心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

死は語らず(後編)

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「死」は決して忌み嫌うものでも、勿論穢(けが)れているものでもありません。

人生の一部であり、「人類」という物語の句読点なのです。

 

誕生も死も

そして愛もあなたに起きる突然の必然で

あなたが望んで起きるモノでは無い

死ぬ為に生まれ

愛が生と死の境を取り払い

死は寄り添い共に生きる

あなたが何者であるかは

死が語る問いかけによって理解する

儚さと無力が痛いほど心を締め付け

生へと理解する

 

「死」という言葉からは、残酷で言い知れぬ不安や恐怖という印象を受けますが、

結局、何をどう生きてきたかで 「死」というものが決まってくるのです。

ですから誰も教える事が出来ない死後の事を、あれこれ考えたり悩んだりする事は無駄なのです。

死んだ後は決して何も出来ません。

誰かが、死後の世界を話したとしても、根拠のない話を聞く必要はありません。

はっきり書きますが、死後の世界はありません。

行った人が、帰ってきた事もありません。

まして何をもって線引きをするか判らない天国や地獄もありません。

(注・天国、地獄はあるのか?を見て下さいね)

kenpa.blue

それよりも今の現実に対しどう向き合っているか、どう生きているかを考えるべきなのです。

死後の世界を考える事は意味が無いのです。

 

アインシュタインの言葉より

「Life isn't worth living, unless it is lived for someone else. 」

『誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。』

 

塵から生み出されたものは、塵に還(かえ)る。                     

あなたが体験した事、言葉、見たり聞いたり記憶したもの、力、全てあなたと共に塵に帰る。

そこにはもう何もない。

あなたの存在した証(あかし)は、物や写真、人々の記憶やデータで残るが、あなた自身はあなたの存在を塵に帰す。

あなたが行(おこな)った全ての事、財産そして執着、何もかもあなたと共に無になり、それらはあなたを惑わせない。惑わされない。

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生(せい)に生き、愛に生き、そして創造に生きたなら、あなたは時間と次元を超える。

生に生き、愛に生きた人々の記憶によって。永遠の命として。

もしあなたが生(せい)に生きず、物や観念に執着していたとしたら、やがてあなたの存在は途絶えるだろう。

 

「死」とは、通過点です。

全てが無くなるわけではないのです。

あなたの教えや生き方が、「魂」という形で、残された人達に残るのです。

あなたが、誰かの心の中に残り、あなたが残った人達を支え続けるのです。

愛する人達だけではなく、見知らぬ誰か、あなたがかかわった事のある人全ての心の中に、あなたは生き続ける事が出来るのです。

人類が誕生して以来、殺戮の繰り返しです。歴史を見れば歴然です。

すなわち、想像するような「魂」がもしあるとするなら、恨みや無念がそこら中に存在している事になります。

人間だけではなく、殺された動物たちも、その無念がそこら中漂っている事でしょう。

「魂」とは、亡くなったあなたが、生きる事の奇跡と素晴らしさを歓喜させる為に、生きている人達へのメッセージの形なのです。

あなたが残した、言葉や笑顔が「魂」そのものです。

殺された動物達に感謝する心が「魂」なのです。

日本でも精霊という形で、自然と向き合い謙虚さを学んできました。

 

考え、大切にしなくてはいけない事は、全力で生き抜く事と、唯一永遠に残せる「生き方」「生き様」が大切なのです。

「死」は終わりではありません。

死んでからの待遇を考えても、何の意味も有りません。

死後の世界など無いからです。

天国、地獄、三途の川など、全て今をどう生きるのかという戒めであり、召される最後の時までの、あなた自身の行動が全てなのです。

奇跡の連続で、私達は生かされています。当たり前ではありません。

同じ毎日の繰り返しなどありえないのです。

もし、そう感じるなら、あなたが奇跡の連続に気付いてないだけです。

だからこそ、「死」は通過点にすぎず、奇跡の流れの通過点なのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタインの言葉より

「There are only two ways to live your life.One is as though nothing is a miracle.

The other is as though everything is a miracle.」

『人生には、二つの道しかない。

一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。

もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。』

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お墓やモニュメントは、心の支えになり過去の人達との会話の場所でもあります。

ただ、魂という形でいつも生きている人の傍にいます。

いつでも、何処ででも祈り、助言を聞くことが出来るのです。

生きている、あなたの心の中に「魂」があるからです。

 

あなたが受け継いだ、先人たちの想い。

あなたは、次の世代へとつないでいくのです。

「魂」という形で。

 

「魂とは?」…この「心の道標」のブログで書く予定です。

 

 

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死は語らず(前編)

 

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中学生の頃、仲が良かった友達が転校してしまい、その事がきっかけで、彼と文通を始めました。

内容はたわいのない話しばかりでしたが、私達にとっては楽しい思い出の時間でした。

その後、彼から手紙が来なくなり、部活で忙しいんだろうぐらいに考え、気にしていませんでした。

高校生になってすぐ、彼のお母さんから手紙が来て、彼が地下鉄のホームで後ろに倒れ、死んだ事と、遺品整理できる精神的な落ち着きになり、私からの手紙を見つけ、連絡を取ったという内容でした。

彼の呆気ない死に衝撃を受け、無念さを思うと、色々な彼との思い出が一気に頭をよぎり涙が、止まりませんでした。

当時の私には、彼の両親の辛さまでは、思いが至らず、やっと子供を持ってから、その辛さが少しではありますが、考えられるようになりました。

 

幼い頃「死」を考えた時、漠然とした不安に襲われた事が、誰にでもあると思います。

そして、死後の世界がどういう所なのか?と、と同時に自分がどうなってしまうのか?と問い、答えが出ないまま毎日を過ごしています。

 

私自身も、弟の多額の負債を抱えての孤独死から色々な、考えてもみなかった問題に直面しました。

お金が何処にいくらあり、返済は?債務は?パソコンや携帯の暗証番号は?など、大変な作業を必要とします。それに加えて御近所さんへのあいさつや、残されたつながりのある人々を探し出し、連絡をしたり、リース契約の車も含めて、品々の解約だったり、実家が担保になっていた為、相続放棄やお墓の管理費問題などキリがありませんでした。

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しかし上記のような、物理的な問題より考えさせられたのは、弟の人生はなんだったのだろうか?という事でした。

最後も看取られず、浴びるように酒を飲み、現実逃避の末の死。

彼が生きた50数年は、私から見て決して幸せには見えませんでした。

兄として、余り交流が無かった事で、結局何も力になれなかった自分に、とても悔いが残っています。

本人が幸せだったかは、正直解りませんが、少なくとも彼に関わった人達が、辛い思いをしていたのも事実です。

3度の離婚と残された子供達。

亡くなる数か月間に、彼は子供達に電話を掛け、相手にされなかったようですが、とても孤独を感じていたように思います。

財産も無しで、思い出と共に親としての役割を最後まで、見届ける事なく勝手に逝ってしまう事に、無念があったのでしょう。

ただ、子供達に生を授け、今元気に過ごしている事が、私にとっての唯一の救いでした。

 

今、親との別居が進み、独り暮らしの人達も増えています。

いつ何が起きるかは誰にも分からない中、どのような最後を迎えるか、そして見届けるかを考えておきたいものですが、その「死」に対しての向き合い方を、すなわち「死」とは何かという事に向き合う事が、とても大切なのです。

 

死を尊ぶべきはあなた自身。

死は何も語らず、越えることはない。

だからこそ生命を尊ぶべきはあなた自身であり、

生命は「教え」そのものなのだ。

「神」「仏」そのものなのだ。

あなたがここに存在していないと、

死はあなたに訪れず、生命もまたあなたに歓喜しない。

 

すなわち今現在の事です。昨日でも明日でも未来でもありません。

生き延びる事をプログラムされている生物である以上、死を容易に受け容れることは難しいでしょう。

得体の知れない恐怖や不安、心細さ、だれもが考え、考えざるを得ない「死」。

そしてこの世で唯一、平等に誰にでも訪れる「死」とは何でしょうか?

科学や医学が進み不老不死が実現するのでしょうか?

はたして実現してもいいのでしょうか?

 

個の死は単に死であり死以外、何者でもありません。

しかしそれは、大きな流れの新たな可能性の一部になります。

生物にとって可能性ほど大切なものはありません。

いつまでも同じ考え方しか出来ない人間がゴロゴロしていては、変化に対する適応が低下し、生き延びていけなくなります。

いろいろな可能性を持った新たな後継者が入れ替わらなくてはならないのです。

なぜ人間は、淡々と受け容れられないのでしょうか。

人は先人達の知恵や教え、経験によって困難を乗り越え、夢を描き、希望を持つことが出来ます。

しかし死んだ後の事は誰もその経験を後世に伝えることが出来ません。

まさに「死」は、真っ暗な洞窟の中にアドバイスや知識という灯りも持たずに入るようなものだからです。

ですから時に宗教が「死」に対し、恐れ克服の知識を授け、道標となり、不安を取り除く役目を担っているのです。

(一番誰もが不安になるその事を、お金儲けの手段にしてほしくはないのですが)

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「死」は新たな 可能性の一部になると書きました。

自分が生きた証をその流れの中に少しでも留めておきたい、そんな気持ちが起きても不思議ではありません。

時にそれは、何かの作品であったり、財産であったり、モニュメントであったり、そして子供であったりするわけです。

終わりがあるからこそ、寿命がある事が解っているからこそ、自分の中にある様々な「想い」をこれから担うものに託すわけです。

そして託されてこそ、それを基にそこから新たな創造が生まれ、知恵となり役立っていくのです。

受け手が変わる事がとても大切な事なのです。

上記で書いたように、次を担うものに対し、送り手が託すモノはその人の「想い」だけでなく、時にお金や財産といった物をよく考えがちですが、それだけでは意味がありません。

 

どんな風に生きたのか、過ちを繰り返さない為にはどうすればいいのか、心を動かされた様々な事、経験、生き様。物ではなく「心」を託して初めて、新たな可能性を秘めたあなたが、受け手となるのです。たとえ誰からも看取られず亡くなったとしても、尊厳と想像をもって受け手になる、その義務が私達にはあります。

(後編)に続く

 

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Amazon プライム

対人関係に悩まない(1)

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SNSをはじめ、世の中には、人と上手くやる方法ばかりが私には目につきますが、

「適度な距離感」

「相手の良いところを見つけて」

「話し上手になれ」

「こんな言葉で切り抜けろ」等々。

まず、改めて考えなければならないのは、なぜ、人と上手く付き合わなければ、ダメなのか?です。

一期一会の言葉があるように、出会いはとても大切なことです。

何かの縁で引き寄せられたのかもしれません。

それと、うまくやっていく話とは別の次元の事です。

 

学校や職場、近所や様々な付き合い。

人間関係のトラブルや悩みが、大半を占めていると思います。

立場の違いや年数、誰かをかばう為、お金を得る為など仕方なく自分の意志を押さえつけながら、付き合わなければいけないのが現状でしょう。

でも、もし相手が言葉の通じない外国の人だったらどうでしょう?

 

実際、フィリピン人の私の妻は、パート先では外国人という立場で、日本人がよく使う曖昧な受け応えがイヤで、いつも「言いたい事があれば、ちゃんと言えばいいのに」と愚痴をこぼしています。

煮え切らない、どっちもつかずの事を言われるのが、たまらなく不愉快だというわけです。

本人は、ストレートに話すようにしているようですが、日本で長く生活してきたので、ある程度は、気を付けるようになってはいるようです。

ただ、日本人側からすると、おかしなもので外国人だから仕方がないというあきらめのような納得の仕方をするようです。

 

後先の事を考えての言動と、その場での感情表現。

日本で暮らしている限り、特に日本人同士難しい判断です。

 

まず相手が話す不愉快と感じる言葉対し、不快な感情を抱きイライラします。

その感情は仕方がありませんが、ここからが重要です。

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 考えるのは、我慢するか、反論するかの選択だけではありません。

まず、相手と同じレベルに下がらないように、

すなわち口汚い言葉を掛けてきたり、理屈ばかりの繰り返し、理不尽な事、頭ごなし等の態度を取る相手は、幼稚園児のレベルの人です。

同じように対応すると、自分も、そのレベルに下がる事になります。

相手を幼稚園児として見る事が出来れば、しめたもので、後は、可哀想な人という目で、その場をやり過ごすだけでいいのです。

 

やってはいけないのは、あなたが、相手と同じ精神状態に陥らない事です。

と同時に、その場をとりつくるような態度をせず、まるで宇宙人とファーストコンタクトしたように、もしくは夜何を食べるかを考える方がよっぽど前向きで、逆に楽しめます。

もう一つ忘れてはいけない事が、

自分を客観視出来るかどうかで、その後の流れが大きく変わります。

「謙虚さ」とも言えるでしょう。

常に、自分が正しいとは限りません。

間違いを犯し、訂正出来る力を持っていなくては、ただの自己中心的なだけです。

毅然とした一貫性のある人や、思いやりがある人は暴言を吐きませんし、感情的には話しません。

言葉使いの正しい人は、あなたにとって、大切な助言者になる人です。

もし自分に非があると気付いた時は、素直に受け止め、心を開いて話すべきです。

きっと、相手も耳を傾けてくれます。

 

アインシュタインの言葉

「Why do you blame yourself?Since gonna blame when another person is properly required Is not it nice.」

『なぜあなたは自分を責めるのですか?他人がきちんと必要な時に責めてくれからいいですよ。』


アインシュタイン150の言葉

 

自分からの視点で考えてみましょう。

何か負い目を感じてはいませんか?

「仕事が出来ない」

「遅い」

「用事で休みがち」

「自信が無い」など。

どうしても、まず「言える立場であるか」を考えがちです。

自分であれこれ負の材料を集めて、言えないと納得させる事は一時しのぎで、たまる一方です。

その負い目に対する答えを、自分にではなく相手に投げてしまいましょう。

「そんな資格はあなたには無い」と言われる事を恐れては、何も始まらないのです。

あなたが考える事では無いからです。

 

うわべだけで取り繕い、その場をごまかしてはいませんか?

自分が価値のある人間だと、認めてもらわないとダメと勘違いしていませんか?

努力している事や我慢している事を、解らそうとしていませんか?

「なぜ、私だけに」

「何でほかの人には言わない」

と思っていませんか?

他人と比べる視点を、まずやめましょう。

いつまでたっても、心が満たされず、平穏にはならないからです。

すなわち、誰かを通しての自分を自分で評価しているにすぎないからです。

もし自身に対し、偽りを演じてきていたとしたら、それはもうやめるべきです。

自分という人間を考え、見つめ直すきっかけとして下さい。

そのチャンスを逃さないようにしましょう。

自身で、不条理と思う事があるなら、愚痴っている時間がもったいないのです。

伝えたい事がある時は、堂々と伝えましょう。

最初は気が引けるかもしれませんが、たった一度の人生です。

相手が、あなたの一生を面倒見てくれる訳もありません。

勇気を出して、話す事が出来るはずです。

話す時は、言葉遣いに気を付け、余計な装飾をしないで、ストレートに話します。

誰かと比べてという意見や要望ではなく、自身が素直に思う事を話しましょう。

一度、経験すると、後は楽に話す事が出来きます。

自分が考えていたような、悪い結果にはならない事の方が、はるかに多いのです

 

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もし、話した事で人間関係が悪くなったとしても、それはあなたのせいではなく、相手が、自分の考えの正当性を押し付けているだけで、言いやすい人を選んで文句を言っているだけです。

あなた自身が、そんな人のレベルに下がってしまっては、同じ事ばかり続くだけです。

 

あなたが、謙虚さを持って、言いたい事を話せば、あなたの廻りに助けてくれる人が必ず現れます。

類は友を呼ぶという言葉どおり、自然と集まってくるのです。

自分が心地よいと思う人、適度な距離感をもって接してくれる、言葉遣いの良い人と、楽しく他愛のない話が出来る関係を作っていく事は、人生の栄養となります。。

嫌な人達は、自然と離れて行きます。

要は、自分を卑下しない事と、他人と比べない事。

相手のレベルに自ら下げない事です。

 

嫌な、付き合いにくい人は、どこにでもいます。

どの世代でも、どの時代にもいます。

知識や、アドバイスからのアプローチでは、何度も同じことを繰り返すだけにすぎません。

人が変わっても、また嫌な自分を引き出すのが得意な、似たタイプの人があなたを苦しめるだけです。

 

誰でも自分の事すらよく解っていません。

心は、常に変わっていきます。

ただ、その芯、軸となるものを築き、貫く事が出来るかどうか。

ダメな奴、情けない奴と人から思われようが、どうでもいいことです。

芯、軸がしっかりとしていれば、好まざる者は、去っていくでしょう。

肝心なのはテクニックを学ぶことではありません。

あなたの廻りに起きることは、あなた自身で引き寄せているのです。

流されないように、あきらめないように、

そして謙虚でいて下さい。

 

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別れと向き合う(大切な人)

 

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生きていると、必ず別れを経験することになります。

愛する人や動物との別れほど辛いものはありません。

まるで自分の一部を失くしたかのように、あるいは心をもぎ取られたかのように。

 

では、どうしてこんな気持ちが起きるのでしょうか?

相手がいなくなることにより寂しくなるから?

それは、相手の心の中にいる自分が消えてしまうからです。

 

人として生まれた以上、何らかの形で人と関わり合い、助け合わないと生きていく事は出来ません。

そしてそれは一方で、他の人を通して自分を確認し自分を作り上げている側面があります。

親しくなればなるほど、その人を通しての自分の存在は大きくなるので、

その人が自分の廻りからいなくなる、すなわち関わり合いがなくなる事で、

自分というものを、自分自身の存在を、その相手を通して確認することが出来なくなり、まるで自分の一部が無くなってしまうように思うからなのです。

 

もし簡単に立ち直れたならそれは、相手の中にいる自分の存在が、それほど大した事では無かっただけの事です。

与えてもらってばかり、やってもらってばかりの出会いであり、関係だったからです。

 

ではその別れに伴う辛さや痛みからどのようにして立ち直っていけばよいのでしょうか?

自分を映す新しい人を見つけるのか、ひたすら耐え、時間の癒しに身を委ねるのか、

はたまた、気を紛らわす為に何かに没頭するのか、残念ながら良い方法はありません。

時間の経過だけが慰めとなり、新たな出会いが思い出へとしてくれます。

 

友人、仕事関連の人などの別れと、家族や親友、愛するものとの別れでは、自分の心の持ちようも、変わってきます。

 

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心から愛する人との別れに伴う絶望、苦悩、後悔の痛みからの立ち直りには、何より時間が必要なのです。

そしてそれは自分自身で行うより他にありません。

やがて別れは自分を見つめ直し、新たに自分を映し出す旅の始まりになります。

 

あなたのそばにいる人は、あなただけの為にいるのではありません。

あなたがその人の為にいるのです。

何をしてもらえるかよりも、何をしてあげられるかという事なのです。

そして去って行った人は、あなたの一部ではもちろん無く、またあなたの存在を証明していた訳でもありません。

忘れないで欲しいのは、あなたがどんな人間なのかを、

その人を通して、あなた自身に伝えていたのです。

だからこそ伝えなくてはいけない事、してあげたい事は後回しにしないで、今すぐやるべきです。

そして、あなたは全力で生(せい)を全うしなくてはなりません。

 

身近な人の死は別れとしては、とても辛いものです。

その人との関わっていた時間が長ければ思い出も多く、早すぎる死では、夢を叶えさせてあげられなかった悔しさや身代わりになりたいような気持になります。

時間だけが、唯一の慰めになるでしょう。

しかし、去って行った人は、あなたの心に生きています。

あなたと共に生き、楽しみ、悲しんでいるのです。

あなたが、自身で命を全うできるかどうか確かめ、

時に、助言者となり、道標になってくれるのです。

そして、あなたの中に

「生きていく」

「独りでも大丈夫」

という確信を見届けた時、彼ら彼女は、あなたから静かに離れていくのです

 

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逢えない君は

助言者となり

道標となり

いつもここにいてくれる

生にしがみついた

僕の独り立ちを見届けて

やがて静かに去っていく

また逢えるのは

僕が全うした後で

 

今も世界中で紛争や病気、飢餓や事故で誰かが亡くなっています。

助けられる事が出来たはずの命です。

人間が、作り出す愚かな行為からの死であれば、なおの事です。

たとえ、地球の裏側の事であっても、想いを馳せる事で、命の重みを改めて考えさせられます。

決して他人ごとではない、現実が起きている事。

愛する人に、「さよなら」と言えずに亡くなっていく人達の事を思う事は、自分の生かされている事への意味を問う大切な時間になります。

だからこそ、人に優しく、思いやりが持てる人間でいられるのです。

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沢山の別れがあって、沢山の悲しみの上で、今のあなたがあるのです。

それは、今を生きる私達に対しての戒めとも言えます。

歴史となり、教訓として、その別れの中に秘められた、人としての生き方を、決しておろそかにしてはいけないのです。

同じ過ちから、悲しみを増やすような事をしては、過去の人達に対しての尊厳を汚す事です。

 

いつか、どんな形であれ「別れ」は必ず訪れます。

それは、予期せぬ突然かもしれません。

大切な人がいるのなら毎日、自分の気持ちを伝えてください。

いずれ来る別れの時に、悲しみを強さに変える力を持つ、

あなたでいられる為にも。

後悔しない為にも。

 

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別れと向き合う(失恋)

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私自身、片手ほどの失恋経験しかありませんが、今となっては良い思い出です。

30代の頃、6年ほど付き合っていた彼女に振られ、辛い思いをしました。

当時の私は、就職もせずアルバイト生活。

バンドをやっていたので就職は、眼中にありませんでした。

付き合っていた彼女は、銀行に勤め、私を支えてくれていましたが、彼女の中に結婚という言葉が浮かんだ時、きっとその日暮らしの私に不安を感じていたのでしょう。

そんな中、公衆電話から、彼女に電話をした時、何か様子が変で、口数も少なかったので、「どうかした?」と聞くと、「家に帰ったら、ユーミンの(青春のリグレット)を聞いて」

それが、彼女との別れでした。

急いで家に帰り、その曲を知らなかった私は、彼女の残したカセットを探して聞きました。

途中から、涙が止まらなくなり、孤独と、絶望感でつぶれそうになったのです。

まるで、手足をもぎ取られたように、その場で座り込んでいました。

 

今から考えると、私自身が将来の不安の穴埋めとして、彼女に依存していたのです。

そして、答える事が出来なかった私がいて、苦しんでいた彼女の気持ちを汲んでやれなかったのだと思います。

長い恋愛期間。

大切に思っていた事、幸せにしたかった事、

一生懸命、当時の自分なりに恋愛をしました。

彼女から学んだ色々な事が、今の私の一部となり、成長させてくれたのだと思います。

 

失恋は、相手が自分のことを忘れ去ろうと、もしくは排除しようとする事になるので、自分の存在を否定されるような気持ちになります。

そんな相手が離れていても存在している為、諦めきれないのです。

 

まず、失恋する為には、恋愛をしなくてはいけません

最近、なかなか出会いの機会がないと言われていますが、40年以上前でも仕事や環境のせいで、恋愛対象になる人に簡単には出会うという事は、そうそうありませんでした。

ただ当時は、周りにおせっかいおじさんや、おばさんがいて出会う機会を作ってくれたものです。

お見合いで結婚する人も多くいて、何とかなったのです。

 

当の私は、紹介のような出会いは、ありませんでした。

一時期は、お見合いパーティーと呼ばれる企画にも参加しましたし、

高校の後輩や行きつけの喫茶店、バイト先の仲間、友人の経営するショットバーと、自ら行動しないと、付き合えなかった出会いばかりでした。

運もあったのか、恋愛までこぎつけた事が何度かはあったのですが、ゴールまでとはいきませんでした。

とにかく失恋は辛いものです。そして疲れるのです。

自分がまるで価値の無い人間のように思い、落ち込みます。

私の経験からは、男の方がズルズル引きずっていました。

私も、その中の一人ですが。

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 「あなたしかいない」当たり前ですが、恋愛する度に、そう思い、「誰もあなたの代わりは出来ない」と信じていました。

でも、別の人ももいるし、代わりとは言えない別の素敵な人はいるのです。

夢中になっているから、見えていなかっただけの事ですが。

沢山、恋愛をして、別れを経験する事は、とても大切な事です。

ドキドキして、キラキラして、悲しみや、切なさを味わって下さい。

今は、解らないでいいのです。一生懸命に味わうだけで。

 

以前、勤めていた同僚が、トラックに同乗中、自分の事を色々話してくれました。

どうしても女性との出会いが無く、一発発起で、縁もゆかりも無いタイ国に行き、

知り合いも無く言葉も通じない中、声を掛け続け見つけたのが、今の奥さんだと、写真を見せながら話してくれました。

失礼ながら私が見てもモテそうにない同僚でしたが、子供にも恵まれ、幸せだと話していた彼も、残念ながら癌で亡くなってしまいましたが、とにかく、その行動力には、感心しました。

何事も行動次第で、道は開くと思います。

考えてみてみると、私も、行動範囲が狭い中で、右往左往していた時期がありました。

今の妻と知り合うまでほぼ10年、狭い世界の中をウロウロしていました。

 

失恋して希望も楽しみも無くなって、ふさぎ込んでいるあなた。

残されたモノや景色や音楽で思い出し、また悲観にくれているあなた。

運命の神様が、新しい出会いの為、別れさせたのです。

あなた自身を、幸せにする為に方向転換させたのです。

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本当は、失恋なんて大した問題ではありません。

失恋から立ち直る方法なんか見る必要ありません。

誰かのマネや助言を聞いても、何の解決にならないどころか、

得る事が出来た、あなた自身の力も、見逃してしまうでしょう。

誰一人、あなたと全く同じ経験をしている人などいないからです。

遠回りするかもしれません。

けれど、

大切なのは、どんな事も一生懸命に向き合う事です。

誰かを好きになる事も、失恋を味わう事も、とことん一生懸命に向き合う事です。

だから、落ち込みたければ落ち込み、泣きたければ泣けば良いし、

閉じこもっていたければ、それでいいのです。

引きずるのもいいでしょう。

散々な想いを、情けないくらい、とことん味わって下さい。

そのみじめな自分と、とことん付き合って下さい。

一生懸命、心の底から受け止め、吐き出して下さい。

 

その分、あなたは優しい人間になっていく時間を過ごし、

人の気持ちが解る、大切な心を養っていく準備ををしているのです。

そして、全力で愛する人を守れる自分になるのです。

 

ただし、忘れないで下さい。

中途半端にしない事。

負の連鎖を断ち切る事。

自分を見下し、投げやりになれば、それ相応の相手が、近づいて来ます。

それは、もう一人の中途半端な自分かもしれません。

愛していた人やあなた自身をも傷つける事になるのです。

 

一生懸命、失恋を味わえば、自分に対して区切りが付きます。

後悔しても、前向きな経験にきっとなります。

人生は、思ったよりも、ずっと短いのです。

過去には、戻れません。

積み重ねです。

落ち込んで悲しんでいる時間がもったいないくらいなのです。

あなたの周りにいる年配者に聞いてみれば分かります。

 

そして

あなたは、今よりもひと回りもふた回りの精神的に成長します。

あなたに合わせるように、心の広い人と出会う事に必ずなります。

無駄な経験は、一つもありません。

人生に、近道なんてありません。

 

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川の流れのように

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人間は自然の一部です。自然は何らかの秩序を持って、この地球を維持しています。

もし、人間という生物が、弱肉強食の摂理に沿って生きて存続する道を選んだなら、それも自然の摂理でしょう。

しかし私達はその道を選んではいません。

弱い立場の人や、危機に直面している人々、差別や偏見の中にいる人達を、助ける存在がいるという事実は、自然という摂理の選択です。

すなわち、どのような環境や境遇であっても助け、共存しなくては、生きていけないという自然の出した答えです。

その自然の一部である人間が出した答えに沿う生き方を選ばないと、やがて存続の危機を迎える事になるのです。

ほんの少しの間違った選択が、積もり積もって自然が望まない方向へ、大きく舵を切る可能性がある事を、忘れてはいけないのです。

それは日々の、個人個人の生き方とも言えるでしょう。

「助けなくては」

「何とかしたい」

と思うその気持ちが、心の底から湧き出てくるのも、自然の摂理から出てくる感情です。

社会全体が許容できる範囲を広げて、受け入れるように、自然が仕向けているのです。

それに反し、心無い中傷や、弱いものイジメ、差別をしている人達は、大きな自然の流れに逆らっている人達です。

彼らは流れにわざと歯向かう愚かな人達です。

川の流れに逆らい歩く事がたやすい事では無いことぐらいわかって当然なのにです。

いずれ、足元をすくわれ、溺れてしまうでしょう。

それが自然の摂理だからです。

しかし、そのような遡って来る人達を放任し、増えれば増えるほど、川はせき止められ、流れは鈍くなり留まります。

見て見ぬふりをする事は、彼らの行動を許している事と同じなのです。

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 私達はその大きな流れに流されているだけではありません。

いくつもの支流から流れ込む、川幅を広くなだらかにする責任があるのです。

私達社会は、リーダーを生み出し、その下で日々の生活を営んでいますが、私達を導くリーダーが、間違えた方向へ行きそうになった時に、正さなくてはなりません。

岐路に立った時の川の行方の選択に関わる重要な事だからです。

時に堤防を乗り越え、溢れ出し取り残されるでしょう。

狭くなった川幅で、流れが滞るでしょう。

想定外としての言い訳で逃げる事は出来ないのです。

自然は、人間が頭で考えられるような、筋書きで導いてはいません。

命の厳しさは、野生の動物たちを見れば解ります。

その事を身近として感じる事が出来なくなっただけです。

人間は集団で生きる道を、自然に則って選んだのです。

個々では弱く、貧弱でも集団で困難に立ち向かうように、導かれたのです。

その繋がりを弱め切り捨てる世の中は、牙の無いライオンや爪の無い鷹と同じ事です。歴史という地図に描かれた、川の行方は、同じ失敗をしない為の道標です。

 

残念な事に、その大切な地図を見ない、見せない人達が必ず現れ、振り出しに戻してしまうのです。学ぶ機会を失った人達は、知らぬ間に地図を持たない難民となり、置き去りにされていくのです。

大きな川の自然な流れを、絶望感で立ち尽くし、ただ眺めるだけの難民となるのです。

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愛する人達から流れ込む

人生という名のあなたの支流

心の広さは川幅で

流れは、歓喜に満ちるだろう

生き方という水の

深く澄み渡る透明度に

誰もが心惹かれ流れ込む  

命という名の大きな川に流れ込む

川面に夕日が差し込んで

金貨が一面舞い踊る

 

私達は、命という大きな川に、流れ込む人生という名の支流です。

家族や友人という支流から流れ込む水は、豊かな流れとなり、あなたの川幅が、心の大きさを表しています。

その豊かな流れを受け止める心を持たないと、あなたの川はやがて枯渇するのです。

このままだと、人生という川の支流から、大きな流れへと注ぎ込む事が出来なくなるのは、時間の問題です。

ギスギスした世の中が、心を病む人達を生み出すのも、必ず訳があるからです。彼らの存在が、自然の摂理からの正しい選択に戻そうとしている存在なのです。

助けを必要としている人達の存在こそ警鐘警告であり、受け止めなくては誰も、いずれ生きていけなくなってしまうのです。

彼らからの流れ出す水は、喉を潤し自然の流れへと導いていく、大切な水源だからです。

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木々を育て、森を潤し災害から守ってくれる湧き水です。大切なその存在を、支えてくれている存在を、忘れてはならないのです。

そろそろ、どんな立派な堤防を作り整備しても、流れる水が無くなれば、意味がない事に気付かなければいけない時期に来ているのです。

「ヘイト」「イジメ」「差別」「蔑視」「忖度」「権力」「独裁」など、こんな言葉を生み出した私達。

こんな言葉が使われなくなる世の中は、いつ訪れるのでしょう?


アインシュタイン150の言葉

 アインシュタインの言葉より

「My belief is, to the outstanding spirit that is present in the weakness and fragility, are made up of humble tribute.」

『私の信念は、弱さや儚さの中に存在する卓越した精神に対しての、謙虚な賛辞から成り立っているという事です。』

 

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星の願い⦅オリジナル曲⦆

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小さい頃からとても宇宙に興味があり、当時は今ほど都会に近い校外でも明かりが多くなく、見上げるとたくさんの星を見る事が出来ました。

 

1969年7月20日アメリカの宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、アポロ11号で月面に着陸した映像を白黒TVで観た時の感動はいまだに忘れられません。

そんなある日、寝ながら宇宙の事を考えていた時に、もし私がこの世から居なくなっても宇宙にとっては何の変化もないんだろうと。

子供ながら自分が暗い穴の中に落ちる感覚になった事がありました。

そして死の怖さが始めて心の中まで入り込んだ時間でした。

 

そして20代の頃小さな望遠鏡を買い、月や土星を見て感動していた覚えがあります。

と同時にSF小説や映画へと、その幅が広がっていきました。

 

SF映画は覚えている限り、初期の頃はアニメーションの様に人形をコマ撮りし、実際の俳優たちの映像と組み合わせて作成されていました。

1933年アメリカ映画「キングコング(King Kong)」やギリシャ神話をベースした1981年公開のアメリカ映画『クラーケン/大海獣』が有名で、やはりレンタルのVTRで見ていました。

1954年に日本の制作で公開した白黒の特撮怪獣映画『ゴジラ』の着ぐるみ映画は、その撮影方法の工夫も素晴らしく、白黒の画面と相まって世界でも高く評価された映画です。

 

そして私が好きだった宇宙を題材にした映画がどんどん作られる様になっていくのですが、タイムトラベルや異星人という、創造力失くしては作られないそれらの作品を待ち望んでいました。

最初に衝撃を受けたのは1968年公開の『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)で、脚本はキューブリックとSF作家のアーサー・C・クラークで、監督はスタンリー・キューブリック

勿論、私の年齢的にも公開映画では無くVTRで観たのですが、コンピューターや人工重力、宇宙食など、物理科学的な検証の元、作成されていて大変驚きました。

その後、SFブームで、映画『スター・ウォーズStar Wars)1977年公開』や『E.T 1982年公開』は、私にとっては、まさに「待ってました!」と。

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宇宙の事を知れば知るほど、なんて地球はちっぽけで、塵のような存在なのか。

でも、広大な銀河の中の太陽系第三惑という、奇跡のような位置に存在し、命溢れる星として今がある事に、何か大きな存在がいて見守り続けているような気がしてなりません。

リンゴの木から始まった「重力」一つとっても、体重とは地球が引っ張る力の事でもあり、同じ原理で海の満ち引きが起き、太陽の回りを楕円を描きながら一年過ごしているという事に、そして太陽系自体が天の川銀河の中で回っているという殊に、未だに驚きと新鮮な思いを抱きます。

 

私達は本当に奇跡の様な存在なのかもしれません。

命そのものも、そして知的生命体としても。

数多くの人達の「想像力」のお陰で途方もない宇宙観という世界を知りつつあります。

わずか80年足らずの命の尊さを、星を見上げる度に感じるのです。

 

 

星を見るのが大好きだった

吸い込まれていきそうな

余りにも果てしない空間に

いつまでも心を委ねていたかった

自分の生と死を重ね合わせながら

小さな望遠鏡で宇宙(そら)を見ていた少年

 

今では日常に追われ

うつ向いて

見上げる事も少なくなって

 

ただ 冬になると思い出すように

都会の宇宙(そら)でオリオンを

今でも探している

ちっぽけな

可能性に満ちた

少年の自分に逢いに行く為に

  

『星の願い』オリジナル曲

youtu.be

 

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