心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

灰色の絵具

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この美しい、かけがえのない地球。

きっと、悲しんでいる大きな存在がいる。

私達は、何の為に、何をする為、ここにいるのか。

この星が、望んでいる事は、今のような世界ではないはず。

与えられた、命を、夢を、灰色の絵具で塗りつぶして、

誰が、喜ぶだろうか。

 

この星の拡散する青色の下には、深くまで届く豊かな彩りがあり、

調和に満ちた光に満たされている。

それは、この星自らの、住人達への贈り物。

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気付くと、答えてくれるこの星の忍耐に、

いつまでも甘えてはならない。

願わずにはいられない。

奇跡の星が望む、かけがえのない命の継続を。

 

↓オリジナル曲が再生します↓

『灰色の絵具』

 

風が優しくめくり 季節を閉じる

大地と種の絵具を 雨が混ぜてゆく

物語は彩られて 光のしずく 日付を記して

遥か遠くから 繰り返されてる 

命が溶けあって 戯れて

 

僕らは それさえも 忘れてる 忘れてる

灰色の絵具で 塗り替えてる 塗り替えてる

地球の贈り物 パレットと絵具は

僕たちにだけじゃない

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心は言葉を伝え 言葉を超える

夢と明日の絵具は その行方を彩る

一粒の涙の種は 悲しみの痛み 重ねた数だけ

幸せとなる 実を実らせてく

祈りと 想い出の雨に濡れて

僕らはそれさえも 忘れてる 忘れてる

灰色の絵具で 塗り替えてる 塗り替えてる

地球の贈り物 パレットと絵具は 

僕たちに一つずつ

 

僕らはいつか 気が付くだろうか

時を刻む音が響く

 

誰かが何処かで 求めてる 求めてる

誰にもあなたには 変われない 変われない

 

僕らはそれさえも 忘れてる 忘れてる

灰色の絵具で 塗り替えてる 塗り替えてる

 

世界中を探しても その心と命は

一人に一つずつ

気が付いてよ

気が付いてよ

 

このままじゃダメ

このままじゃダメ

 


進化論の不思議と謎―進化する「進化論」 ダーウィンから分子生物学まで (学校で教えない教科書)

いつ何が起きるか解らない不安定な環境の中で、生きている事。

地球誕生以来、どれほどの生物が絶滅したでしょうか?

人間だけが例外では無い事を考え、今を大切に生きていかなければ。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

「The important thing is to continue to ask myself.」
『大切なのは、自問自答し続けることである。』

 

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表に出ないオモテ(自分の裏)

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藤野高明さん83歳(1938年生まれ)をご存じでしょうか?

NHKの番組で、藤野さんの存在を知りました。

コンクール「NHK障害福祉賞」。2002年に最優秀賞を受賞した元教師の方です。

1946年戦後すぐ、不発弾で、両腕の手首から先と両目の視力を失い、差別や障害者には、ほとんど社会がが受け入れようとしていなかった時代に、苦労し勉強を重ね、世界史の教職を得、30年間先生として教壇に立たれた方です。

 

目の手術(結局治らなかった)で入院中、看護婦さんとの交流をきっかけに点字を習い、唇で読むことまで習得。

妹さんや、大学の友人達に助けられ、自分の道を切り開いた、番組の中での藤野さんの言葉は、とても重く心を揺さぶるものでした。

 

「文字の獲得は光の獲得でした」

5年間の入院生活で、点字を習得し、点字を通して学んでいく藤野さんの言葉は、当たり前のように学校に行き、文字を学んだ私にとっては、当たり前という事が、そうでは無いという事を改めて強く感じました。

大学での生活を送るうえで、職員が「あなたの事は責任が持てない。

もし何かあったら困るでしょう」と、大学をやめさせるような言葉を言われ、

「何かあったら困るのは私自身」と、責任逃れの言い訳をする職員に対し思った事や、「学校に残って」と友人たちが支えになった話の中で「助けてもらう事は恥ずかしい事では無い」とおっしゃっていた言葉。

藤野さんの原動力になったのは、周りにいた素晴らしい人達と、手記にも書かれていた「障害をもつだけでも多くの苦痛と不利益を受けるのに、まして社会的につくられた不就学という不利益まで強制されたのでは、障害児とその家族は浮かばれません。」という思いだったそうです。

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番組の後半、お孫さんに

「運命は解らないもので、あなたが生まれたのは奇跡であり、自分と他人の命を大切にするようにと(要約)」と話されていた藤野さんは、穏やかで、優しいお顔をされていました。

番組は1時間でしたが、藤野さんのほんの一部の話であり、その後ろにある長い人生を考えると。頭が下がる思いでした。

 


未来につなぐいのち

「人間てすごい」まず見た私の感想です。

このように生きてこられた人のお陰で、世の中も少しずつ良くなって来た事と、何より自分の置かれた立場を負と捉えず、前向きに歩いてこられた名も知らぬ人達に、想いを馳せさせてくれた事に、感謝しかありません。

 

普段の生活の中では、藤野高明さんのような、障害を持たれていらっしゃる人達の存在を身近に感じ、接する機会がほとんどありません。

今回、私が考えさせられたのは、

私の中に「ちゃんと自分は生きてきたのか」「自分がそうならなくて良かった」「時代が悪かった」という負い目のような、言い訳のような感情を持ったことです。

自分の事として考えようとしても、そこまでに至れないもどかしさや痛みを、そんな気持ちをどう受け止め、整理すればいいのか。

そして、ひそかに覗く「優越感」のような感情に情けなさを覚えたのです。

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無関心である事は良くない事です。

が関心がありながら落としどころを探している自分に、改めて気づかされました。

差別や排除は、いつの時代にもあり、今なおくすぶり続けています。

「自分は、そんな人間ではない」と断言する事が出来るでしょうか?

社会は、常に変化して、心がなかなか追いついていけません。

 

インターネット社会がもたらす恩恵は、同時に多くの不幸をもたらしました。

情報の共有が共感となり、それに同調できないものを排除してしまったり、常に誰かの視線にさらされている感覚が、本来の自分を隠し、理想の自分像として振舞ったりと、枚挙にいとまがない状態です。

自己保全の力が当然働き、同じ事をを良しとし、

「赤信号、横断歩道をみんなで渡れば……」という心理で群れ、不公平感や不満を他人の問題にすり替えて、満足を得ようとする人達が増えるのも、仕方が無いかもしれません。

しかし、その事を放置する事は、差別や偏見を蔓延させるウイルスのように、誰にでも起きうる事で、拡散し連鎖して、押さえていた、ないしは隠れていた負の部分を、表に出させてしまいます。

 

誰にでもある自己保存の本能が、自己の中で満足感を得られない為、犠牲になる何かが必要になるのです。

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一部の人達の事例でいうと、

「クジラやイルカは、知能を持ち可愛いから殺すな」と言いながら牛や豚肉を食べている事実。

寂しいから、可愛いからとペットショップで命を買い、一方で捨て猫や犬の多くが安楽死されている事実。

加えて、動物をネタにし、ドラマティックに演出してまで流し、捨てられ、虐待されている事実を啓発し問題に取り上げないメディアの数々。

 

裏返せば、その時の気分や正義感を含め、「感情」が命をもてあそんでいるのと同じです。

そのターゲットが人に向くと、差別や偏見、排除と繋がっていくのです。

それは誰にでも起きうる事です。

心の中での良し悪しの線引き自体が、隠れているウイルスの発生源かもしれないのです。

 

振り返ると失敗や情けない事、人の心を傷つけてしまった事等、背中に沢山しょっています。

ちゃんと子供の手本となっているか?伴侶にふさわしい人間か?人生を無駄に生きてはいないか?

毎日のように、自分に問うています。

今日まで思い通りの歩みとは言えませんが、負の部分も含めて、それもまた私の人生であり、自身で選んできた道です。

だからと言って、「良し」としてはいけないのです。

それは、「変わる事が出来る」という人間の持つ強さであり、留まる事を選ぶ弱さを「謙虚」「想像力」で乗り越えられるのです。

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人の顔は、その人の人柄をよく表していると思います。

生きてきた中での、苦悩や悩み、試練を乗り越えてきた人達の顔は、語らずともうかがえる表情の中に見える「謙虚さ」や「信念」。

裏返せば、自信の無さや負の裏打ちが顔に表れるともいえるかもしれません。

私なりに生きて中で、いつも思う事は、自分としっかり対話する事の大切さと、過去から学ぶ事、

いくつになっても、学ばなければならない、言い換えれば好奇心や想像力を持ち続ける事がとても必要であり、

心優しき人達を呼び寄せられるような人間でいなくては、いけないと思うのです。

 

いくつになっても世の中には、まだまだ知らない事が多すぎます。

そして、知れば知るほど疑問だらけになってしまいます。

「誰かと比べて、まだましな方だと」それが単なる錯覚にすぎず、言い訳にもならない事や、お金やモノに対する執着も、解ってはいても捨てられない自分がいる事も。

それでも、生きて行かなくてはいけない事も。

 

この世に遊びに来て、還らなければならない事も。

世の自然は、とっくに答えを出して、この世界を謳歌している事も。

 


楽しく生きる

 


アインシュタイン150の言葉

「Never do anything against conscience even if the state demands it.」

『もし状況がそうすることを求めても、良心に反することはどんなことであってもするな。』

 

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若者達へのメッセージ(1)

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君がいなくとも、地球は回るが、

君がいれば、世界が変わる。

 

君が生まれた

君に選択は無かった

何故なら生まれるべき存在だったから

その理由に悩むだろう

誰も君に教えられないから

でも君はここにいる

それだけでいい

人は時に君を惑わせるだろう

誰かの君に変えようとする

存在意義を問いただすだろう

廻りを見渡すのだ

海や空

木も花もそこにあり

ただ時間を見守る

いや時間をも越えて存在すら意識していない

教えは何処にでも隠されている

 

存在の探究は

人生という一方向の有限の旅の中で

心に焼き付ける生の生き様であり

得るモノでは無く

解き放つ力なのだ

世界は君が考えている以上に優しくない

しかし考えている以上に深く広い

無邪気に遊び

生に歓喜するその連続が

君の存在の鍵であり

全うする旅の最後の扉を開ける時

全てが解るだろう

だから急ぐ必要は無い

ただ謙虚さえ忘れなければ

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君が抱える悩みや問題は、内なる自身から生み出される。

それは、幼い頃より植え付けられてきた価値観や生き方の負の部分かもしれない。

もしかしたら、イジメられ孤立してたいたからかもしれない。

そう、自分が嫌いな自分を憎んでいたかもしれない。

知らない間に心の中に線を引くように。

良い悪いの境界線に幸せと不幸せ、公平や不公平。

なぜ自分だけが……と。

 

そしてそれは、厄介な事にいつも同じ位置には無い。

経験によっても、置かれた立場や気分でも変わってしまう不安定なものだ。

だから、その罠に囚われないように自分を見張っていよう。

自分の心の中の線引きが何処にあるか、よく見てみるがいい。

 

そこには、線引きなど元々無かった。

境界線など無いのだ。

心が生み出し、安心する為に作り出している幻想に過ぎない。

心は比べたがり、私物化したがり、それは際限が無く、往生際が悪い。

振り回され、選択を常に迫られる状況を自ら作り、二択の答えばかりに捕らわれている。

助言は聞いてもいいし、経験も必要だが、答えを人に求めてはいけない。

疲れて追い込まれて、上手くいかない事なんか誰にでもいつでも起こる。

どんなに歳を重ねてもだ。

なぜ僕だけが、私だけがと疑問に思うだろう。

考えてごらん?自分自身の事を理解している人がどれほどいるか?

「理解している」なんて嘘だ。

誰も自分の事なんて解りやしない。

なぜなら心は流動し、一時として同じ自分なんていやしない。

自分さえ解らないのに、どうして周りが理解できる?

そんな誰かと比べている愚かさを考えて見るがいい。

寄り添ってくれる、見守ってくれる人は君を理解しようとは思っていない。

ありのままの君を受け入れているからだ。

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外に答えを見い出さないよう、内に求めれば良い

心優しき人が必ずいる。

何故なら、私達は人間同士だからだ。

内なる今の君が手を伸ばせばいいだけなのだ。

自分に対する責任を持てるのは君だけであり、君のモノだから。

忘れてはいけない!

責任があるという幸せを手にしている事を!

 

もし答えを外に向けたとしたら、誰かの自分になってしまう。

それは君では無くなり、誰かから見た君の幻想になる。

 

心が流動するのは君が生きている証拠であり、君が持つ力だ。

留まるのは、死んだ後にやればいい!

君は自由で、可能性に満ち溢れ、常に、常に新しい。

君が答えそのものだと、いずれ気付く時が必ず来る。

先回りも知ったかぶりも優越感も妬(ねた)みも何をしでかすか、もう解っているはずだ。

いくら外面を良くしても一時しのぎにしかならない事も。

「内なる自分」とは、誰とも比べず、誰かの鏡でもない。

答えを知ろうとする、内なる問いかけの連続であり、

探求は、誰にも邪魔出来ない君の旅であり、それは、宇宙の果てを見つける冒険に等しいくらいだ。

誰かと比べる事が

優しさを奪って

偽りの君のままにする

気付いているだろうか?

いつか気付けるだろうか?

勇気もいるし

覚悟もいる

君にしか出来ない優しさを

君が持っている事に

多くの出会いが

君を内側から引き出す

経験と失敗

挫折を糧と思える

心は深みを増し

音に委ね

言葉と戯れ

調和と混沌を知り

そして君は前を見る

君の旅に、幸多からん事を!

 

 


アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉

「Nante man to send a life that is said to be normal, not palm not to be one.

I would like see you If we had been.」

『普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。』

 

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バイク便ライダーは、キツイ!

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バイクは、非日常の世界を体感できる、最高の乗り物です。

視界360度、マシンとの一体感、アクセルやクラッチ、ブレーキとその一つ一つに応えてくれるマシン。

乗って見ないと、この感覚は解らないでしょうね。

 

ただ、危ない乗り物には、変わりありません。

30代半ば、とにかくお金が欲しくて仕事を探していました。

当時スズキのバンデット250㏄に乗っていて、折角なので好きなバイクを使っての、この仕事を選びました。

バイク便の内容は多岐にわたり、公共性のある新聞やテレビ局などからの依頼や電話会社や部品メーカーなど会社からの依頼。個人から、例えば、空港でパスポートを忘れた事に気付き、取りに行ってくれ等様々な仕事依頼になるべく早く時間内に届ける仕事でした。

基本給はあるのですが、歩合制で、件数をこなし、それも長距離を走れば、お金になる仕事でした。

ですから、数をこなす為、スピードも上げて走るのです。

当時大阪は、東京と違って、バイクは片側2車線でも一番左を走るのが常識で、渋滞していても、左の路側帯をものすごいスピードですり抜けるのが、バイク便ライダーの常でした。

同業者のバイクが走っていようものなら、意地でもその前に出るという、大変危険な馬鹿野郎ばかりでした。勿論私もその中の馬鹿野郎でした。

速さが売りのこの仕事。

当時はナビもスマートフォンも無いので、ポケベルを持たされ、地図をタンクの上のタンクバッグに乗せ走り回り、雨の日は、特に危険でかなり過酷でした。

当時、横断歩道はハシゴのような路面標示で、中に水が溜まって、とても滑りやすかったのです。

同僚の中にも転倒してる奴がいました。

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少し慣れた頃、事務所で待機していた時に同僚からの電話が。

「今どこにいるか解りません?!」

届け先を把握していたバイク便の責任者が

「周りに何が見える?」

同僚「草原が見えます!」

その場にいた皆が大笑いでした。

彼は、浄水場の上の芝生を見ていたらしく、その人は勿論クビになりました。

地図が読めないと、仕事にならないからです。

 

またある日、当時出回りだした携帯電話を届ける仕事の依頼がありました。

電話会社から顧客へ届ける仕事です。

この頃、携帯電話の修理依頼が多く、毎日のように依頼があったのです。

言われた住所に着いても、建物が解らないのです。

すると、少し離れた所に止めていたベンツがパッシング。

そして中から体格の良いお兄さんが

「待っとったんやでぇ!もうちょっと遅かったらえらい事やでぇ~!」

私はビクビクしながらお金をもらい帰りました。

その後も、怖い系の人達には悩ませられました。

今でこそ笑い話ですが、恐ろしかった経験です。

 

またある日、ポケベルが鳴り、事務所に電話しようと、電話ボックスを探していましたが、その地域が悪かった!

大阪でも当時は荒れて、物騒な町があり、探せど探せど、電話の受話器の線が切られているのです。

これにはホントに参りました!

その後どうしたかの記憶はありませんが、いつの時代にも悪い奴がいるものです。

 

そのうち私は眼鏡用レンズを各眼鏡屋さんに配達するルート廻りに変わりましたが、ルートとは言え、速さが求められるのは同じ。

大阪の某眼鏡レンズ会社から、京都や滋賀県をカバーする範囲の広い仕事で、とにかく無我夢中で毎日走りまわっていました。

 

同僚のルートライダーが、事故に遭い入院したり、常に危険と隣り合わせの毎日でした。

そして起きたのです。事故が!

滋賀県の琵琶湖沿い、渋滞中の道路の左を走っていた時、前から来た車が右折。

いわゆるサンキュー事故です。

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右折しようとする車に、道を譲る為、前との車の間を開ける時に発生する事故の事で、私は、正面からぶつかって10mも飛ばされ、左腕の2本とも骨折し、足のあちこちに擦過傷。

たまたま運よく後ろを走っていた白バイ警官が助けてくれ、私の顎部分が割れたフルフェイスのヘルメットを脱がしながら「よく助かったな!もう少しでポールにぶつかっていたよ」と。

そして落ちた所が、たまたま植込みだったのも良かった事を教えてくれました。

で、そのまま救急車で入院。自宅から80㎞以上離れた病院へ。

ここで初めて看護師、いわゆる男の看護師さんと出会いました。

とても優しくしていただき、一人きりの入院生活の不安が和らいだ事をはっきり覚えています。

入院中、屋上で煙草を吸いながら見上げたオリオン座がとても綺麗で、

「俺は何をやってんだろう」とつぶやいていました。

骨折した腕の骨の中にステンレス棒を入れ固定するという、今考えただけでも痛い手術をして、約一カ月後退院。

バイクは無茶苦茶に壊れてしまい、中古のホンダ VT250に乗り変え、懲りずにまた、バイク便に復帰しました。

復帰後しばらくして、骨の中の棒を抜くため病院へ。

いやぁ~痛かった。

ところがその後リハビリしても、手首がうまく回らないのです。

要は手のひらを上に出来なくなってしまい、お釣りを受け取る際も、体をひねらないといけない状態でした。

その結果、骨を削る手術をする羽目に。

災難は続きました。

そして、また現場へ。

相変わらず事務所では「俺のここには、棒が入っている」とか「寒いと、うずくんだよね」と言って大きな傷跡を見せる奴とか。

とても普通の会話ではなかった記憶があり、私もその仲間でした。

とにかく危ない仕事でした。

それでも乗っていたのは、バイクが好きという理由が一番大きかったと思います。

そしてまた事故。

今度は車の左横を走行中、車がいきなり左折。

右手小指が、車と自車のハンドルに挟まれ骨折。

仕事を辞めるきっかけになりました。

 

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グローバル Web アイコン警視庁公認 交通安全情報サイト TOKYO SAFETY ACTIONより

 

車を運転している方へ

対向してくるバイクは小さく、遠近感で遠くに見える為、右折の際、大丈夫と思われがちです。

また、バイクに乗っていない人には判りにくいのが、考えている以上にスピードが出ています。

交差点での右折やUターン時は、十分意識して車を操作して下さい。

また、対向してくる車のすぐ後ろに走っている時があります。

特に大型車の後ろは見えにくいので、注意が必要です。

左折時や助手席のドアを開ける際、バックミラーの死角に入る事があるので、気を付けて下さい。

昨今の、あおり運転もバイクでは死んでしまいます。

実際にも起きましたが、バカな真似は絶対にしないで下さい。

 

バイクもまた進化していますが、ライダーは生身で、事故の際は車と違い、かなりリスクがあるのは、昔と同様です。

たとえ原付バイクでも、ライダー自身が身を守る「もしかしたら運転」に気を付けて、バイクとの素敵な、時間を過ごしてください。

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「スズキ バンディット250」水冷DOHC4バルブ並列4気筒・最高出力40PS / 14,000rpm・最大トルク2.5kgf・m / 10,000rpm・車重146kg - 147 kgのネイキッドバイク。

鋼管丸パイプを強調したダイヤモンド構造のフレームが、とても美しいデザインの車で、4ストローク水冷4気筒エンジンは、かなり高回転まで回す事が出来る楽しいバイクでした。

マーブルピュアーレッドの色も相まって、一目ぼれしました。

後に、カウルの付いたバージョンが発売になり、仮面ライダー気分を味わえるバイクでもあり、

このカウル付きが欲しくて仕方がなかったバイクです。

 

「ホンダ VT250スパーダ」水冷4ストDOHC4バルブV型2気筒・249cc・40PS/12000rpm

2.6kg-m/9000rpm・車重140kg V型エンジンの為、車幅が細く、すり抜けに適していたのと、ホンダカブから受け継がれている、エンジンの耐久性、燃費の良さで、バイク便のバイクと言われるほど、需要がありました。

個人的には、万人受けで個性の無い印象の車でしたが、信頼できるバイクでは、トップクラスでした。(冒頭の写真)

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最近、宅配やデリバリーで、スクーターや自転車が町中を走り回っています。

一部の心無い人達が、交通法規を無視したり、事故を誘発するような光景を、私も見るようになりました。

運んでいるのは、品物だけではなく、自分の命も乗せている事を忘れないで欲しいものです。

二輪は、車との事故では必ず怪我や、最悪死ぬこともあります。

対歩行者では、加害者となり一生の後悔が残る事を忘れないで下さい。

また、スリッパやサンダル等は、指や足を守る意味でも、非常に危険です。

ちゃんとした靴と長袖長ズボンで乗って下さい。

 

大切なあなたを含め、誰かが悲しむような事にならないよう、毎日惰性ではなく、新たな気持ちで運転して下さい。

勿論、スマートフォン見ながら運転は、危険極まりない行為です。

情報のほとんどが、目から入ってきます。

目隠しをして運転なんか出来ません。

取り返しのつかない事を起さないよう、安全運転で走って下さいね。

 


最新バイク図鑑 2021-2022 (ヤエスメディアムック675)

 

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幸せの見つけ方(1)

誰かを傷つけ

嘘をついてその場しのぎをし

恨んだり憎んだり

怒ったり羨(うらや)んだりした時

その手に握っていた鍵で開ける

思い出の引き出しの中に

何が入っているのでしょう?

 

あなたが持っている鍵はきっと

逆上がりが出来た時

友達と、倒れるほど飲み明かし

心揺さぶる音楽との共鳴

新しい命との出会い

そして

誰かを必死で愛している時の鍵

 

引き出しを開ける度

幸せの笑みがこぼれ落ちるだろう

 

多くの人が幸せになりたいと思って生活し、様々な媒体を使って生き方や、悩み、人生論を読んだり、聞かされたり。

その時は「ん-ん、そうだったのか」と思い、自分の糧として取り込むようにします。

偉人たちが残した言葉も、親が伝えてきた教えも、頭では理解していても、なかなか実践には至らない。

断捨離をし、偉いお坊さんの話に納得をし、テレビの有名人の話に共感を得たり……

けれど、いつの間にかそれは理想になり、自分には無理だと思い始め日々の中に埋もれていくのです。

そして後悔し、再び情報に救いを求め始める。

それの繰り返しが実情なのでしょう。

 

人間は飽きっぽいし、欲もあるし、自分が可愛い。

常に刺激を求め、他人と比較するもので、

でも、その感情が無ければ、進歩も向上も無かったのも事実です。

そして、その感情を利用して商品が売れ経済を回しているのです。

次から次へと、人々の欲求を満たそうと個人も企業も必死。

 

タワーマンションに住み、高級外車を乗り回す人がいれば、ホームレスの方が数百円の収入を得る為、アルミ缶を集めていたり、虐待され施設に預けられたられる子供がいるかと思えば、有名小学校に通い、習い事をしたりと、本人が望む望まないを別として、公平で平等ではない社会に私達は暮らしていて、民主主義でも共産主義でも、一律の「幸せ」「幸福感」それは不可能な事です。

 

一昔前までご飯一つ焚くのも洗濯するのも、もっと遡れば日々の糧を得るのも時間がかかり労力を伴いました。

移動も徒歩から今では様々な移動手段があり、行動範囲も格段広くなっています。

スーパーで食品をいつでも買う事ができ、様々な家電が時間の節約に貢献しているにも関わらず、私達は日々生活に追われ時間が無いと嘆いているのです。

 

沢山の情報が手に入り物事が短絡的になった割には時間に余裕が無くなったと感じるようになる。

あれもこれもと、やらなければいけないような強迫感がつきまとい、落ち着きが無くなっています。

一つの物事を成し終えると、また次々と欲求を満たさなければという性(さが)からかもしれません。

 

人間の幸せは、何処に行くのでしょうか?

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外から与えられるのか、内なるものなのか。

神や仏の言葉と称し、また哲学者が幸せの定義を論じ、

時にそれは本質を見失させてしまい、

その言葉だけが独り歩きしてしまいます。

なぜなら人間は一つの法則、例えば宗教や伝える人達を信じる事からスタートし、その範囲内で「幸せ」になる方法を学ぼうとするからです。

自らの世界、視野を狭くして「幸せ」が見つかるでしょうか?

人間は一人では生きていけない動物であり、繋がりを持とうとします。

そしてシンボルになるモノを提示し作り、結束しようとします。

行動は制限され、考え方も一方向になり、従わなければ排除してしまう事も起きます。

良い方向に向けば少しは世の中に平和を生み出しますが、残念ながら歴史はそう見てはいないようです。

 

一人一人が幸せという概念を持ち、価値観や環境が違う中で「幸せ」とは?を定義する事はなかなか出来ないのです。

何か目標に到達した時や成し遂げた時、その折々には「幸せ」を感じていても、次々と幸せという価値観が変わっていき持続しないのです。

ただ、過去形として人は「幸せだった」「不幸せな人生だった」と語る事は出来るのです。

それは「欲」が消えた時に発せられる言葉です。

見方を変えれば、望む事が出来なくなってしまった状態であるかもしれません。

体力的な理由や老い、病気や死に直面した時など、自分の力ではどうにもならない時かもしれません。

 

元気で日々生活している中で、「幸せ」を感じる事が出来れば、感じる回数が増えれば、生きがいにも、活力にもつながります。

 

幸せはモノに頼ると所有欲や優越感という幸せとはかけ離れた要因が入り込み、一時的には感じるかもしれませんが、いつまでたっても幸せを味わう事はありません。

一時的に満たされたように感じるだけで、モノが手に入るとまた次のモノへと、際限なく欲求を満たす事に「幸せ」が置き換わってしまうのです。

 

では、「幸せ」を人を通して見つけようとしましょう。

多かれ少なかれ人生において、人間関係という繋がりは必ずあります。

ほとんどの人が、孤独で寂しい人生を送りたいとは思っていません。

親や友人、パートナーとの出会い、子供に囲まれる事は人生においてエッセンスのように「心」を豊かにしてくれます。

ただ誰もがその出会いで幸せになる、味わえるわけではありません。

関係性が深ければ深いほど、心配事が増え、裏切りや不満、嫉妬など、人間関係で崩れてしまう人達が多くいるのも事実です。

幸せになる為という行動が、不幸せな結果になってしまう事だって沢山あるのです。


アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

 

心理学者『アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)』は「人間は、対人関係の中でしか幸福を実感することができない。」という言葉を残していますが、はたしてそうでしょうか?

アドラーが考える幸福という概念が、本当に正しいのでしょうか?

人間も自然の中の一部でしかありません。

 

人間が「火」を手に入れた時、どれほどのありがたみを感じたでしょうか?

食べ物の食べ方も変わり、夜を照らし、暖をとりとまるで魔法のように神のように考えていたでしょう。

キャンプファイヤーも、暗い中火を囲み歌い談笑する、たったそれだけで暖かくなります。

身体を温める事は、心が暖まる事とよく似ています。

誰かに抱きしめられている時や手から伝わるぬくもり、沢山の人達に囲まれる安心感。

あなたが「幸せ」と感じた事を思い出してみて下さい。

友達と遊んだ時? 

好きな人といる時? 

子供が生まれた時? 

仕事がうまくいった時?

大自然の中、一人で眺めた景色?

 

人の数だけ、沢山の「幸せ」と感じた時間があったはずです。

その時、あなたの心に暖かいものが流れていたはずです。

そして、優しくなっている自分に気付いたと思います。

 

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結局「幸せ」は、心の持ちようという事になります。

けれどそのような気持ちを持ち続ける事は、なかなか人間はできません。

一時的には、モノや人で満たされ「幸福感」を得られても、それは「幸せ」の本質では無いのです。

 

人間関係だけに限らず、道に落ちているゴミを拾っただけで温かい気持ちになれます。

花を育てている時もペットと散歩する事でも、困っている人を助けた時も誰かを励ました時も同じです。

それは欲しかったモノを手に入れたり、仕事や競争で味わう満足感を得たりする事では得られない温かみであり、受け身ではなく自らの働きかけによって得る事が出来る心の豊かさで、目標を達成した時に得るものより、そこまでに至る過程で得られる心の動きです。

 

どうすればいいのでしょうか?

それは自ら幸せを見つけに行く事です。

例えばあなたがコンサートや映画を何の為に見に行くのでしょうか?

そこに 楽しみや幸せを見出しに行くのではないでしょうか?

それと同じように人も含めて、様々な事に対してあなたからその中にある幸せを見つけに行く事です

あなたが普段目にするものに対し、あなたから働きかける事で得られる事をただ見逃しているだけです。

大切な人がいる事、元気でいるだけで十分。

あなたが発する言葉で、元気にも楽しくにもする事が出来ます。

 

雨でびしょ濡れになっても、実りの雨に打たれたと思う事だって出来ます。

息を思いっきり吸い込む事が出来る事。

色で溢れている世界を見られる事。

あなたがその中に入っていくだけで、沢山の温かみが流れ込んできます。

その連続を途切れないように、あなたから働きかけるのです。

たとえ小さな事でも積み重なっていくのです。

 

人間以外の自然はあるがままであり「不幸」も無ければ「幸せ」もないのです。

ただ、人間が関与する事で幸せや不幸せを作り出してしまいます。

 

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一つ例を出して考えてみましょう。

身近であるペットの犬や猫です。

役に立つよう、用途に合わせて人間が品種改良してきた動物です。

家の中で飼われて、時には抱かれている犬や猫を見てある人は「大事にされて良かった」と思い、「可哀そうに!外で走り廻させてあげるべきだ」と考える人もいます。

人間が勝手に思っているだけで、犬や猫はあるがまま受け入れているだけです。

人間を楽しませ役に立つよう品種改良され、血統という価値を付けられペットショップで売られ、飽きたら捨てられる。

それでもあるがままなのです。

 

犬の祖先、仲間である狼。

日本ではニホンオオカミ狂犬病という理由(その他、狼信仰も)で殺され絶滅しました。

結果、食物連鎖の輪を壊すことになり、天敵が居なくなった事でそのツケを払わされているのが人間です。

動物に幸せの概念があれば、なんと不幸せな動物たちが多くいるのでしょう。

きっと人類の敵になってもおかしくないくらいです。

 

「幸せ」という感情は人間だけが追い求め、感じ、原動力にする事が出来ます。

と同時に共感し、分け合う事も出来る素晴らしい能力です。

だからこそ、自ら「幸せ」を探すのです。

自ら幸せを見つけに行動するという事は、命に対する「尊厳」であり、その為の「謙虚さ」なのです。

 

日常の中で逃さないように少しずつ見つけた上辺だけでは無い「幸せ」はやがて心を満たし、あなたからこぼれ落ちます。

それは、まるで乾いた大地を潤すように。

そこから芽生えた若葉が、あなたの知らないうちに大きく育つのです。

「幸せ」は連鎖していくのです。

 


アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉

 

アインシュタインの言葉より

「Tables and chairs, fruit and a violin. Besides this, is there anything you need for people to be happy?」

『テーブルとイス、フルーツとバイオリン。これ以外、人々が幸せであるために必要なものがあるだろうか?』

 

振り返ると昔レコードを買い、盤を拭き、静かに針を落とし、ジャケットを眺めコーヒーを飲んでいたあの頃のようなプロセスの音楽の聴き方が、何より大切で心が豊かになる時間でした。

遠回りもまた「幸せ」を見つけるチャンスが増える事になるかもしれませんね。

 

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見方を変えなくてはダメになる!(1)

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空を見上げた時、雲はどんな色ですか?

白や灰、黒と様々ですが、沢山集まれば集まるほど色は濃くなります。

すなわち光が遮られ、重い色となっていくからです。

雲はやがて積乱雲となり、激しい雨と粒子の摩擦により雷を作り出し落とすでしょう。

すなわち雲を人に例えるなら、多く集まり集団になればなるほど見通しが悪くなり、中では激しい空気の流れが生まれるのです。

集団の中では摩擦が起き、争いが起きるかもしれません。

上や下にと、大きな流れに逆らう事も出来ないかもしれません。

一方、白い雲は風に逆らわず、形にこだわらずゆっくりと身を任せ流されています。

「孤独』では無く「独り』なのです。

何かに属し、安心を得ようとすればするほど意図せずとも引きずり込まれ、あなたの望む方向には行けなくなるのです。

時に、雲は命の糧として恵みの雨を降らせます。

その為には沢山の雲が集まらないと降らす事は出来ません。

積乱雲の様になるか、そうでないかは自然任せで私達にはどうする事も出来ない事象です。

権力者の元に集まる嵐の集団になるか、恵みの雨として個々が力を合わせるか。

人間であれば選択することは出来るのです。

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「日が沈む」「日が落ちる」は、地球が回っているというより、まるで太陽が地球の周り廻っているように思え、一日の終わりを感じる表現です。

「日が暮れる」とい表現は、もの悲しさや名残惜しさを感じる事でしょう。

逆に「日が昇る」は気持ちも晴れ晴れと前向きに使われる言葉です。

実際には、地球がただ廻っているだけで、自然現象の意味付けは潜在的に植え付けられた記憶や物語によって感じている心の動きです。

祖先が敵に襲われる確率が夜の方が高かった事が影響しているかもしれませんし、昔話や宗教などの話が間接的に物語として語られ、イメージが出来上がってしまっただけです。

晴れや朝日のイメージが良くて雨の日は不快だとか、夜が寂しく暗いイメージだと思う気持ちは人間の勝手であり、自然は成すがままで調和とカオスで成り立ち、良し悪しは存在しません。

人間が作り出している幻のような物です。

見聞きする事を素通りさせては、生きる知恵も得られなかっただろうし、芸術も生まれなかったでしょう。

 

上を向いて顔に当たる雨は、大地が清らかにし、湧き水になり川となって大海に流れていきます。

山から海までの道のりが短いこの国の川は時に暴れ出し、多くの犠牲を生んできました。

水が無いと人は生きていく事が出来ませんが、甘く見ると命を奪う恐ろしさも兼ね添えています。

物事は、どちらが良いか悪いかを決めてかかることは出来ないのです。

一つの事象が全てではなく、一方向からばかり見ていると、いわゆる西洋的な善と悪のような区別の二者択一になってしまいます。

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葉っぱにイモムシが付いていると、

グロテスクな形や動きに、気持ち悪いと思うでしょう。

例えあなたにとって大切な植物でなくとも、排除してしまいたいと思うでしょう。

でも、そのイモムシはやがて蝶になります。

あのグロテスクなイモムシを見て嫌悪感を抱いてたことが、嘘のように親しみを覚えるのです。

彼らにとっては、醜いか綺麗かなんてどうでも良く、そうあるべき姿でそこにいただけです。

人間は、そこに物語を作ろうとします。

まるで「みにくいアヒルの子」のように。

頭は、そのたとえ話でいつの間にか、見方が偏っていくのです。

「あるがまま」に対し、良し悪しのレッテルを貼り付けて見てしまいます。

天国と地獄

正義と悪

美しさと醜さ

線引きは誰がする?

自然界には二択は無い

神も仏も二択はしない

 

運も運命も

生き方や選択も

決められた法則は無い

誰もが奇跡のように生きれば良い

自然界には秩序はあるが

神も仏も関与しない

 

前述でも触れましたが、子供の頃から絵本やお話を聞いて、いつの間にか「善」と「悪」、「天国」と「地獄」の二者に分類され、価値観も植え付けられていきます。

この世界はそんな二択の選択で成り立ってはいません

そもそも線引きすら人間が出来る事では無いからです。

赤ずきんちゃんを飲み込んだオオカミもテーマランドにいるネズミも、一方的な人間の都合の良い見方でコロコロ良し悪しを生き物に印象付けているのです。

 

「普通」や「当たり前」「常識」は、言葉に囚われているに過ぎない、すなわち習慣のようにあなたに作用しているだけで、何にも見ていないのと同じ事です。

自然は、多数決では動いていません。

もし多数決なら、確実に昆虫たちの勝ちでしょう!

 

何も考えず、誰かの後を言われるまま歩く事。

ツアーだとガイドがいて、危険な場所を避けてくれます。突然のアクシデントにも、知識を与えてくれ、対処してくれるでしょう。

でも、人生にはいつもガイドがいる訳でも、目印がある事でも無いのです。

加えて後戻りも出来ません。

廻りをよく見て、自分で判断する事が常に求められるのです。

仮に誰かの後ろをついていくつもりでいるなら、どんな人間を選ぶかでも大きく違ってくるでしょう。

その為にも自分の持っている心の目の視野が広くなくては何の役にも立ちません

生きる事自体が危険に満ち溢れ、生き抜くことは奇跡に近い事だという事を忘れてはいけないのです。

 

自然は、筋書きを持って人間を導いてはくれません

自然の一部であり、どんなに足掻いても思いどおりにはなりません。

ですから、私達人間も本来備わっている力を使って生き延びていかなくてはいけないのです。

与えられた「力」。

人間の最強の武器である脳を使って過去から学ぶ事や想像力。

すなわち失敗から学び、未来を更に価値あるものとする、人間でしか出来ない「力」の事です。

それは、見方を変えて考える事が出来る「力」という事です。

得てして人間は、その力を権力や独裁という価値として考えてしまうのです。

本来の「力」の使い方を間違え、不幸ばかりを生み出してきました。

狭い価値観の元から生まれる愚かな見方が生み出すのです。

見方を変える事とは、「当たり前」と思わない事です。

 

あなたが持っている「心」という「感覚」を磨いておく事で視野を広げ、諦めや失敗、偏見などで閉ざさないようにする事です。

閉ざしてしまうと、同じところをグルグル回るしかないのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタインの言葉より

「The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.」

『この世界で最も理解しがたいことは、この世界が理解できるということである。』

 

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夏のポラロイド

失恋は淡い波の泡のよう

手にする途端に消えていく

 

思い出の先にある藍い視界が

無理やり自分を際立させ

心を撫でる荒い風が

想いを揺さぶりさらってく

 

ほろ苦い海の水も潤せず

見つめるだけの時の間は

大切な自分だけの

誰もいない心の海

 

打ち寄せては

消えていく

 

当時、音楽仲間の友人がパブで働いていた。

パブといっても、カウンター席と二つぐらいのテーブル席がある小さな店で、タバコの煙と薄暗い照明の中、洋楽が流れている音楽好きの若者が集まってくるようなパブだった。

ある日その友人から「可愛い子が一人で来ているから来いよ!」と電話があった。

「店まで2時間か」。

気が進まなかったが、たまには息抜きで酒でも飲むかという勢いで向かった。

カウンター席の片隅に座って、友人と話をしていた彼女を見るなり一目ぼれしてしまった。

長い髪と大きなキラキラした目に釘付けになってしまったのだ。

もう、友人の事も飲む事も忘れ、普段は消極的な私は自分でもびっくりするぐらいすぐ彼女の隣に座った。

緊張して何を話したか全く思い出せないが、映画を観る約束をする事だけは出来た。

天にも昇るとはこういう事かと思いながらその日は全く眠れなかった。

当時は携帯など無かったから、翌日ドキドキしながら近くの電話BOXから彼女の自宅に電話をし、約束通り来てくれた。

デートは彼女の希望で映画館ではなく、当時ディスコと呼ばれていた場所に変更。

ダンスホールの様な広い場所で、チークタイムの曲が流れるとすかさず手を取り慣れないダンスを踊りながら、引っ越しをしてきて寂しかったからフラっと寄ったのがパブだった事や、仕事の事など彼女の話は尽きなかったが、その顔を見ているだけで本当に幸せだった。

その日を境に付き合いが始まり、数カ月後同棲生活が始まった。

挨拶に行った時、彼女の両親はかなり怒っていたが、なかば強引なやり方で両親の気持ちを考えるとひどい男だったに違いない。

彼女は仕事、私はアルバイトをしながら音楽をやり毎日が夢の様に過ぎていった。

よく二人で屋台に飲みに行き、知らない人と仲良くなっておごってもらったり、自転車での帰り道、二人乗りをしながら酔っぱらってこけたりと、何をするのも楽しくて仕方がなかった。

銭湯で壁を挟んで声をかけあったり、外で出てくるのを待っていたりと、まるでかぐや姫の曲「神田川」とそっくりだった。

そして月日が流れ、気が付くと6年目になっていた夜、アルバイト先の電話が鳴り彼女から半分泣きながらの別れの話だった。

その日会う約束をするのが精いっぱいで、仕事も手が付かなかった。

彼女は「いつまでもこんな状態だと結婚できない」という事と「帰ったらカセットのボタンを押して」と。

自宅のアパートに戻りすぐカセットを聞くと流れてきた曲は、彼女が好きだったユーミン青春のリグレット

「♪ 憎んでも覚えてて……」何度も何度泣きながら聞いていた。

ケンカしたり、将来像を描けなくて泣かせてしまったりと、後悔ばかりの私の長い長い夏が終わった日だった。

今でもその曲を聞くと思い出す。

でも、あの時の様に死にたいくらいの気持ちではなく、彼女が幸せな人生を送っていると信じながら。

 

失恋は確かに辛かったし、癒えるのにかなりの時間がかかったが、沢山の贈り物を彼女からもらった気がする。

決して彼女を憎む気も恨む気持ちも起きなかった。

確かに素晴らしい時間を過ごし、思いっきり優しい人間でいれたからだ。

そして思いっきり寂しくしてくれた。

今ではモノクロームの様な想い出になってしまったが、大切な1ページに変わりない。

 

『夏のポラロイド』オリジナル曲

見て下さいね 

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