱いを受け死ぬという話ですが、幸せといっても、奴隷には変わりなく、あくまで白人の持ち物であり、売り買いされているのです。

良き白人もいる、という前提で読みがちな事も、考えてみるとおかしな話なのです。

「幸せ」を、どこの視点から見るかによって、見方が全然変わってしまうのです。

 


十二人の怒れる男 [DVD]

1957年製作のアメリカ映画『十二人の怒れる男(12 Angry Men)』は、法廷を舞台とした、陪審員の苦悩を描いた作品です。父親殺しの罪に問われた少年の裁判での陪審員の心の動きを、サスペンスドラマのように描かれており、ここでも、違う見方をする人がキーマンとなって新たな展開を生み出し、疑問を持つ事や、少数意見の大切さをこの作品から学べました。

ほとんど一室での会話から作られた作品で、テンポの速いものに慣れた方から観ると、入りずらい映画かも知れませんが、民主主義を学ぶ観点からも、お勧めしたい映画です。


硫黄島からの手紙 [DVD]


父親たちの星条旗(字幕版)

2006年クリント・イーストウッド(Clinton Eastwood)監督のアメリカの戦争映画『硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)』と『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』は、同じ戦争を、敵と味方両方からの視点で作られた姉妹作品で、戦争がもたらす、非人道的な世界の裏の人間模様が、丹念に描かれて、見方が変わると、こうも違うものかと考えさせられる映画でした。

荒野の用心棒やダーティーハリーなど、正義と悪の二極化した作品で、スターになった彼が、監督して描き出したのは、正義や悪を分けて考えない、その中にある人間性を見つめている事です。


グラン・トリノ (字幕版)

2008年の『グラン・トリノ(Gran Torino)』も、隠居暮らしの頑固な男と少年との交流を通じ、生きる事の大切さ、銃社会でのアメリカの持つ虚しさを伝える秀作で、クリント監督ならではの見方が奥の深い作品にしています。

 

一方日本は、アメリカのコミックブック会社「DCコミックス」に登場する、正義と悪の単純な色分けでのスーパーマンバットマンとは違うヒーローを生み出してきました。

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鉄腕アトムを始めとするマンガ以外にも、

特撮モノのウルトラマンやセブン、仮面ライダー達の存在です。

特にウルトラセブンウルトラマンコスモス等、背景にある時代を、作品の中に取り入れ、絶対悪を登場させてはいませんでした。

仮面ライダーもしかりで、正義、悪とは何かという視点で、作られている作品が多く、大人になって見返してみると、子供の頃に観た想いとは別の見方が出来きます。

 

日本は、良くも悪くもあまり宗教の影響が大きくない国です。

マンガや特撮モノの中に見えてくるのは、自然に対する畏敬の念や、人間の中に存在する矛盾を題材にしたものが多く、その点も海外からの評価が高い理由でしょう。

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フライトレーダー24(Flightradar24)というサイトをご存じでしょうか?

リアルタイムで、地図上に行先や便と共に機体が表示されるサイトです。

勿論、世界中を見る事が出来、見たい場所もズームできます。

羽田辺りを見ると、次から次へと飛行機が出入りし、見ているだけで楽しめます。

世界中にこんなにも飛行機が飛んでいるのかと、最初はビックリしました。

地上で見る機体は、「何でこんなものが空を飛べるの?」と思うくらいの大きさですが、大きなスケールで見る時の沢山の飛行機の小ささと、その一機一機に、何百人もの命と、その人の人生が乗っていると考えた時、このサイトを見ている自分が、見方を変えると感じ方も変わるんだと思いました。

 

どんどん画面を引いていくと、

そこに見えるものは、こんな狭い世界に蟻のようにうごめく飛行機が今飛んでいる事と、国境も無ければ、混乱や紛争も見えない、ある意味混沌と、でも淡々と過ぎていく時間の連続ですが、実際には争い事、紛争、差別、自由主義共産主義、独裁者の上を、色々な想いを乗せた飛行機が飛んでいるのです。

 

普段の日常生活において、活動範囲は狭く、同じような事の繰り返しに見えますし、そう感じています。

そして、他人の行動や言動に一喜一憂し、目先の事ばかりに目がいってしまいます。

同じ事の繰り返しほど、退屈で味気ないものはありません。

人間は、刺激が欲しいからです。

それを狭い範囲の中に求めるのですから、ギスギスするのは目に見えています。

その繰り返しが、暴力になったり精神を病んだり、数々の依存症の原因になったりします。

同じ方向からは、景色が変わりません。

それは、幼い頃から植え付けられた価値観や日々の生活、当たり前と思っている事が、当たり前ではないという事です。

同時に、人間はすぐに忘れてしまいます。

災害に伴う停電や断水、ガスの遮断など、その時はありがたみを思っても、普段の生活に戻れば、何もなかったように過ごしてしまうのです。

 

ネズミは、ミッキーになり、害獣になる。

蜘蛛は、ダニや蚊を食べ、嫌われる。

イルカは、ショーの花形になり、食べられる。

カラスは歌われ、追い払われる。

雑草は生き様を褒められ、引き抜かれる。

雨は潤し、うとまれる。

感情での曖昧な位置付けほど、いい加減なものは無い。

そんな目で、誰かを見ていませんか?

 

見方を変える事は、簡単ではありません。

子供や配偶者、職場の人達、身近にいる人達、その人達が日々、

心も身体も変わっている事になかなか気付きにくいのですが、

その為には、相手の言葉を聞く事や変化を見逃さない事が大切ですが、

自身の見方を変えなくては出来ない事なのです。

 

昼間の星はそこにあり

太陽は沈みながら昇る

月は欠けても丸く

川は流れながら留まる

雨の中に海があり

風の中には想いがある

そして

光は粒の中に波を取り込んだ

全てがそこから始まった

 

人類は最初、地球を中心に世界が回っていると考えてきました。

端まで行くと、落ちてしまうと信じられた時代もありました。

いわゆる天動説と言われるものですが、紀元前5 - 4世紀前後には地動説、地球が公転、動いて回っている事に気付いた人もいたのです。ただ空を見上げ観測する道具も無かった時代に、その様な考えを持つ人がいたという事実。

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同じものを見ても「もしかしたら?」

という疑問や想像力が、発見や発明につながっていきます。

意識を、ずーっと上の方へ上げてみるのもいいと思います。

例えば、自分を見下ろす様に、どんどん遠くから見る感じです。

やがて、粒のようになり、宇宙の闇に包まれていくようになるでしょう。

そして逆に、どんどん上から近づいて、やがて心の中まで入り込むのです。

中に見えるものは、もしかしたら空洞かもしれませんよ。

 

見上げた月が追いかける

時速3.600km

どうりで、追いつかれる訳だ

ジェット機だって

時速900km

今度はまったく追いつけない

走って走って立ち止まる

ネコがゆっくり横切って

時の不思議を巻き戻された

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見方を変えなくてはダメになる!(1) - 心の道標 (kenpa.blue)

 

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幸せの見つけ方(4)

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「謙虚」という言葉を、このブログではよく使っていますが、謙虚な人とは、どんな人でしょう?

ただ、頭を低くしているだけでは、謙虚とは言えません。

日本国語大辞典によれば、「 謙遜で、心にわだかまりのないこと。ひかえめで、つつましやかなこと。へりくだって、つつましやかにすること。また、そのさま」という意味です。

 

なかなか、常にそんな風に生きていく事は難しく、息が詰まりそうになってしまいます。

学校や会社、近所付き合いと、社会の中は、色々な人間関係で、ただでさえ息苦しいのに、その上、時分に課すようなイメージを抱いてしまうからです。

 

確かに謙虚さは、幸せを招く糸口になり、コミュニケーションの上で大切な潤滑剤にもなります。

ここで、考えてみましょう。

謙虚さは、あなたの内なるモノで、相手の事は関係の無い事です。

普段よくやってしまう事が、必要以上にへりくだってしまい、自分自身に自信の無さを植え付けてしまう結果に陥りがちなのです。

そんな中で、人間関係の対処法を読んだり学んだりしでも、何の役にもたたないばかりか、余計な負担を自らしょい込む事になってしまい、頭を上げられない状態に陥り、精神的にも参ってしまいます。

そんな状態では、幸せを見つける事にまで心が動けなくなってしまうのです。

 

謙虚さは「内なるもの」という事を、掘り下げて考えてみましょう。

それは、自分に対する向き合い方ともいえるのです。

自身を取り戻す事と言っても良いかもしれません。

 

2020年1月11日放送のNHKスペシャル認知症の第一人者が認知症になった』の番組内で、

認知症になった医師の長谷川和夫さん(注1)が

「僕の体や精神、心のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてだ。なんというのだろう、いつも瑞子と共にいる感じだ幸せだと思う」

と、奥様の瑞子さんの事を書かれていました。

その長谷川さんの患者であった岩切 健さんが亡くなられた後に奥様の裕子さんが、生前に五線譜に書かれた、

「僕にはメロディーがない 和音がない 共鳴がない  帰ってきてくれ僕の心よ 全ての思いの源よ 再び帰ってきてくれ あの美しい心の高鳴りは もう永遠に与えられないのだろうか」

というメモを見つけ、涙ぐんでいらっしゃいました。

 

この「心の道標」ブログ 心は何処にでもある! - 心の道標 (kenpa.blue)

で「心」とは「感覚」と書いています。

その感覚が、病気やストレスによって鈍くなってしまったり、失われてしまうと、共鳴する事が出来なくなってしまいます。

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例えば、ギターという楽器で例えて見ましょう。

ギターには、弦やそれをチューニングする糸巻きの様なペグ。

指を押さえる部分のネックや弦を固定しているブリッジ等、色々なパーツの組み合わせで、構成されています。

ギターの外側にあるそれらが、「心」に当たる部分です。

すなわち、外側にある色々なパーツや、木のボディで作られた入れ物の中が、心の中になります。

ギター本体は、共鳴するように中が空洞になっていますが、中に何かを詰め込むと、音は小さく、貧弱に響くだけです。

心も同じように、元々は空っぽでしたが、生きていくうちに色々と取り込んでいきます。

 

あなたが、ギターを弾く時に、もし弦が切れていたり、チューニングが狂っていたり、傷んでいたなら、ちゃんと音を奏でる事は出来ません。

それは言い換えれば、心という感覚が、傷んでいる事と同じです。

まず、やる事は修復するはずです。音を出す為の大切な作業だからです。

そんな時、横から、「それは間違い」だの「調律がおかしい」などと、横やりが入ったらどうでしょう?

誰かの指図で直そうとしても、その人がちゃんと理解している人でなかったら?

そこで、あなたは心配になり、あれやこれやと情報を集めるのです。

 

でも、幼児期なら、大人が手ほどきすることは出来ますが、成長するにしたがって、本来の修復を忘れ、「おかしな調律だ」の「弦の選び方が違う」など、余計な事を聞いてしまうようになってしまいます。

「ギターは、このように扱うのだ」というこだわりばかりに囚われているのです。

大切なのは、音が出るようにする事であり、その奏でた音が自分にとって心地よければ、それでいいのです。

それが本来の楽器の姿です。

 

この時点での話は、内なる作業での事ですが、にも関わらず自ら他人を取り込んで、「こうあるべき」という答えばかり探しているのです。

感覚という心は、他人が介入する事ではないし、そもそも出来ないのです。

 

そして、その感覚で取り入れるモノ

まず取り込んでいくものは、様々な知識や社会生活を送る上で必要なマナーや倫理観です。

ギターに例えるなら、

本体ボディーの中にある補強の為の棒状の板で力木(ブレイシング)と呼ばれる、本体をしっかり支える役割を担っている大切な部分です。

(種類によっては少し構造も変わります)

 

そして大切なのは、ギター本体、心の中に取り込む感情です。

このブログ「魂とは?霊とは?」魂とは?霊とは? - 心の道標 (kenpa.blue)

の中でも書きましたが、先人達や家族の想いや、自分で経験してきた事柄、すなわち人から受ける影響や言葉等、様々な想いです。

 

あなたが、疎(おろそ)かに、もしくは他人のいう事ばかりでギターの修理をすれば、中に入ってくるものは、優越感や所有欲、苦しみや悲しみといった、ろくでもない事ばかり入ってきます。

しかもそれらは、重いのです。

反対に、あなたの感覚で心地よいと思った手入れの行き届いたギター。

その感覚から入ってくるものは、幸せや楽しみ、希望や夢が多くなります。なぜなら心という感覚が繊細になっているからです。

そしてそれらは軽いのです。

重いものばかり詰め込めば、奏でた音色も濁り、その状態でいくら他人の意見を聞きながら練習しても、自分の出したい音楽を奏でる事は出来ません。

手取り足取り、指図されればどうでしょう?

「横柄な上司に対する対処法」「他人と仲良くする方法」「嫌な人との付き合い方」

いくら、そんな話を聞いても、実行なんか出来る訳がありません。

どんなに、トレーニングしても「生(なま)」には勝てないのです。

だからこそ、センサー、感覚である心、ギターの手入れを自らの手でやり直せば良いのです。

沢山の音楽や本や芸術、経験豊かな人生の先輩の教えや祖先が残した歴史に想いを寄せる。

小さな世界から飛び出す事で、磨きがかかるのです。

あなたが、あなたのままでいる事であり、それが自然体なのです。

ギターは、ギターでありバイオリンではないのです。

 

あなたが、あなたのギターで弾き始める。

あなたが弦をつま弾くのであり、誰かに弾かせるものでは無い。

下手くそでもいい。そうしたら、だんだん楽しくなっていく。

そして耳も、指もあなたが出したい音にに近づいていく。

誰かが、歌い出すかもしれない。

違う楽器を重ねてくるかもしれない。

もっと楽しくなる。

そして共鳴が起きる。

ギターと演奏者、すなわち身体とが一体となり、溶けあい踊り出す。

宴(うたげ)の始まりになる。

 

心の中の魂である欲は重く、自然体は軽いものです。

重いものは響かず、軽いものほど、響き共鳴を強くしてくれます。

すなわちギターの中にある、あなたが取り込んだ素晴らしい魂が共振を呼び、それが聞いている人達に共鳴し伝わっていく事です。

 

心という楽器は基礎を学び、練習すればするほど上手く弾けるようになりますが、自身や人に響くような音をを出す為には、最初は模倣から始まる演奏も、あなた自身があなたのオリジナルを作りだし、奏でて初めて誰かの心に響きます。

それが「生(なま)」の力です。

 

誰もが、幸せになりたいと願っています。

誰でも嫌な事や辛い事から、離れたい、逃げたいと思っています。

でもそれは、誰かのマネからでは、何の解決にもなりません。

ハウツー本を読んでも、意味がありません。

まして、テクニックやトレーニングなんていい加減なものです。

もし、それでうまくいくなら、とっくにこの世から悩みなんて無くなっているはずです。

もう、あなたが既に持っている事に気が付くだけです。

あなたが、あなたでいる事

ただそれだけです。

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嫌な人の世界は狭い

狭い世界の王様だ

だから、外に出たがらない

苦の椅子に座り

きらびやかな孤独の衣をまとい

バイブルを読み上げる

与え捧げよ

されば、王国に招くと

この悲しみの国は

哀れみによって

存続を許される

 


Fender アコースティックギター CC-60S Concert, Natural

小さな世界でギターを弾くのはやめましょう。

想像してみて下さい。

大草原や海のそば、森の中や、星の下。

そこでギターを弾くあなたの姿を。

心という楽器を鳴らす、その楽しみを。

そこには、決められたルールも、トレーニングの成果を見せる事もしなくてもいいのです。

あなたが、あなたを鳴らしているからです。

大きな世界は、あなたの想像力でいくらでも作り出せます。

心の中は、考えている以上に広く、大きいからです。

 

前述の認知症になられた、岩切 健さんの言葉は、認知症の患者にも、「心」がある事を、そして「心」は、自分の内なるもので、誰にもマネの出来ない、オリジナルであり、誰もが、「心」という楽器を持っていると私は解釈しています。

 

「あなたにはメロディーがあり 和音があり 共鳴がある  その美しい心の高鳴りを 解き放つのみ」

(岩切 健 様に捧ぐ)

 

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「幸せの見つけ方」は、生(なま)のあなたでないと、見つける事は出来ません。

何かしらの、優越感や自負心の入り込む余地が無い事なのです。

「謙虚さ」は、他人の為でなく、内なる自分自身の生き方の事です。

だからこそ、見えない大切なものが、見えてきます。

 

(注1)長谷川 和夫さん 精神科医認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授で専門は老年精神医学・認知症

長谷川さんは嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせい にんちしょう)になりました。この病気は、比較的進行が緩やかで、高齢者に多い病気とされています。

ブログ内の番組で語られた言葉は、2020年1月11日放送のNHKスペシャル認知症の第一人者が認知症になった』より引用しております。

 

 


Tonino Baliardo

★フランスのバンド『ジプシー・キングスGipsy Kings)の』リードギター

トニーノ・バリアルド (Tonino Baliardo)は、クラプトンから賞賛されるほどのテクニックの持ち主で、

日本では、時代劇『鬼平犯科帳』エンディングテーマの『インスピレイション (Inspiration) 』

で、そのギターの素晴らしさを披露しています。彼のアルバム『Tonino Baliardo』のCynthiaという曲も、そんな彼のギターを楽しめるインストルメンタルの素敵な曲です。

 


シェイプ・オブ・マイ・ハート

★ロックバンド「ポリス」のベーシスト兼ボーカル『スティング(Sting)』の『Shape Of My Heart』という曲。映画レオンのエンディングテーマでも使われた、ギターが染みる曲です。

チョット暗い感じの曲と詩ですが、心に響きますので聞いてみて下さい。

 

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大人も以前は子供だった

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私が過ごし、そんな中で感じていた昭和の時代、離婚する事はダメとされる時代でした。

世間体を気にし、差別用語も日常茶飯事でした。

誰もが、死ぬほど働き、社員同士は家族以上の存在でもありました。

女性は、家にいるものだとされ、「誰のお陰でメシが食えているんだ」と聞かされました。

先生と呼ばれる人達には、逆らえません。

どんなに辛くても、学校に行かされるのです。

母は「お金が無いのは、頭が無いのと同じ」という言葉を口癖のように話していました。

当時の母は、キャリアウーマン的思考の持ち主で、自分で自由になるお金が欲しかったんだろうと思います。そのせいか解りませんが家事は苦手のようでした。

マイホームを持つ事が当時の両親の夢。

記憶にある幼い頃の借家は、何処も狭く不潔で、自分たちの家を持ちたいと思っても不思議ではありません。

家という二人の夢が叶うと同時に、夫婦仲は悪くなっていきました。

どんな事で、言い争っていたかは、覚えていません。

なぜなら、両手で耳を押さえていたからです。

 

小さな声でしゃべってる

大きなオトナのヒソヒソは

大人の僕には わかるけど

 

大きな声で泣いている

ちいさな子供の悲しみは

大人の僕には わからない

 

小さな口開け微笑んだ

大きなオトナのその理由は

大人の僕には わかるけど

 

大きな口開け笑ってる

ちいさな子供の楽しさは

大人の僕には わからない

 

大人の僕らは ちいさなオトナ

ちいさなオトナの ちいさな心

大人の僕には わかってる

 

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私は、一つ下の弟と年の離れた妹がいる三兄弟の長男として生まれました。

性格は気弱で、独りになるのが好きでした。

ビー玉をずっと眺めていたり、絵を書いたり。

いじめっ子の標的にされることも多かった記憶があります。

生活は質素でしたが、貧乏と感じた事は、私自身余りありませんでした。

父は名のある会社に勤めていましたが、大学を出ていなかった為、課長止まり。

母はそんな父を見ていたのか、「大学には絶対に生きなさい。でないとあんな風になりますよ」とゴミ収集されている方や、汲み取りに来られている方々を指さしていました。

(結局、私がそのような職業につく事となり、その大変さとありがたみを身をもって知る事になりましたが)

 

やっと普及しだした白黒テレビは、父のチャンネル独占権行使の為、プロレスやキックボクシング、野球と、スポーツに縁が無い私は楽しめず、父が留守の時は母が、「民放を見るとバカになる」と言われNHKしか見る事が出来ませんでした。

アトムやウルトラQウルトラマン等、ワクワクする番組は、ゴールデンタイム、すなわち午後7時台に放送していた為、とても悔しかった事を今でも覚えています。

なぜなら、テレビは全国民が見ている時代で、友達との話題に入っていけなかったからです。

夏休み等長期の休みには、おばあちゃんの家にずーと寝泊まりし、見たかった番組が見れる喜びに浸っていました。

優しい祖父や祖母と叔父との生活が無ければ、きっと心が折れていたと思います。

 

ただ、そんな両親に共通した今でも生きている言葉が、「高くても良いものを買いなさい。長く大切に使えるから」でした。

安い他国製の品物が、どんどん国産と入れ替わり、消費を促していますが、それと同時に買った物に愛着や大切に扱う事が減り、使い捨ての様になってしまった事は、今でも残念に思っています。

 

そして思春期を迎えるのですが、どうしようもない虚しさや怒りのようなものが、湧いていました。

両親の不仲の理由が、解るようになったかもしれません。

好きで結婚し、いがみ合う二人に嫌悪感さえ抱いていました。

「何で離婚しないんだ」と。

結局、18歳の頃家を出て、独り暮らしを始め、以降は、一緒に一度も暮らすことは有りませんでした。

 

私の大きなキッカケとなった事は、音楽との出会いでした。

昭和歌謡曲や演歌を、テレビで見聞きして育っていた私の味方になったのが、FMラジオの存在です。

フォークやニューミュージックが出だし、自分でも楽器をやりたいと思ったのです。


イエスタデイ・ワンス・モア~カーペンターズ・ベスト(1991ミックス)

そんな時、ラジオから流れた曲が、

カーペンターズ ( Carpenters)」の「イエスタデイ・ワンス・モア(Yesterday Once More)」でした。

カレンが歌うメロディーや歌詞に、衝撃が走ったのです。

聞いた事も無い英語の曲。

こんな、素晴らしい曲があったんだと、さっそくレコードを買い、擦り切れるまで毎日何度も聞いていました。

音楽との出会いは、そこから友達とつながり、思春期のモヤモヤ感から抜け出すキッカケとなっていったのです。

 

子供の頃、植え付けられた記憶や言葉は、大人になって真に受けるか、反面教師に出来るかで、大きくその後の人生に影響を与えます。

どんな辛い境遇の中で育ったとしても、皆がみんな、悪くなるわけではありません。

優しい人達の出会いやキッカケが、過去の事を教訓として活かさせてくれます。

いつ、そんな人達と出会えるのか?もしくは自身で判断できるようになるかは、誰にも解りません。

ただ言える事は、自分で見つけ、自分に問いかけをしない限り、変わる事や学ぶ事は出来ないという事です。

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人との出会いは、とても大切な事です。

後ろ向きでいると、どうしても同じような考えの人が集まってきます。

私の弟がそうでした。

彼は、高校も途中で辞め、悪い仲間とつるむようになり、窃盗事件や人身事故を起こしたりと、

それが、彼の現実からの逃避方法でした。

彼の立ち直りは、「自分で会社を作る」すなわち、「人の下で働きたくない」という思いでした。

誰でも、悪くなる方向へ行く可能性があります。

そこには自分というものは無く依存している状態なので、近道であり、安易だからです。

 

今、問題になっているのは、他人に迷惑をかける人だけではなく、自分に向けてしまい、身体を売る事や薬物(市販薬も含め)依存、自身を傷つける行為に走る人が多くいる事です。

ニュースでは、その行為に至った過程を、家庭環境や友人関係として報道していますが、前述のとおりの境遇だけで、それらを説明するには無理があります。

この社会が安易に逃げ道を作り、自分たちの欲求やお金の為の標的にする為や、

核家族化やSNSなどのツール、大人達の、時代に合わない規則や縛り。

大人が考えている以上に、知識や情報を集める事が出来る環境。

自然とのふれあいの時間の希薄や他人との関係。

例えば近所の目が無くなった事等、複合的に絡み合っています。

 

若い人達は大人の行動をよく見ています

責任を取らない政治家や忖度し誤魔化す官僚。

安易にお金を得る為に平気で幼稚な犯罪を犯す人等の存在が、彼らの中に明らかに影響を及ぼしています。

タガが外れた状態と言ってもいいでしょう。

 

安易な大人の行動で、逃げ道への壁が低くなり、「今の事しか考えられない」精神状態のまま突っ込んでいくのが現状でしょう。

彼らの中に、現実逃避やあきらめの感情が生まれても不思議ではないのです。

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子供や若者達は、未来を担う宝物です。

安易にこの問題を考え、放置状態にしては未来が無くなります。

多くの優しい大人達の力だけでは、もう限界にきている今の状況を、もっとマスメディアで取り上げ、政治家達が本気で向かわないと、誰もが不幸な社会になってしまいます。

 

大人が不幸と感じ、幸せを感じていないと、何も希望を彼らは見いだせないのです。

余りに、大人の世界が、視野が狭くなっています。

一人一人が、子供達の親として考え、行動するかがカギになるでしょう。

 

建物や機械には「余裕」や「遊び」が必要です。

それは、もしもの時を考え、それでも壊れないようにする工夫です。

大人に、その様な「余裕」や「遊び」が無くなっています。

その事に気付かなかいまま、いつも張りつめた狭い世界で、息苦しささえ感じる人達の存在が、本来の生き方や、社会を取り戻すことは出来るでしょうか?

 

子供達は

大人の涙を見たくない

その小さな頭では

笑うか閉じるかその二つだけ

どちらも精一杯の同じ表現で

きっとたくさん心で泣いて

涙は出てこないだけ

 

おもいっきり笑って泣かせてあげよう

子供達の優しさに

答える義務がそこにある

裏切られない責任がある

 

大人達は

子供の涙を見たくは無い

その頭で考える

出来ない理由を探し出す

諦めと運命なんだと納得させて

けれども、大丈夫と言いたくて

涙が流れて止まらない

 

おもいっきり笑って抱きしめてみて

子供達の可能性

答える義務を見い出して

叶えられないわけなどない

 

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大人もかつては子供でした

今、考えると大したことでは無い事でも、子供時代は悩み、時には死にたいと考えた事がありました。

大人が大きく見え、時に怖い存在でした。

本気の大人が、尊敬や憧れの大人達が、沢山いました。

ふと見せる、弱さやバカ加減がカッコよかった大人達。

早く大人になりたいと思ったはずです。

 

何年も大人でいると、忘れてしまいます。

何年も大人でいられるのは、子供たちを大人にする為です。

反面教師のがっかりさせる大人を見せてはいけないのです。

 


新装版 虹の翼 (文春文庫)

吉村昭さんの『虹の翼』という本があります。

二宮忠八というライト兄弟よりも先に「飛行器」を考案していた伝記小説

飛行機だけの話ではなく、吉村さんの綿密な取材を元に、、大きく動く歴史の中、夢を追う二宮の波乱万丈な人生を描いた、素晴らしい作品です。

夢を見る子供から、現実の厳しさにもめげずに生きた大人の生き様で、吉村作品ならではの、読み応えがある作品です。

 


ヒーロー

マライア・キャリーMariah Carey)』が歌う「ヒーロー」 (Hero)という曲。

誰もが自分の中に、ヒーローがいるという歌詞です。

自分を信じる事の大切さを歌いあげている曲として、私は捉えています。

マライアの歌唱力が、バラードを盛り上げる素敵な曲です。

 


ベスト・オブ・ギルバート・オサリバン

ギルバート・オサリバン(Gilbert O'Sullivan)』の曲

1972年にリリースの「アローン・アゲイン」(Alone Again - Naturally)は、曲だけでは、少し楽しげに聞こえますが、歌詞は、「なぜこんな風に辛い事が起きるのに…で、結局独りぼっちに」という暗い内容ですが、切なさと生き方が見え隠れする内容で、私のお気に入りの曲でもあります。

ギルバートは、楽譜が読めず、作曲やピアノ演奏は独学でマスターした努力の人で、数々のヒットを作り出したアーティストです。

 

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幸せの見つけ方(3)

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幸せを考える時、セットのように不幸という言葉がついてきます。

社会が過密で、複雑になればなるほど、不幸と感じる時間が多くなっていきます。

人との交わりが希薄になり、限られた相手とのコミュニケーションに疲れ、家庭まで持ち込んでしまいます。

 

遠い祖先に最初は、幸も不幸もありませんでした。

子育てや食糧、敵からの攻撃と、集団での結束が必要だったからで、平等であり平等でなければ生きていけなかったからです。

その日暮らしが、食糧の分配や子育て等、平等という形で人と人を繋いでいたからです。

平等が、幸、不幸を生み出さなかったとも言えます。

やがて、その日暮らしから、農業という貯蓄できる食料の獲得により、平等さは薄れていき、持つものと、持たざる者、管理者と労働者の様な社会が、不平等や不平感を生み出し、加速させました。

と同時に幸せや不幸せの概念が、徐々に生まれたのです。

 

すなわち、誰かと比べ、良いか悪いか、得か損かが不平等を生み、不幸を作りだしたのです。

その日暮らしである、「今日」という区切りが、明日や未来にまで区切りが引き延ばされ、同時に心配事が増えていったのです。

そして競争社会が追い打ちをかけているのです。

 

不幸は、お金で買えます。

どんな不幸か選ぶ事が出来るからです。

物欲も虚栄心も、喪失感もさえも。

その気になれば、全部買う事が出来るのです。

 

不幸は道連れが大好きなんです。

自分の手で引き寄せることだってします。連れて行こうとするのです。

時には、お金の力で、時には、権力で。

そしてお金が無い人は不幸を選べないんです。

時に人は、選べない不幸を宗教に委ね、また酒や薬物に深入りし、

救いを求め自滅の道を選んでしまいます。

社会に適合できなければ、孤立を生み、心を病んでしまう事も不思議ではありません。

すなわち、不幸は持続させる事も、先延ばしにする事も出来るのです。

 

災害や事故で、亡くなった人や家族は、不幸と言わざるを得ません。

自ら招いたものでも無く、突然日常が奪われてしまったからであり、予期せぬ事だけに、諦めがつかない事でもあるからです。

同じく病気や障害でも、不幸の中にいると見る事も出来ます。

池袋で起きた悲惨な事故は、まだ記憶に新しいのですが、

遺族の方が「亡くなった妻や子供が願う自分でありたい」という言葉は、とても大きく、深い言葉でした。

例え、誰かから見て、不幸だと思っていても、またその中にあっても、

人間は幸せを見つける力があり、日々のチョットした幸せを見つける事の積み重ねが、いかに大切かを身をもって教えてくれているのです。

 

「幸せ」は、受け取ってもらえるかは、気にしません。

自分だけのモノでも無く、強要もしません。

ただ、意志とは関係なく舞い、踊り、自然に体が動くような心のダンス。

それは、シンデレラのように、決められた時間の制約の中に潜んでいるようです。

 

今日という日が二度と来ない事、明日にならなければ、明日の事は解らないという事。

あなたが、時間という限られた枠に気が付いた時に、ふと気づく瞬間です。

何気ない、日常に潜むその瞬間は、準備されたあなたの心に宿るでしょう。

まるで、子供の誕生を待ちわびるように。

子供が見せる笑顔のように。

その時の心は、無条件です。

自然も、時間も無条件に「幸せ」をもってあなたに接しているのです。

見返りという言葉は、そこには存在しません。

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海の満ち引きは、決して同じことを繰り返してはいません。

その、瞬間の連続だけです。

それは、先延ばしにも、留める事も出来ない瞬間です。

 

あなたが見ていようと、見てまいと、そんな事ちっとも気にしていません。

でも、その規則の無い優しさを、あなたが心躍り出すように見る事が出来るのです。

海には、その準備ができているのですから。

 

幸せを、感じる為に何かするのであれば、「幸せ」は、見えてこないものです。

そこには、期待や見返りが顔を覗かせて、

「まだ足りない、もっとある」って言いたがるからです。

「執着」がご機嫌取りになり、「欲」が幸せを奪い取ります。

幸せは、与えるものではありません。

その裏には与えようとする同情、義務が隠れているからです。

それは、一部の宗教にも見られる行為で、布教を目的化し、自分に課す事で他の人を幸せに導こうとする事です。

考えれば解ると思いますが、その本人は、幸福感ではあっても、目的が果たせない限りにおいては、幸せにはなれない事になります。

常に幸せ感という不幸を背負っていることに気が付いてもいないのです。

もう幸せであるにもかかわらずに、

「まだまだ足りない」「もっと広めないと」と。

 

あなたが不幸を持って、どうして誰かを幸せにできる?

あなたが信じる幸せってモノが、誰にでも当てはまる?

誰かから与えられる幸せは、何かに頼っての幸せ感では?

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もしあなたが、お金や、地位やモノ、満足感や優越感で幸せと感じたなら、

同じような幸せを、誰かに感じさせようとしてしまう。

「どうだ!満足したろ」と。

あなたの体験から一歩も外に出ない幸せ感という不幸。

あなたのせいで、先走って、見逃させてしまう事だって起きうる。

幸せは内なるものであり、外から訪れるものでは無いから。

間違えていけないのは、与えられた事による幸福感幸せとは違うという事です。

幸福感は、常に供給を必要とするのです。

お金やモノ、信心や信用。

 

幸せは、自然からこぼれ落ちたカケラを拾う事です。

カケラを探し、見つけ出す事から始まります。

誰も見ない落ちてるダイヤは、ただの石ですが、

あなたが見つければ、光り輝く宝物になります。

もう、既にそこら中に落ちているんです。

みんな、探そうとしていないから、見ていないだけで見逃してるんです。

 

幸せは

今日見つけないと

明日は何があるか解らないよ

「有り難う」

「ごめんなさい」

「大好きだよ」

そして

「愛してる」

明日に引き延ばす言葉じゃないんだからね

その言葉には

幸せが隠れてて

伝えたっがているんだ

気が付かない?

 

何も持たずに生まれて来て、何も持たずに旅立つのです。

無くても良いものを抱え込み、持つ事が心の渇きになり、飢えて苦しみます。

いずれ、最後には手放す事となるのに。

 

幸せは、無関心の中にはありません。

愛の反義語が無関心だからです。

無関心は孤独や孤立を取り込んでしまいます。

だから社会が無関心であっては、そこにある幸せを見つける力を人々から奪っていきます。

 

しかし、幸せを考える時、まず「人間関係ありき」から考える事が間違いなのです。

孤独や孤立は、人間関係の中で生み出され、精神状態に悪い影響を与える事は、科学が証明しています。

良き家族や友人に囲まれたなら、心穏やかに過ごす事が出来るかもしれません。

もしその様な事が叶ったとしても、幸せかどうかは解りません。

誰もが、そのような理想の様な生活をする事も出来ないのです。

人間関係を良くする為に、あれやこれやといらぬ言葉を考え、モノを分け与え、

結局残るのは、自分の中の満足感で、それを満たそうと、キリがないのです。

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花の種を鉢に植える。

毎日芽が出るのを楽しみにしながら。

待望の、芽が出て葉が大きくなる。

いずれ咲く花を、あなたは楽しみに待つ。

種は、鉢の大きさも、水やりの機会も選択できないが、

あなたの知らない所で、小さな鉢の世界に閉じ込められながらも、

見えない土の中に根を伸ばし必死に生きようとしている。

種がまかれた場所や日の光、土、水やりの仕方を運命としてあきらめてはいない。

今できる事を、精一杯やっている。

そのけなげさに、心動かされないで何を求めよう。

 

幸せを見つける時に、運命や定めという理由を持ち込んではいけない。

それと幸せは、何の関係も無い事。

今を生きる。

どんな事があっても生き続ける。

その中でしか見つけられない。

 

幸せは、人間関係の中だけで感じられるものではありません。

愛は、人間同士だけではなく、この世にすでに満ち溢れています。

誰でも、いつでも、何処ででも見つける事が出来るのが「幸せ」です。

見つける力は、誰もが持っています。

自然の中に見る、ほんのチョットとした出来事の中にも隠れています。

本を読んだ時や音楽を聴いた時だって、幸せな時間を作ってくれます。

光に透かしたビー玉の中にだって、あるのです。

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教えてあげて下さい。

あなたが「しあわせ」を見つけた方法を。

あなたのやり方で。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

「I never think of the future.It comes soon enough.」

『私は未来のことなんか考えない。だって未来は、すぐそこに来ているのだから。』

 


シッダールタ(新潮文庫)

ドイツ生まれのスイスの作家『ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse』は、『シッダールタ(Siddhartha)』という1922年に書かれた、悟りの境地に至るまでの苦行や経験を描いている小説で、映画化もされていて、主人公の苦悩や悟りとは何であるかを、ヘッセ自身が投影されているかのようで、ブッダと重ねて描かれた作品です。

頭の中に映像が鮮やかに浮かび上がり、是非読んで欲しいと思います。

 


3Dリアル自然音「波の音」

『3Dリアル自然音「波の音」』

たまには、波の音を流しながら、ゆったりするのもいいかもしれませんよ。

私も、波の音を聞きながらブログを書くことが多いんです。

 

 

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